ウクライナ問題で酔っ払う
バイデンたちが中間選挙を強く意識していたのは間違いない。
無能で痴呆症寸前のニセモノ大統領が騒ぎ立てたウクライナの問題は動き始めた。
なんとしてでもロシアを敵国にしたいのだろう。それに世界は巻き込まれている。
再三にわたってアメリカから挑発とも取れる一方的な発表が続いていたが彼らは責任を取る気などないらしい。
いわく、「ロシアは侵攻する、確信がある」とww。
混乱を作り出し、人の国でやりたい放題だ。
そのくせオデッサでロシア系住民が50人焼き殺された虐殺事件は無視された。
そもそもウクライナは無法なクーデターによって今の親米政権が誕生した。その正当性については西側は一度もコミットしていない。
いつまでもそれでクリミア併合されたことに文句を言っても始まらないはずだ。自業自得だったとしか言えない。
無能のバラクオバマがウクライナで勝手な工作活動をする連中を制御できなかったというだけだ。
再びウクライナは利用されることになった。
で、結局はプーチンは挑発に我慢できずに動いたのか。
彼はこれ以上のウクライナでのロシア系住民への攻撃を防ぐ必要がある。
なぜかこの国でも熱心に、プーチンには領土的野心があり帝国再建の野望があるとも喧伝されているものだ。
ロシア側の言い分はプロパガンダに過ぎないとされ、アメリカの発表は大本営のように世界に垂れ流されている。
アメリカにつかねばならない同調圧力、当座はみんな追従する様子を見せるしかないのか。
事実としてにウクライナはガスパイプラインからガスを抜くなど数々の無法を行ってきた。
ロシア系住民を攻撃するなどの行為は今も行われている。
NATOはワルシャワ条約機構が消滅したにも関わらず同盟圏の拡張を続けてきた。その意味は誰も答えられない。
このまま真実には目をつぶり勧善懲悪のショーに酔いしれるのか。
今の報道や言論には意図が入り真相が分からない。
必ず何かしらの動機があるように思える。
これは今のワクチン関係の話も同じだ。
今回のウクライナ問題はそれに酷似していると言ってもいい。
信頼できそうな情報がほとんどない。
なぜワクチンを打ったのに感染したり重症化しているのか。オミクロンには効かないとファイザーが公言しているワクチンをなぜまだ打たせようとするのか。
ワクチンを打った人々が重症化しているように見えるが検証はなぜされないのか。報道はない。
言論にしても上から目線で専門家気取りが目立つ。
一方がバイデンの怪しさを言えば一方はプーチンを鵜呑みにするシロウトだとやり返す。
どうもプーチンを悪役にしようとする連中の方が偉そうだが不思議だ。どこかから後ろ盾を得ているようにも感じないではない。
これはまるで言論を通じた陣取りゲームでもある。
みなが何らかのポジションを得ようとしている。評論家や知識人の認定を得ようとしているのだろう。
グルグル回る議論ばかりで酔いそうだw。
思ってもないことを言って、どんだけカネになるというのかw。
ともかく、こうなれば西側の結束が試される。東西冷戦が終わっている今、それがどんなものかは不明だ。
ドネツクなど東部地域の独立を承認したことがすなわち「侵攻」だと西側は言って制裁したのだが、これを誰も可笑しいとは思わなかったらしい。
まだ物理的な侵攻は始まってなかったのだがww(笑)。
制裁を発動したのは何についてだ。
「ドネツクの独立を承認した」、そんな言葉だけで侵攻とされるなら韓国など我が国はとっくに経済制裁しておくべき敵国ではないかw。
この茶番劇はアメリカ主導だが、果たしてこんなことで結束できるのだろうか。
バイデンがトランプを意識してパクス・アメリカーナを再び取り戻そうとするなら、西側による今回の制裁はそのリトマス試験紙になるだろう。
私はたいした戦闘は起きないとまだ思っている。
