今日も魚とご飯で美味しく食事をいただきました。
ニシン。
数の子は入ってなかった。腹を割って処理してたもんだから仕方ありません。
余計なことを。
もしカズノコが出てきたらどうしたってのか。せっかくのカズノコをハラワタだと捨ててしまうのか。
そこんとこ、腹を割って魚売り担当者と話し合いたいものですww(笑)。
表示価格一尾198円の札。これが半額です。
でも、値段シールには「160円の半額」なんて書いてあります。
これはきっとミスでしょう。
いただきます(笑)。いただきますともw。
こういうのが嬉しい。
ちゃんとレジでも80円になった。
以前、二食で800円なんてバカ高い生ラーメンに「100円」の割引シールが貼られていたことがあります。
ホントは「100円引き」にしたかったんでしょうが、100円。
あれも何かのミスだったと思います。
いただきましたとも(笑)。いただかないでかw。
間違って貼った人が叱られないようにアタシがいただいたw。
あれからのことですから、今回のこれは久しぶりのお宝ということになります。
気分がいい。
別にいいの。
店側も結構アザといことをしているものです。
わざわざ肉を半額にするのに特売の値段から元の値段に張り替えてから改めて半額に値引きしたりする。
キツネとタヌキの化かし合い。
お互い様というわけです(笑)。
ウクライナ紛争もそんな話だとアタシは思うのですがw。
西側の情報ばかり、アタシは疑惑が深まるばかりです。
一方に肩入れはしない。そんな教訓すら忘れた世界。
さて、最近は一尾の魚を二人でつつくということはあまりやらない。
大きな黒ソイや鯛なんかじゃなくて、鯵とかニシンとかのお話。
漬物とか佃煮、糠漬け、美味しい自家製の「ご飯の友」がやたらとあるので、たいていは二人で一尾をいただく。
この時、魚を半分に切って焼いて、銘々の皿でいただくようにしてる。
開くのも面倒なので二枚にしたりもほとんどしません。
ボディのところからアタマのところと尾っぽの方とでブツ切り。半分に切る。
アタマの方はアタシが食べて尾っぽの方は家内にあげる。
こうするようになったのは食べるペースの問題があるから。
そうでないとアタシが食べるのが早くて家内があまり魚にありつけなかったりする。
アタシが気がついて「ほら、こっち食え」なんて、急かすようであまりいいことにも思えない。
可哀想になるのでこうしているのですw。
銘々の皿で食べるならケジメもいい。
以前、ふと発覚したことですが、アタシは魚の腹の辺りがご馳走だと思ってたけど家内は違うことを考えていたというお話。
アタシはよく太った腹の辺りの肉が美味いと思ってて、内臓もまた味わいがあっていいと思う。
で、時々、尾っぽのところを「つまらない部位」として食べてやってた。
そしたら家内が怒った。
「なんでいつもそこから食べてしまうのヨ」
なんて、今更w。
「尾っぽのところが一番美味しいのヨ。決まってるでしょ。
よく動いて身が締まってるところなんだから。」
そう言って家内は抗議した。
長年一緒に暮らしていて、アタシはずっと「つまらない場所はアタシが食べてやろう」なんて思ってた。
「私が美味しいと思ってるところなんだから、
つまらないなんて思って食べるんなら止めて」
なんて文句を言われた。
長年のアタシの思い込みが間違っていたというわけです。
最近は注意して尾っぽは家内にやるようにしています。
アタシは半分に切った頭と腹を食ってて思った。
家内にはつまらないとこなんだろうな、とw。
「鰯のアタマも信心から」なんて故事があります。
御茶ノ水なら低学年で教わるような故事です。
ヒサヒトは学校にろくに通学もしてないで筑波付属の授業についていけるのかw。
さて、アタシは昔からこの意味について、
1. 「信じてしまえば鰯のアタマでさえ信仰の対象になる」
そういうことだと理解していました。
しかし別の一説にはこれは、
2. 「鰯のアタマを玄関に置いているとその臭さで邪気を払う、そう信じていた人を揶揄したことに始まっている」
そんな話もあります。
つまり、以前にお話した「杞憂」みたいな話に、まあ、近いかも知れません。
また、
3. 「鰯のアタマのようなつまらないものでも祀ればありがたいものに感じるもの」
そんな説もあるようです。
この上の三つの説については、それぞれ微妙にニュアンスが異なるとアタシは感じます。
まず1.は、「『信じる』ということは理屈の必要ないものである」という意味。
そして2.は、「人が何かを信じていることはそうでない人には分からない」、という意味。
最後の3.は、「鰯のアタマはつまらないものだ」、という意味(笑)。
いや、失礼。嘘www。
それは冗談w。
最後の3.は、「『祀る』という行為でどんなものも神聖なものに化ける」と、そんな意味としているのではないか。
この故事は訓戒でもなければ「ありがちなこと」についての共感でもないようです。 いわば「表現」です。
使い方、
「・・・ほら、そこは『鰯のアタマも信心から』なんて言うじゃないか。」
なーんて感じw。
だから解釈や受け取り方は違ってもいいのだと思います。
さて、突然ですがw。 ちぇ、チッ、チェぇぇックっ!
