秋の虫は鳴く虫ばかりでもない
秋の虫が鳴いています。秋の夜長を感じる時です。
夜になると聞こえてくる虫の声。弱い雨でも鳴いてたりする。
もうセミの声はほとんど聞こえません。今年はセミが少なく感じました。
鈴虫は、まるで彦星と織姫のようにお互いが相手を探して優しく鳴いているよう。
出会った二人は秋のうちに子供を作り、そして冬になれば死んでしまう。
「忘れ形見」なんて言うものです。
なーんて、そんなお話ってわけじゃないw。
そんなロマンチシズムを邪魔してくるのがいるwww(笑)。
だって、この時期の蚊、刺されるとスゲー痒いのです。
まだ残っている蚊はやたらと痒い。
家の蚊はいつまでも痒い。
薮蚊の方がむしろスッキリとしている。憎たらしいけど痒いのはすぐ収まります。
この頃の蚊は家に侵入してくる。夏とは違って、寝ている耳元をざわつかせることはしないけど、隙を狙って刺してくる。
まるで痒みで自分の存在を伝えようとするかのようだww。
なんてこと。
ベンチで呑んでて外でも刺される。カイカイw。
真夏でもこんなに刺されたことはなかったというぐらい。カイカイw。
「痒ゅうぅぅい」
「痒いよなぁ」
もーーーう! イヤンなっちゃう!www
家内が面白いことを言った。
「秋の虫なんて言うけどサ、こういうのも秋の虫なんだよね♪」
けだし名言じゃないか。
そーいやGも最近はよく出てくるんだw。
秋って虫の季節なのかもしれません。
アタシは秋は可愛らしく鳴いてくれる虫ばかりだと思ってた。
秋の虫といえばコオロギや鈴虫、マツムシ、キリギリスそんなイメージでした。
でもバッタも最近は産まれたてなのかチビをよく見かけるし、なにしろこの蚊です。
よく家でGを見かけるこの頃。
退治できる時もあるけど逃げ足が早い。
変な黒っぽい蜂的な虫、刺さない蜂、そんな種類も好んで家に入ってきます。
そして迷ってアタシに面倒をかけさせる。
虫たちにとっての世紀末は秋というわけでしょうか。
冬という終末を控えて最後の晩餐、断末魔の馬鹿騒ぎ、とかw。
そう言えばキリギリスが楽器をかきならすのも秋でした。
そうして冬になって生活に困窮するというお噺w。
あの話ってのはどこか気分が悪くなるものがあります。
やれ勤勉だ、やれ貯蓄だ備えだって、貯めるばかりを愚鈍に続けるアリ。いったい誰に押し付けるつもりだというぐらいに意図がアリアリ。
あれを寓話にするっていう、その意図が透けて気分が悪い。
都合よく愚民を手馴づけようとする洗脳にさえ思えてくる。
冬には鍋がある。白菜が雪の下にある。栄養を蓄える季節。ダイコンが甘くなる。
魚はだいたい冬の漁の方が美味いものが獲れる。
なぜ冬を氷河期のように、世界の終わりのようなイメージにしようとするのか。
虫ケラのように人を踏み潰す連中が、冬を世界の終わりと思い込ませている。
そして享楽主義者のキリギリスが傲慢に描かれる。
「ああはなりたくない」、「人民の敵」というわけです。
傲慢さはむしろあの物語自体にこそ感じてしまいます。
「こういう人は冬に苦労します。貯えることを知らず遊んでると大変です。」
知ったことか!
したり顔。
それを「自己責任」となぜ言わないのか。
きっと自己責任では困るのでしょう。人がそれぞれの判断で動いたら利用できない。
そういうのをプロパガンダというのではないか。
財務官僚か! お前らの好きにはさせんぞ!
知ったようなことを言う連中こそが一番ズルく立ち回ろうと考えている。
今年は過ごしやすい夏だったから蚊帳も出しませんでした。
春先、秋と随分と「合いの服」が出動した。
軽めのジャケットなんて、すぐに暑くなったり寒くなったりして「こんなのすぐ着れなくなっちゃうよ」なんてことが普通だったけど。
アタシの血はそんなに旨くないのに。
ラッキョウ食ってサラサラw。
おそまつ