被害者気取りのウクライナ現政権はロシア軍の侵攻に喜んでいるだろうが。
アメリカはたいして介入はしないだろう。
あれだけ不安定な国でよこしまな国のウクライナに肩入れするのは愚か過ぎる。
理科の実験というものを小学生の時代には色々とやった。
そのひとつが「リトマス試験紙」を使った授業だった。
モノには酸性とアルカリ性をという特性があり、これを判定するためのものがリトマス試験紙というものだ。
「青か赤、必ずどちらかになる」こんな教わり方をしたもの。
ペーハー(ph)という概念は教えられなかった。何事もモノには程度があるのだが。
今思えば、教えようとしたことは二元論ということなのだろう。
それを理科から教えたものだったと今では振り返る。
しかし善悪、侵略者と制裁をする西側、なんでもそうして対立軸で捉えることはできない。
ウクライナがどれだけまともな国ではないか、まず事実を知るべきだろう。
あの時、「リトマス試験紙」を使った実験をするからと、あらかじめ先公から説明がされ、生徒たちは家からアルカリ性や酸性だと思うものを持ってくるように言われた。
どうしたわけか、私はこれがアルコールを自由に持ち込んでよいという号令だと解釈した。
前の晩に家にある酒を取り揃え、各種ボトルに詰めて学校に持っていったものだ。
そして授業でリトマス試験紙を使って各種のテストをした。
その結果をまとめるわけでもないし、ただ色が変わったと騒いでいるだけだったから授業なんて適当なものだった。
みなポテチとかジャムとかを持ち寄ってきていて、なぜかそのまま食えるような食品、菓子がほとんどだった。
持ち寄りパーティのようになってしまった。
私も持っていった酒、ワインや焼酎、ウィスキーとかブランデー、これらをマジメな顔をしてリトマス試験紙で試し、みなとワイワイやった。酒を呑むようなこともした。
そうして、授業が済んで昼の時間になって給食となった。
給食を食べ終わると、私は酒をみんなに振舞って酒を飲もうと誘った。
みな抵抗があるようで、飲んだのはごくチョッピリだった。
私は見てみろとばかりに酒を飲んでみせた。
どうして「食後に酒」と考えたのかは覚えていない。
すでにそういう認識があったのだろう。とにかく、昼メシを食べたら試そうとは思っていた。
これまで少しワインを飲むことはあったが、しこたま飲んだのは初めてだった。
昼休みの時間が過ぎても酒が抜けず、赤ら顔のまま午後の授業になった。
フラフラだった。
頭がズキズキした。
私は酔っているのを誤魔化していたが、とうとう先公に酒を飲んだことが発覚して廊下に立たされた。
ただ、予想したより叱られることはなかったと記憶している。
「勝手にしろ」そう思われていたのだろうか。
あるいは注意などできなかったのか。
先公自身も酒を呑んで赤ら顔で授業に出てきたことも度々あった。日教組の集会に出掛けて授業は自習になり、よく昼間から酒を飲んで先公は学校に帰ってきた。
それに「実験で使ったものは無駄にしないように」なんてよく言われていて、残りを給食で食べてしまうとか、持ち帰ることは当然のことに思われた。
そういうこともあったからか(笑)。
理科の実験ではあったが、私には後の飲酒習慣につながったかも知れない。
今では私もいっぱしの呑ん兵衛だ(笑)。
タバコは中学生になってもやる気はしなかったが、酒はチビチビとやっていた。
顔を赤くして酒の酔いに耐えるということをやった。
酔わないように呑めるように努力したほどだった。
昭和のその昔は、飲酒よりも喫煙の方がキツく咎められた記憶がある。
今はケーキでさえアルコールを抜いてしまって味気ない。
自分で作らなければ酒の入った料理などとんと味わえなくなってしまった。
酒というリトマス試験紙は私の頬を赤く染めた。
現実の社会のていたらくに蒼ざめることも多い現在だ。
おそまつ
