親の死に目に会えるかどうか
色々と落ち着いてきて、最近はアタシも話をしています。
家内に亡くなった義父の最後のこと、その時の様子なんかを聞いてる。
クリスマスの後、どうやら危なそうだというので家内が帰省した。
色んなことがうまく重なって、家内は親の死に目に会えたことになります。
90歳で元旦に亡くなった。大往生でしょう。
アタシも家内もそう思ってる。
義父からはアタシは疎まれていた気がしますから人物をよくは知りませんが、きっと幸福な人だったんだろうと思う。
義父が病院に突然かつぎ込まれたのは、朝になってのことでした。
「胸が苦しいから病院に行く」と、義父は訴えたそうです。
その前夜、ひどく集中してしまったのか、寒そうな格好をしたまま何かの造作をしていたらしい。
一生懸命に趣味の彫刻みたいなのをやっていたんだとか。
真冬です。90もの歳でそんな寒そうな格好をしていればどうなるか分かりません。
でもアタシもなんとなく分かる。
アタシも風呂に入ろうとしてそんなことがある。
素っ裸になったのになぜかやり忘れたことを始めてしまい、凍えるのも忘れて熱中してしまったり。
風邪には注意しないといけない。
コロナになってからはアタシも以前よりは注意するようになった。
老人特有の複合的な肺炎が重なったそうで、少なくともコロナではなかった。
結局、家族は延命措置をしないと決めて、義父はほとんど眠るようにして逝ったとか。
消防署に勤めている甥が来て「好きなことをやって夜中まで好きな工作に熱中して、それで逝くなんて理想の死に方だw」なんて言ったそうで、妙に家内も納得してしまったとか。
クリスマスが明けて、家内が枕元に駆けつけたのですが、家内が来たことは分かったようだと言ってた。
家内は「お父さん子」で、可愛がられていたから嬉しかったことでしょう。
「親の死に目」には会えたということです。
なによりです(笑)。
アタシはと言えばアタシにはそんな覚えがない。
それで悔いが残ったということもないし、毒親を懲らしめるつもりもアタシにはなかった。
ただアタシは忙しかったというだけw。
アタシには大切な連中でもなかったから。
「まあ、そういうもんだろうな」と、アタシは思った。そんなことを振り返ります。
アタシに言い残す言葉があったとしても伝わらなかった。
そんな言葉などアタシは聞いてらんないw。
昭和の芸能人で山城信吾なんていう人がいました。
バラエティでも活躍し、一世を風靡した人です。
彼は遊びまくって淫蕩三昧、妻を邪険にしほとほと粗末に扱った。
その彼は老齢となり引退し、孤独に老人ホームに入ります。
彼はその死に際、「娘に会いたい」と懇願したのですが娘は会ってやらなかった。
彼は寂しく、無念のまま亡くなった。
謝罪の言葉さえ聞いてはもらえなかった。
自分の所業に後悔したまま亡くなったのでしょうか。
そういう話を聞くと「親の死に目」ってのも色々あるものだと思う。
しかしそれはあくまで看取る側の話ではないか。
お別れを言う側の気持ちに過ぎません。
冥土なんてサッとやってくる。
「今際の際(いまわのきわ)」なんて、想像の産物。
前を向いて走り続けていれば、いつか突然に終わるものです。
だから人は止まってはいけないw。アタシはそう思う。
まあ、鎌を持って黒服のベールが迎えにくるかは知らないけどw。
石原慎太郎は死に際、死の淵にいる恐怖を感じていたフシがあったそうです。
クチを開けて待っている死というものに恐怖を感じてしまった。
彼は言論人としてもはや喋れなくなること、それが一番の恐怖だったと「天気予報」の息子の一人が述懐しています。
あの息子にしてはなかなかの洞察だとアタシは思いますww。
言葉を奪われる苦しみは筆舌に尽くしがたい。
誰も自分の話を聞いてくれなくなることに恐怖する。言葉を発せられなくなることは人間にとって一番の苦しみだと思います。
そのことと「死」というものを重ねたのは作家らしい、石原慎太郎らしいことだとアタシは思った。
別に懺悔や悔悟、感謝の念、言いたいことはそればかりではない。