ちぇぇぇぇえええっくううう!!!ww
「鰯のアタマも信心」、あなたはこの故事にどんな理解をしていたでしょうか。
日ごろのモノの考え方とこの故事についての理解、そこに齟齬はないでしょうか。
プリントアウトの必要はありません(笑)。
チェックボックスをさっとチェックしていただくだけですw。
直感的な回答が大事。項目は多い方がいいですから、ちょっと多くしてあります。
素早くチェックしてくださいw。
チェックは自動で数えますので心配ありませんw。
最後のチェックボックスの後にチェックした項目数が表示されます。
レッツギョww!
以下、当てはまるものにチェックをいれてゆきましょう。
お疲れ様でした(笑)。 さて、結果ですw。 上にあなたがチェックした項目数が出ているかと思います。
・チェックした数がゼロから8個までの人。
「鰯のアタマも信心から」とはどんな意味の言葉か、
「祀るという行為でどんなものでも神聖なものに化ける」、あなたはこれをそんな故事だと思っていないでしょうか。
あなたには達観、モノを納得する心があります。
ある意味でとても宗教的な人かも知れません。
趣味や興味があること、物事に熱中することも多い人だと思います。
・チェックした数が9個から20個までの人。
あなたはこの言葉を「何かを信じている人のことはそうでない人には分からない」、そう解釈していなかったでしょうか。
人と人の関係を慮る人、人とのつながりを大切にしようとする人と言えるかも知れません。
人間関係で悩むことはあまりないかも知れません。
あるいは逆に、強く悩んでしまうことがあるとかw。
・チェックした数が21個以上の人。
「鰯のアタマも信心から」とは、
「信じるということには根拠や理屈など必要ないものである」、この故事をそうした教えと解釈してなかったでしょうか。
唯物論的なスタンスからこの言葉を理解しているのだと言えます。
「信じる」ということを信じる。そんなあなたは公正で中立的だと言えます。
しかし自分が強く信じることもあれば、信じてしまうことをひたすら拒絶することもあるのではないか。
難しい人かも知れません(笑)。
さて、この「占い」がピタリと当たるか実はアタシにも分かりませんwww(笑)。
「鰯のアタマも信心から」ということを教えられた時期が強く影響している場合もありますし、あまり使わない言葉だとあなた自身の反映がないかも知れないからです。
ひとつの国語表現として、由来や意味について記憶しているだけという場合もあります。
それが「教育」と言うものです(笑)。
この言葉、近年はあまり使わなくなった言葉ではあるかも知れません。
しかしこの言葉への理解とあなた自身に当て嵌まることに食い違うところがあったとしたらどうか。
どちらがあなたのアタマか尾っぽなのか。
興味深いものがあるのではないか。
それがアタシからの提案です。
太初に言葉ありき、言葉は神なりき
というわけです。
おそまつ
じくまであぶんだけのかんがえです
※ 毎日のように繰り返されるロシア叩きと勧善懲悪の議論。
みなが同じ方向を向く、その危険を誰も考えないようだ。
恐ろしい。
一億玉砕でいこうw(笑)。ってかw。
アメリカがこれまでどれだけの紛争を起こし、介入してきたのか。
健忘症としか言えないのではないか。
今のロシアはまるでイラクに侵攻したアメリカのように見えます。
「居場所を転々と変える」というゼレンスキーは、かつてのフセインかビンラディンのよう。
もし、平和憲法を守り九条改正に反対し、反戦、非戦のポリシーがあるというなら、いいでしょう。
アタシは否定しない。
しかし、そういう考え方をもし貫こうとするなら、日本はウクライナに対しても制裁すべきではないか。
でないと嘘になる。
紛争当事国のどちらにも組しない、支援しないというスタンスがそれではないか。
「アメリカの正義」なんてやってて、真相が違っていたらどうするのか。
アメリカが同盟国であるとしても、こういうことに加担することは決して九条と合致しないと思いますが。
まあ、この議論は改めてお話したいと思う。
今日は鰯のアタマ、自己チェックでホッと息抜きwww。
らたまいしゅう
って、もう日曜だから来週だったw。
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