遺品の整理は「形見分け」じゃないか
義父のことで家内は年末に帰省し、遺品を整理して帰ってきた。
亡くなって人の手があるうちにと、義母などから頼まれて「ガラクタ」を整理してきたのだそうだ。
最初は大手のリサイクルショップに持ち込んだらしいが、都合のいいものだけを引き取って他は返された。
それじゃ整理にならないというので、小さなリサイクル屋を知っていると、全部を引き取ってくれる条件で改めて持ち込んだ。
結局、「総額で300円」とか、そんなことを言われたんだとか(汗)。
こういう小さな店でも実は大手に加盟していて、フランチャイズの本部は各地で収集をさせるとオークションやメルカリなどで売るのだという。
こういう遺品整理で出てくるものには良いものもある。いわゆる「お宝」だ。
しかし遺族というのはとにかく早く片付けてしまおうとして投げてしまうものだ。
いちいち、ひとつひとつ個人がメルカリで売るのも大変だ。
そうして引き取ってきて、埋もれているモノの中からめぼしいものを見つけて転売するというビジネスが今は数多くある。
今、モノの値段も高くなっているからこうしたところを利用してみるのも手だろう。
一戸建てでもそうだが、「新品がイイ」なんて時代ではもうないのだw。
しかし、引き取ってもらう側からすればそれほど満足なものでもない。
大手のリサイクル・ショップは引き取りを気軽に応じてくれるがその値段もいい加減なものだ。
店頭で売っている価格の四分の一ぐらいで引き取ってくれれば御の字。
彼らはネットを使って相場をちゃっかり調べてもいる。
モノの引き取りは古物商で届出すれば簡単だが、産業廃棄物処理となると資格には煩い。
だからリサイクルショップは遺品整理に活用できる。
実質はゴミの処分でも、カネを出して捨てるよりいいということ。
数千円、多少の値打ちがあるにせよ、売って処分するのだと割り切ればいいのだろう。
しかし、まあ、こういうのはあまり「筋」がいい商売とは思えない。
今は高齢化でこうしたビジネスが多いが、統合された感じはないからだ。
DXなんて言ってる割には円滑なモノの流れ、公正で自然な循環がないと感じてしまう。
イギリスなんかだと即売会みたいなのがあるし、ちゃんと鑑定もしてくれる。
アメリカなら自宅の前でやるガレージセールがあれば人がやってくる。遺品整理もコンテナごといくらなんて値をつけるセリもある。入札は誰でも自由だ。
売り手が一方的に不利になるということはないのが普通だ。
我が国というのはとかく不透明な部分が多い。
いわく「騙される奴が悪い」という理屈がそこにはある。
そういうことと、「自己責任」なんて言葉を都合よく混同させるのは意図した悪意からだ。
衝突や軋轢を日本人は嫌がるものだ。
安く引き取られたモノに値打ちがあった、騙されたと、文句をつける人はあまりいないだろう。
しかしこういう交渉やクレームを嫌う風潮というのは改めてゆかないといけない。
「クレーマー」なんて言葉は都合よく使われ、自身の言い訳に使われているだけだ。
納得できないなら大いに文句をつけるべきだ。訴えてもいい。
「知らなかった奴が悪い」なんてズルい連中の方便に過ぎない。
結局、家内はそんな値段では納得できず、めぼしいものは除いて引き取らせた。
そしていいと思ったものは宅急便で我が家に送ってきた。
こういうのは事実上の「形見分け」ということになるが、他の家族はとにかく捨てることばかり考えていたそうだ。
送られてきたのは双眼鏡、輝石の置物、錫のお猪口、錫の燗徳利、しっかりした作りの道具類。
硯、墨なんてのもあった。
古いが質のいいラジオなんてもあった。
ちょっと昔のものは壊れにくい。今よりも格段に品質がいい。
「モノづくり大国」の名残りだ。
昔のラジオを分解したら「重りが入ってた」なんてことはよく言われることだが、別に馬鹿にしたものでもない。
「昔は重ければ高級感があると思われた」なんて、何もそんなことだけが理由でもない。
その方が安定しているし使い勝手がいいという場合もある。
動かしたり持ち歩かないのであれば、ちょっとした地震で動いてしまうよりずっといい。
私も以前、「バウルー」というメーカーの「ホットサンドメーカー」が欲しくて探したことがあった。
ネットで売られている新品は今は内部がテフロン加工になっていて、こびりつかないようになっていた。
もちろん使っていればテフロン加工は劣化する。