主張をしたり抗議したり、評価や形容をしたり表現したり。人間として言いたいことはいくらでもあります。
「最初に言葉ありき」、言葉を封じられることは人間として一番の苦しみかもしれません。
ただ、それなら、ウィグルや不当逮捕や拘禁を行っている中国政府の蛮行に少しは注意を向けてもよいのではないか。
アイスダンスショーで独裁者に媚びを売って、それで何を得られたというのか。
ウクライナというゴロツキ国での緊張が今、なぜがでっち上げられたように注目を浴びていますが、その隙に、今もどれだけの人々が中国政府によって逮捕拘禁され、虐殺されているのか。
バイデンらはウクライナで「ジェノサイドが起こり得る」なんて言ったようですが、それって今の中国で起きていることを知った上での表現なんでしょうか。
連中は中間選挙のため、中国の問題を無視し、ウクライナに摩り替えている。
まだ連中はトランプの訴追を執念深く模索しているぐらいなのです。
なんとかして彼の公民権を取り上げたいらしいですが、どこまで民主主義が蹂躙されているのか。
全部嘘っぱちですw。
最近、「トランプはロシアと通じている」などという風説は嘘だったことがハッキリしました。
それどころか、ヒラリー陣営にいた男がトランプがロシアと通じていることをみせかけるためトランプの事務所に侵入して工作していた。
捏造しようとしたのです。
その男は起訴されています。
どっちが「通じてる」んだかww。
義父は密葬というか葬式はせず、家族だけで弔われました。
親戚もみな高齢で、ほとんど亡くなってしまってるかボケてしまっていて、兄弟にも伝えず「おいおいそのうちに」なんて感じだったそうで、暫くしたら納骨するそうです。
「納骨」・・・それw。
昔から「電車の網棚の忘れ物」なんて話があって、よく「骨壷」を忘れてるなんて話がありました。
あれは誰かが取りに来たという話は聞きません。
ああいうのは捨てちまったんでしょうねw、きっと(笑)。
まあ義父は墓を買ってあったそうですからよかった(笑)。
そうして色々と片付いたら、つい先日のこと。遠くの、高齢でほとんど音信もなかった義理の妹から突然に電話があったとか。
「元気にしてるぅ?」ってwww。
しょうがないので「実はね」、なんて話をしたらしい。
そしたら御婆さんがクルマに乗せられて、遠くからやってきて供え物を持ってきたとか。
彼女は車椅子でクルマから降りることもできず、そのまま挨拶だけで帰っていったとか。
何か「虫の知らせ」があったのかw。
葬式なんてのは生き残った人々のためにあるものだとつくづく思います。
香典は結婚式の祝儀と同じで無税です。
働き盛りの夫が亡くなれば、残された子供と妻が苦しかろうと香典を集める。
石原慎太郎にしても、言い残した「葬儀無用、戒名無用、海に散骨せよ」、それは叶えてもらえなかった(笑)。
そして「死に目」さえ、生き残ってゆく人々のものだとアタシは思う。
看取ってやることは故人との想い出の振り返りのこと。
義父が密葬をしたのは元は結婚式場だったと言います。
そこの一室を借りて個人と一夜を過ごし、酒を呑んでお料理をいただいて、翌日、荼毘に付したそうです。
後期高齢化社会ですから、最近はそっちの方がビジネスになる。
この世の出逢いも、あの世への旅立ちも同じ因果ということでしょうか。
涅槃で待つwww(笑)。
おそまつ
※ 「涅槃で待つ」なんてもう忘れた人も多いかも知れません。
今の若い人なんて知らないかも。
それもなんだか寂しいけど。
なぜかアタシは当時すごく悲しかった覚えがあります。
何かを探さないといけないような気持ちになった。
同じ時刻の同じ日、アタシはふらふらと同じ街を歩いていたものだから。
別に有名人というだけで縁もゆかりもなかったのだけどw。
なぜかその沖の心痛というのが胸に迫った気がしたものです。
そして今日は西郷輝彦ですか。
「葵三代」では真田幸村の役をやってた。
徳川の心胆、まこと寒からしめた武将でした。
家康はあやうく討ち取られるところだった。自害も覚悟したとか。
みんな去ってゆく。
