癒しの庭はビオトープ、鳥たちの沐浴
とうとう庭に出してあった子供用のプールが片付けられた。
それがやっと取り払われた後は何ごともなかったように肥沃な土が現れ、黒い土が庭に匂い立った。
この辺りの豊かな樹木や草を育んできた土壌だ。
そこに生き物はいつか還る。
主を務めた魚が死に、プールはすっかり乾いてボロボロになっていた。
厳しい凍える寒さの冬や、うだる暑さに水中の空気も薄くなる苦しい夏、幾度もの季節を過ごした金魚はいなくなり、庭で泳ぐ者はいなくなった。
住む人のいない家が足早に時間を急ぎ、朽ちてゆくのと同じだ。 プールは虚しく紫外線にただ傷んでゆくばかりだった。
魚がいなくなっても手をつける気がすぐには起きず、私は窓からカラッポのプールを眺めていた。
やっと弔った気になったのはプールが朽ちるに任せた果てのこと。
あの魚とは十二年近い付き合いだったと思う。
そうして暫くすると、鳥の姿が庭から消えたことに気がついた。
毎朝、あれだけ騒いでいた鳥たちの声は聞こえず、庭は静まり返っている。
サザンカの花をくちばしでほじくりに来たり、こっそり千両の実を食べに来たり、カイヅカイブキにもぐりこんだり。
鳥たちは冬でさえ元気に愛嬌たっぷりで、よく我が家の庭を冷やかしに来てくれていた。
その声が消えた。
毎日、飛んでやって来る来訪客で忙しかったのに、庭はすっかりひっそりとしてしまった。
鳥はウチの魚を眺めるのが目的で来ていたのだろうか。
知り合いの姿を探すように魚の影をプールに探している鳥のことを私は想像した。
ほどなくすると、これは庭に鳥たちが水浴びをする場所がなくなったからだと気がついた。
喉を潤す水さえないのでは用もないということか。
何か水場を用意しておかなくては。
私は納戸に仕舞っておいたベビーバスを引っ張り出した。
まだピカピカだ。
前のプールよりだいぶ小さくなってしまうだろうが、これで鳥たちは来るだろうか。
家内は庭をスコップで掘って小さなプールを埋めようとした。
ちょうどいい具合の形に穴を掘り、そこにベビーバスを落とし込もうというのだ。
見栄えもよくないしプラスチック製のものが庭で大きな顔をしているのも困る。
なんだか放り出したように置いておくのは気分がよくない。
なんとなくやったことだろう、それほど意味はなく思えたがその気持ちは伝わった。
収まるところに収まっている様子であれば鳥たちも警戒しないだろう。
私もそう思った。
水を張ってみると、透明の水が揺れて太陽の光を反射した。
冬の寒さの中よく晴れていて、むしろ暖かな陽射しであるかのようにそれは煌いた。
たが鳥はすぐに来るわけでもない。耳を澄ませても声もしない。
気がつかないのだろうか。
見つけてくれなければ仕方がない。
彼らの間で噂でも立ち、ここにまた水浴びの場所ができたと知れ渡らないと来てはくれないのだ。
魚がいなくなってプールに水がなくなり、彼らを少し失望させたかも知れない。
鳥に見限られたのも、プールが朽ちていった原因のひとつだったように私には感じられた。
それから数日経って今日、家内が鳥の姿を見たと言った。
キジバト、ツグミ、メジロ、ウグイス、ヒヨドリ。
ウチの庭はヒヨドリの来訪が一番多い。
サザンカやモミジやザクロ、木から木へと飛び回る。
水浴びしているところは見なかったそうだが、一羽のヒヨドリが庭木のギンバイカに止まっていたとか。
その羽は全身が濡れていたそうだ。
まるで沐浴をしたように、清めた体をブルっと震わせて澄ました顔をしてたとか。
嬉しい報告だ。
やはり庭木があるなら鳥が来てくれるといい。
このまま夏になればボウフラが湧いてしまうので魚を泳がせないといけない。
今度は小さな金魚でいいだろう。
水を張れば自然に藻が生え、ボウフラを食う魚がいればビオトープらしきものがそこに出来上がる。
水浴びする鳥たち、それを見守る私たちもその一員だ。
時おりヒヨドリたちが水浴びをし、キジバトが水を飲みに来る。
そんな時に出くわすと、家内も私もリビングの中で動きを静かなものにする。
驚かせてはいけない、と。
お互いに邪魔をしないことだ。
そっと窓辺から離れ、つましいビオトープが穏やかであることを願う。
春はもう、すぐそこだ。
※ 気持ちを少し落ち着かせようとした。今日はそんな日。
いつもめまぐるしい。騒々しいアタシ。
ウクライナや秋篠宮家のことでキリキリときていた。
今夜は寒くなって遅くには雪になりそうだとか。
寒いなんて、何を甘いことを言ってるんだと言われそうですが、ウチはエコなのですw。
何枚も服を着込んで室温は8度。
雪深いところは室内は何度ぐらいでお過ごしなのか(笑)。
負けないように、なんて、思っても風邪はひかないよう気をつけるw。
おそまつ
