大盆丸よ、しぶとく生きよ
「ウチワサボテン」だと思うが違うと云うの。
家内は「大盆丸だよ」なんて言います。
まあそっちの方が素敵な名前には違いないw(笑)。
これが一度、枯れてしまった時の振り返りのこと。
大きく、それはそれは見事なウチワを広げていたものですが、水はけが悪かったか何か、とにかく葉の周辺が変色して壊死したように枯れてしまったのでした。
家内はこれを鉢植えから抜いて外に投げておいた。
アタシの書斎のすぐ外、外の縁側に無造作に投げられていたものです。
「もうダメだね」なんて家内は言いました。
彼女は何でも諦めるのが早い。アタシはそれが不満だw。
でもアタシは世話をしてないもんだから、釈然としないながらも黙ってたw。
家内はいずれ土に埋めて処分するつもりだったと言います。
我が家では生ゴミは庭に埋めています。
簡易コンポストをやっています。
大きめの使わなくなったアルミの鍋に入れておいて、溜まったら庭に穴を掘って埋める。
アルミの鍋の中では発酵があるようで、蓋が吸い付くようにピタリと閉まる。
昨年の年末にアタシも穴を掘って始末をつけた。
ある日のこと、アタシが書斎の窓からふと下を見てみると、そのサボテンの残骸が見えた。
そこからニョッキリと真新しい葉が出ているのを見つけたのでした。
まっすぐに、まるでツクシのように真上に向かって伸びていた。
まるで「キヲツケ」しているように、毅然としていた。
枯れた葉の残骸から鮮やかな緑色の葉が伸びていたのです。
青々として、もうすっかり一人前というぐらいに大きくなっていました。
家内に言うと植え替えてくれた。
今は寄せ植えの大きな鉢に他の多肉たちと一緒です(笑)。
大盆丸は水も土もないところで、放り出されたまましぶとく生きていたのでした。
ちょっと可愛い。
しぶとく、まだ生きていると大盆丸は主張していたのです。
サボテンや多肉植物にはそういう意思を伝える能力があるなんて話もあります。
テレパシーみたいなもの、自分からサインを伝えようとすると言いますw。
サボテンや多肉は静かで、何も変わらないようでも生命力があります。
ご本人は静かでじっとしているように見えても、代わりにサボテンの住んでいるところは風が吹きすさぶ荒野。
だからなんでしょうか、溌剌とした命が内側に息吹いている。
彼らは厳しい環境で生きてきた種です。
そして主張した。このまま枯れるだなんて思うな、とww。
見かけとは違う。彼らは強い生命力に溢れている。
見過ごさないでよかったww(笑)。
「氷山の一角」という言葉があります。
「見かけとは違う」という言い方。
最近はあまり慣用句として聞かない言い方かも知れません。
氷の塊というのは比重でほとんどが水に沈みます。
上に見えている氷山は下に沈んでいる部分のごくわずかです。
タイタニック号がぶつかって沈没したのはそんな氷山でした。
転じて、何か問題が起きた時、その影にはもっと多くの問題が隠されているのだと、そんなことを表現する慣用句になります。
この言い方は悪い場合に使われることが多い。
見かけとは違う。もっと見えないところに大きな問題が隠されているのだ、と。
地球温暖化という説もあり、氷山が溶けているという話もあります。
いやいや、世の不正が暴かれるならベニスの水没ぐらいなんでもないwww。
透明性の高い、氷のように透明な社会なら生きやすいのに、そうアタシは思う。
確か昔、ウィスキーだったか、その酒を買うと「氷山型」の氷を作れるというプラスチックのオマケがついてた商品がありました。
ちゃんと氷山のような氷ができる。見るからに素敵だった。
まだガキだというのにアタシもこれを買ってオンザロックで一杯やりたくなったw。
しかしやってみると案外と情けない。
「作った」という感じがしていかにも氷が嘘臭い。がっかりしたw(笑)。
今は豆腐のパックで氷を作ってアイスピックで割っています。
そちらの方がずっとロックアイスらしい。
でも時々、氷を割るときアイスピックで手を刺してしまう。
あれは大盆丸からのサインだったかw。
サボテンなだけに(笑)。
おそまつ
※ 客船「タイタニック号」が沈むとき、楽団が演奏をしていたという話。
映画でもそうだった。
非難する人々を勇気付けようとしていた。
必要な場所で必要なことができるのは素晴らしいことだ。
アタシは沈んでゆく船に哀れさを感じてしまった。
悲しくなったのは傾いてゆく船の姿だった。
なんでだろ。多くの人が死んでいったというのに。
生き物は枯れ、朽ち果てる定め。
作られたもの、仕上げたもの、こしらえたもの。
それが朽ちてゆく時が悲しい。
彼らはサインや言葉を送ることができない。
