日本語は語感で漢字ちゃうの
いや、まあ昨日のお話、「冒頭」の部分ですが。アタシのw(笑)。
まんざらあれは冗談でもなくて、子供の頃は「百代の侠客」とアタシには聞こえてたんですw。
「過客(かきゃく)」より「侠客(きょうきゃく)」の方が語感が馴染むと思った。
自分の耳でそう聞こえると脳内変換してしまう(笑)。
その意味にしてもアタシには「月日は任侠、渡世人のようで時には凶悪なものだ」と言ってるように聞こえたのでした。
女性たちもよく言うものです。
昔の女優なんかの老化についておっしゃる。ご自分のことは棚にあげて(笑)。
「月日ってのは残酷よねぇぇええwww(笑)」
なーんてww。
なにしろ「奥の細道」の冒頭の部分だけを覚えさせられただけ。
意味の誤解もお構いナシでした。
いわゆる「お受験」の頃のお付き合い。
意味よりも雰囲気が優先、趣旨もまるで関せず。
趣味や知見として触れてきたものではありませんので、アタシの「知識」などシロウトもいいとこです。
お恥ずかしい限りですw。
「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」
なんてのもありました。
こういうの、よく「試験に出る」なんて言われて、冒頭の書き出し部分と作品名を結びつけて覚えさせた振り返りのこと。
しかし実際に作品を読んでみればとんでもないエロ小説でした。
川端センセイの好色さが窺えますw。
まあ、「芸術はエロにあり」というのはアタシも同意しないでもないですが・・・ww(笑)。
その時はさすがに股間に手が伸びましたww(笑)。
それに、この奥の細道の冒頭の句みたいなのは俳句でもありません。
季語も何もあったもんではない。
だから、ここはプロローグ的なもので、芭蕉の慨嘆から旅行記が始まってるんだと勝手に解釈してた。
俳句集の体裁をとった旅行記、紀行文です。
語感もありますし、誤解してしまうのも無理なからぬところではないか(笑)。
聞けば今の教育の現場では「おくのほそ道」などとヒラガナ表記するらしいです。
どうしてかは定かではありませんが、推察すれば、先日の冒頭のアタシの「誤り」みたいなことなのかも知れません。
つまり、「奥方」の「奥」、「アソコ」の「細道」と、そんなエロい語感の連想になりそうなのを避けてるのかも知れませんwww。
教育上の配慮なのではないかw。
ちなみにアタシは生きてきてこの方、どういうのかw、この「奥の細道」という立て看板を各地で見たことがあります。
色んな地方でバラバラに見たw。
もちろん見たモノは全く別モノです。
海外に行くと、思わぬ場所で「世界人類が平和になり・・・(略)」なんて、卒塔婆みたいなのが立ってますが、あれはまた別(笑)。
信仰宗教の連中がぶっ建てたヤツです。
無作法な(怒)。
そういうのを見るとアタシは地元の連中に「こんなもの穢れてるから捨てちゃえヨ」なんてよく言ったものですw。
ただ、この看板の話ですが、どれも「奥の細道」とちゃんと書いてあったのでした。
家の玄関に続く小路の入り口とか、山歩きのルートを外れる細い道の入り口とか、狭い路地の入り口とか。
自作のいかにもたどたどしい文字で「奥の細道」と、看板が掲げられていたのを見たことが何度もあったのです。
なんだか奇妙な感じでした。
ズカズカとその先へと行ってみたら何があったのかwww(笑)。
写真でも撮っとけばよかったw(泣)。
道の脇にそんなものが立っているというのはちょっと異空間を感じるところがあります。
迷い込みそうな感じがする。
「道路占有しちゃって違法行為ではないか」、それは現代的な法治主義の感覚ですw。
例えば「石敢當(いしがんとう)」というものが沖縄には路地の分かれ道によくあったりします。
あれも公道に堂々と置いてありますからちょっと脱法的なものと言えます。
それだけにあれにも異空間的なものを感じてしまうものです。
なにしろ、道端の地蔵すら敷地境界線、つまり境界ブロックの中にちゃんと収まっていたりしているのが普通ですから(笑)。
そういう土地がウクライナみたいに独立しちゃうとこもあるw。
市町村合併などで「財産区」になるとかww。
普通は村の一角の場所をみんなで所有、共有管理するカタチになっていますが、土地そのものは自治体としての村が所有していたり。
ああいう場所は「所有者不明」となっても地蔵なんかは共有物です。
あれが個人の土地にあるとちょっと厄介です。
法的には借りている形になってる。むやみに撤去できません。
しかも祠とか地蔵とかです。異世界につながるモノでもある。
そういうのを撤去するのはトラブルの元。
まあ、私有地だとかあんまり煩いことは言わず、伝統があるものなら広い心で継承してあげたらいいのですけどw。
「石敢當」は沖縄で魔除けとして強く信じられているものです。
アジアにもあるので起源は古いもの。