そんなものは使いたくはない。
ところが初期の「ホットサンドメーカー」は無骨で、そのまま焚き火にくべてもいいようなヘビーデューティー仕様。
金属製で余計なコーティングなどなかった。
しばらく探してようやくリサイクル店で見つけて問題なく使っている。
冬は楽しくて美味しいオヤツだ。
時代とともに進化することばかりでもない。
気がつくと後退している場合も多い。
今、トヨタの製造、納車が話題になっているが、中古車の方がいい場合もあるのではないか。
半導体がないと作れない自動車なんてなんだかおかしい。
ブーブーとガキのように意味のないドライブをしないだけでもCo2は十分に削減できる。
今、家内と送られてきたダンボールを漁っているが面白い。
義父はちょっとしたイイものをちょくちょくと買っていたようだ。
私も散髪のハサミを頂戴したことがあった。
意外と可愛らしいものもあった。
ロイヤルコペンハーゲンの瀬戸物の置物だ。そんなに高いものではないが悪くはない。
べらぼうな値段ではないが、どれもちょっとした雰囲気がある。
こういうのを見ていると、なんとなく義父が買ったその場面が想像がついた。
きっと女性店員にいいことを言われてノボせてしまい、買ってやってたのだろう。
デパートなんかを見て回り、キレイな女性にセールスされて話相手をしてもらう。
それで「駄賃に」と、何かしら買って帰ってきたのだろう、それが私には分かった。
義父は派手に遊んだ人ではなかったようだが、そういうささやかな楽しみがあったのが分かった。
家内は「買ったことさえ忘れてたはずだ」なんて言うが、だからこそだ。
義父の人生に触れた気がしてなかなか考え深い。
「形見分け」で故人を偲ぶ、本来はこういうものなのだと思った。
「カネ」ということで言えば、もし、良い「天然砥石」なんかあればひと財産だった。
鉋の刃、鋼の包丁。規制されるようになった象牙。
昔のものが今は作られておらず高くなっているということはある。
ごく普通の砥石でも混ぜモノがないのであればいくらかはするだろう。
硯はどうだろうか、楽しみだ。
お宝を見る目がなくとも、時代の流れを感じればいい。そうすれば損はない。
「カーテン止め」がゴチャゴチャとあって、ネジだのナットだのと一緒に箱に整理されていた。
それをガラクタだと全部処分したそうだ。
そうして家から遺品のガラクタが片付いてサッパリした部屋となる。
そう思ったらカーテンが気になる。
カーテン止めが壊れていたのが分かったが、もう予備は手元にない。
買うしかないのだ。
笑い話だ。
「断シャリ」なんて煽っていたのがいたが、結局は意味のない混ぜ返しだと思う。
捨てたものはいつか必要になる。
同じモノを今度買おうとするとモノは悪くなっている。
色んな意味で考え深い。
遺品整理は必ず誰かがやる。孤独死したとしてもそれは代わりない。
無理に片付ける必要はない。
わざわざ生活のコストを上げ、質の悪いものを新たに買い求めるような方向というのは、どちらを向いているのだろう。
今の半導体不足は我が国が製造を海外に移転させたために起きているしっぺ返しだ。
誤った国策である「産業の空洞化」は今でも官僚によって続けられている。
トヨタは都合よく下請けを使ってきたというだけで何も責任を果たしてこなかった。
そのくせ「ジャストインタイム」だの「カンバン方式」などと威張った。
しかし結局は持続可能な生産体制、事業ですらなかったのだ。
もはやトヨタは一人前の会社ではないことがバレ始めている。
我が国はいったい、どこへ行くのだろう。
おそまつ
※ 深夜、ちょっと文章を見直して修正してみた。
できればきちんとしたものをお見せしたい。
家内は疲れて眠ってしまった。まだ旅行の疲れがあるようだ。
酒は手元にあるw。こんな晩が心地よい。
当初から見ていた人には違いがわかるのだろうかw、いや、分からないかも知れないw。
私なりのこだわりではある。
相撲はとんでもない展開になってきた。
なにか導かれるように混戦となっている気もしないでもない。
強い横綱に挑み、見事に勝ってみせる。
それもまた大相撲の醍醐味だ。
そしてどんでん返しもまた楽しいものだ。
その驚きの結末に人々は教訓めいたものを汲み取ろうとする。
「物事の流れ」というものを感じようとする。
我々日本人はみな勝負士だw。
誰を応援するでもないが、面白い新春の大相撲である。
