瓜二つというパラレルワールド
「ロボコップ」というちょっと古い映画があります。
死んだ警官の脳を使ってロボット警官を作る。その活躍。
そんなヒーロー映画でした。
アタシはこの主演俳優といつも混同して間違えてしまう人がいる。
それがエド・ハリスという俳優です。いつもなかなか名前が出てこない。
どうしてもアタシはロボコップの役者とこの人を勘違いしてしまいます。
「ロボコップ」の方はピーター・ウェラーという人。
なんだか雰囲気がそっくりな印象がアタシにはどうしてもあるのです。
そういう他人の空似ってある。瓜二つ。
それは国籍も関係なかったりします。
小泉純一郎とシャル・ウィダンスのリチャード・ギアとか(笑)。
世界のどこかしらには七人の似た人が必ずいるって話もあったはずです。いや、五人だったか(笑)。
七人だと「男は一歩家を出ると七人の敵がいる」ってヤツになっちゃうからwww。
この「瓜二つ」というテーマは掘り下げてみたいところです。
同じ顔、同じような暮らしをしている人間が他にどこかにいるということ。
これを仮定することは「パラレルワールド」を想起させます。
時間は一本の紐で、平行して同じように何本も違う時間が流れている。
運命や偶然、物事には多様な可能性があって、隣の時間の紐はまた別な偶然を紡いでいる。
そこには全く同じ自分がいて、まるで違う人生を歩んでいる。似ているようで違う世界。
そんなお話。
同じ顔をした他人と出会うと、つい入れ替わってみたくなる。
その人の生活を味わってみたくなる。
ついにはお互いの生活を交換しようなんて話になったりする。
影武者、成りすまし、ジキルとハイド、二人羽織、シラノ・ド・ベルジュラック、・・・etc(笑)。
いや何もそんな夢物語ばかりではありません。
我々は普通に双子に神秘的なものを見ようとするものです。
彼ら双子はどこかでつながっているのではないか、一方の痛みを一方が感じるのではないか、などとごく自然に考えてしまうものです。
ちなみに、双子の場合は遅くお腹から出てきた方が「兄」や「姉」ですww。
まあ、これは古い考え方というか、正しくは今は違うのですが、日本は昔はそうだった。
それだからか、今でも双子でそういうことを言う人がいます。
「ホントは先に生まれたんだから自分は弟なんだけど兄ってことになってる」なんて言います。
どうせ他人様の事情ですから我々にはあまり関係ない(笑)。出生日にしたって意外とアバウトに決めてたりするんですが。
こんな双子の話、今でも通用する話だと思います。
普通は日付の後先、双子なら時間で決める。ならそんなに厳密でもないでしょう。
で、この考え方、早く生まれた方が「兄」や「姉」というのが普通ですが、双子の場合はお腹をどれだけ長く占拠していたか、それで「年長」と決めた、そんな風に思えますw。
そういう地域は国際的にもあるらしいですが興味深い考え方です。
日付としてはほぼ同時に生まれるのですが、取り出された最初の方が「弟」や「妹」という考え方。
それは腹の中で双子は「同志」だったという、そんな想像を我々がするからでしょうか。
そしてその母親の胎内は彼らにはあたかもパラレルワールドの交差点だった、と。
双子は目に見えないところでつながっている、そんな風に感じてしまう私たちです。
つまり「瓜二つ」というのは、パラレルワールドなのかも知れないということ。
「生まれ変わったのか?」なんて、「結婚できない男」の桑野もパグ犬に問いかけた。
「生まれ変わり」も、パラレルワールドを思わせます。
双子は片方が死ぬともう片方も死んでしまうなんて話があります。片方が怪我をすると一方も傷みを感じる。なんて話。
一方の時間が止まると片方の時間も止まってしまう。
かつて「きんさん」「ぎんさん」って長寿のお婆さんが人気者になりました。
片方が亡くなると1年ぐらいのうちにもう一人も亡くなっています。
動物や鳥は区別がつかないことが多い。同じ種はみなよく似ています。
動物や鳥が好きな人ほどちゃんと個体の区別がつく。
飼い主には自分の犬と他の犬の違いが分かる。瓜二つというわけではない。
アタシもニシンの雌雄の区別がつけられればいいのにと思う。
どうせなら数の子を持ってるニシンを選びたいからw。
ここでひとつの思考実験をしてみます。
それはパラレルワールドは過去・現在・未来でも言えるかも知れないということ。
同じ顔をし、同じ暮らしをしている人間が瓜二つ、それぞれ違う時間に存在しているわけです。
そこで「タイムマシン」という空想上の機械を考えてみます。
色々と「縛り」の多い空想話ですw。
・過去を変えたら現在が変わってしまう。
・過去はなるべく変えてはいけない。
・過去に干渉してはいけない。
・過去に行っても自分と決して会ってはいけない。
自分が同じ時間と場所で同時に二人存在してしまい、もし出会ってしまったらどうなってしまうのか。
双子を見るとそんなことが具現されているようにアタシは見てしまいます。
しかしこれ、タイムマシンですから過去だけでなくて未来にも飛べるはずです。
未来に関しても禁止事項があるのでしょうか。
それはどうなのか。
未来に時間旅行をして未来の自分に何か言ってやる。アドバイスしてやる。それは大丈夫なのか。
アタシはダメだと思う。
未来を変えたとすれば、やはり過去、現在の前提が変わってしまうとアタシは思う。
未来を変えて帰ってきたら現在も変わってしまっているとアタシは思います。
時間の連続性は飛び越えることを許さないのではないか。
未来が変わったら過去が辻褄を合わせるようにして現在が変わってしまう、アタシはそう思うのです。
あれ?