同じ漢字で書いてある。
元は古代中国の由来のようです。
別れ道に置いて魔物を幻惑して撃退するのだそうで、そんな解説を沖縄で聞いたことがあります。
聞けば「石敢當」は東北にもあるらしく、我が国でも沖縄の信心が広がったことが窺えます。
それなら例えば「シーサー」の置物を玄関の入り口に置くのはどうか。
玄関門なんかの両側にそれぞれのシーサーを置いている家は多いものです。
割と都市部でよく見かけるものです。
どうかw。
あれをおやりになってる方、きっと沖縄にご旅行された人だとアタシは思う。
あれがみな沖縄出身者の家ということはあり得ませんwww(笑)。
かく云うウチも、実は玄関入ったところに置いてあったりしますwww(笑)。
沖縄土産に買ったものですw。
つまりアタシも鰯のアタマを拝んでることになりますw。
「鰯のアタマも信心」というヤツ(笑)。
信じる信じないにしても聞くとやってみたくなる。そして各地へと広まる。
そんな記事もご覧いただきたいw。
それに似たもの、それがあの「奥の細道」の看板だったような気がアタシはするのですが。
どういうつもりで、誰がお建てになったか、その真相は分かりません。
しかし、例えば人に一度も会わないような山のハイキングコースに建てられていたのですから、きっと何かあったに違いありませんw。
まさか「桃源郷」があったとしてその入り口には立て看板はないはずです。
「奥の細道」がそんな場所を示してたとしたらどうかw。
あったらキャバレーかソープだw。
山の中の風俗店なんて楽しそうですがw(笑)。
・・・きっとお高いんでしょうw。
いや、実は喜んで遊んでみたら相手がキツネだったなんて話はよくある話なのです。
林野庁の嘱託なんかやってる男が仕事帰りに呑んで、すっかり酔って山道で寝てしまい、夢を見る。
それがたいした美女たちの接待だったなんて。
今でもよく聞くことですwww(笑)。
それが大真面目に話されたりしますから山奥の温泉宿の出逢いは面白いものがあります。
この現代でも「キツネにばかされる」という話は割とあるのです。
アタシだって正直、エロいことなら一度ぐらいは経験したいと思っています。
しかしキツネに病気を伝染されたりしてwww(笑)。
「語感」というもの。
アタシにはまずそれが先に立つ。とても気になりますw。
「いしがんとう」だってチカラ強い語感で、魔除けの薬効あらたかに聞こえた。
「石のように頑固な鉄塔」みたいな、みたいなw。
結局、お土産を「シーサー」にしたのはウチは別れ道に建ってなかったってだけですw。
だから「奥の細道」というタイトルの語感にはなんが怪しい雰囲気を感じてしまうアタシなのです。エロい。
日本語は表意文字と言われます。
象形文字から変化した、字面に意味のある言語です。
そこへゆくと英語なんてのは発音が文字そのものです。
発音記号みたいなものであり、いわば楽譜の音符記号のようなもの。それがアルファベットです。
つまりクチから発する音を全て網羅している文字体系というものがアルファベットということになります。
・・・はて??
「アルファベット」というのは「全てを網羅できる」という意味、と。
だからグーグルの親会社の名前は「アルファベット」なんじゃないか!!
なんてこと!www(笑)。
英語の上達法は「とにかく発声して声に出すことだ」なんて言われます。
とにかくクチに出すこと。
目で読んで理解しようとすることより、まず話すこと、発音することから始めるといい。
そして自分の耳に英語を聞かせる。
そんなことが言われます。
日本語はまず「書き取り」から始めるものです。
やはり言語としての性格に違いがある。
私たちの言葉は耳で聞いてもつい漢字を思い浮かべてしまうところがある。
「英語力」になぞらえればこれはどうでしょう。
文字を読みこなせるチカラというのは「教養」です。英語圏ではそう。
言葉を話せることは「能力」になります。コミュニケーション。
だからってどっちの方が役に立つかは知りませんけど(笑)。
八卦よい!
おそまつ
※ なんか、、、煩いようなんですが・・・(笑)。
あ、その前、今日はなんも買えなかった。
いいのがなかったwww。遅くなっちゃったw。
はいw。
さて、その語感にこだわるアタシとしては気になる曲なんてのもよくあります。
例えばキリンジというグループの「エイリアンズ」という曲。
なかなかの名曲だと思う。
いい曲です。ムードがあるw。
・・・でも、でも、でもぉぉwww(笑)。
いつも聞くたんびにアタシは最後の最後に引っかかるのw。
「わぁぁかぁぁるか。」
それでいいではないか、と、アタシは思う。
どうにも引っかかる。
原曲は違うのです。
「わかぁるぅかい。」
違うんだ。
それだと語感が違う。
どうにかしてくれと、アタシはいつも思ってしまうのですww(泣)。
語感は大事です。