それって現在の我々が将来設計したり明日の予定を立てたりすることじゃないのか?
「未来」ってのはアタシたちの時間にある先です。
当然変えられるもんでしょうに、と。
未来を見に行って大病してしまうことが分かったら、現在に帰ってきて食生活を変えたり禁煙するとかw。
それどころか、何年か後の自分に会いに行ってもう自分が忘れていること、打ち明け話をするのだって、いいんじゃないか、と。
そんな反駁はあるかも知れません。
でも、将来の予定を立てるとか、現在から連続して未来へ至るのと、タイムマシンで一足飛びに未来へ行くのは違うのではないかとアタシは思うのです。
未来の自分は現在の自分の全てではありません。人間は忘却したり考えを変えるものです。
その上、現在から将来の時点までの積み重ねというものがあります。
将来を左右するのはこれからの毎日、一日ずつの積み重ねです。
その過程をナシにしてしまうことは許されないのではないか。
20年後の自分は「結婚したい」とすっかり考えを変えていて婚活中。過去から来た自分がそれを止めてしまったらどうか。
過去の、「結婚などしたくない」と思っていた自分がやってきて改めて結婚を思いとどまらせる。
そうして現在に戻ってみると、「将来も俺は考えを変えないで結婚しない」と確信できている。生活設計は変えない。
使いたいだけカネを遣い続ける。相手を探したりなんかしない。
すると将来の自分も変わってしまう。タイムスリップの前よりも寂しい老後になってしまうとか、どうか。
タイムマシンで未来に行ったとしても、やはり干渉したり未来の変更は許されないのではないか。
だから、「こいつは将来、間違いなく犯罪を犯すだろう」なんてことが予想できたとしても同じことです。
「今に何かしでかすから教科施設に送る」なんてことは許されない。
まだやってもいない罪で裁くことなんてできません。
中国政府はウィグルで虐殺を続けている疑いがある。
そうなると、「産み分け」もおかしい話ということになります。
検査をしたとしても、障害を持って生まれてくる子を堕胎するなんて許されないことではないのか。
遺伝子検査をして将来自分がかかる病気が分かったとしても、人は自殺などしない。
小説や文学では主人公が「このままいつか自分はトンデモナイことをしでかしてしまう」などと悩む。
それは今の自分に悩んでいるというだけです。将来の自分ではない。
また、死刑は過去の罪に対して償いとして科せられるものです。
「将来、冤罪だったとなる可能性があるから死刑を廃止にしろ」というのはおかしいのではないか。
それは逆も言えてしまうことです。
「将来、大量殺人をする可能性があるから死刑にしてしまえ」というのと理屈は同じなのです。
冤罪というリスクはあるでしょうが、それは我々の社会が背負ってゆくもの。
死刑制度の議論とはまるで別問題ではないのか。
ユダヤ人というのは、どうやら歴史上最も被害を受けた人種に祀り上げられたいらしく、最近はユダヤ人は白人ではないという話になったw(笑)。
ありゃもはや「モンスター人種」ではないかw。
ごく最近、「天使にラブソングを」のハリウッド俳優、ウーピー・ゴールドバーグが叩かれました。
「ユダヤ人虐殺は人道に対する罪」、「ユダヤ人も白人」と言ったら叩かれまくった。
???
ユダヤ人はウィグルで現在起きていることには頬かむりをして、いつまでも被害者様でいたいようでw。
しかし歴史上では、ベルギーが最も大規模なジェノサイドをしたそうです。中国が次点w。
北京五輪やってるんだw・・・(略)。
ヒットラーの素質を持つ者を見つけたとして、今のユダヤ人ならそいつをどうするのか。
「タイムマシン」。アインシュタインがユダヤ人だというのは神の皮肉でしょうか。
どうか
おそまつ
※ 「瓜二つ」から・・・
死刑は容認。
遺伝子検査などによる子供の産み分けには反対。
反ユダヤ。
ウィグルの虐殺に抗議。
「瓜二つ」って、瓜を切った断面が全く同じという意味なんだそうでw。
「瓜が二つあればそっくり」という意味ではない。
知りませんでしたww。
これまた暗示的な話です。
