さらば白鵬、汚れた横綱は逆説的に教訓となった
コメントいただきありがとうございました。
さてまず飛び込んできたのは相撲のニュースです。
どうやら白鵬が引退することになったようです。
最初のヘッドラインはドルジ発のようでしたから、もしかしてこれ、ドルジが引退の外堀を埋めて追い込んでるの? なーんてちょっと思ってしまった(笑)。
最近はこういう無理矢理の話が多い。
周辺から事実を動かすというのがあちこちで目立ちます。「周辺事態」w。
やった者勝ちなんてオリンピック開催と同じ論理ということでしょうか。
KKと秋篠宮眞子の結婚だって、いきなり出所不明のアドバルーン記事でした。
ニューヨークで暮らすことになっただの、結婚へだの、まるで決まったことのような記事。
いつから皇族が国民の許可もなしに勝手に決められるようになったのかっ!
この件、今、カネをせっせとマスコミに秋篠宮らが配って既成事実化しようとしています。
乗せられた自称ジャーナリズムのクソ評論家どもも騒いでいる。
若い二人をなぜ祝福できないのか?って? 冗談じゃないw。
これは今そこにある危機だってえのwww。
いかがわしいと少しでも思われる人間を皇室に近づけてはいけない。
日本国民の財産を何だと思ってるのか。
お前の孫を茶髪の吊り目、ラクガキの反社にくれてやりゃしないだろうに。
ピント外れもたいがいにしてもらいたい。
連中には人権も何もない、自由もない。その責任を果たさせよ。
腐りきった不埒な淫蕩に明け暮れてきた皇族など断首してしまいなさい。
徳川の世ではそういうことがちゃんとあった。
「後陽生天皇」の時代、「猪熊事件」というものがありました。
主犯格は秋篠宮、ヒゲ、おまえだ!
・・・ま、まあ失礼。
ともかく、白鵬が引退するそうです(笑)。
あまり大きなニュースとは言えませんが、このタイミングは笑うしかないw。
九月場所終了翌日、このタイミングを狙ったというのはやはりミテコ的です。自分を見てみてとやるあのやり方です。
「ミテコ」との元祖は正田美智子。頭に妙な皿を載せてほっつき歩く醜い勘違いババアです。
白鵬というピエロは土俵を去り、最後まで反省をすることはなかった。
正直、彼の奇行意外に取組で何か印象に深いものが思い出せない。
しかしそれにしても、なぜこうも道を踏み外した連中が看過されてしまうのか。
日本人の甘さを考えないわけにはゆきません。
それほど透明性の高い、責任ある社会が嫌いなのか、アタシは問いたいww。
白鵬という横綱の問題というのは、実は力士たちの問題ではありませんでした。
というよりも相撲協会の指導の問題だったことでしょう。
親方連中は白鵬を最後まで正しく指導できなかった。
看板の横綱がいなくなると相撲人気が落ちてしまうと、白鵬を甘やかすだけしかしなかった。
そしてそうした相撲道への指導がなかったから白鵬は四十何回かという優勝回数につながったのです。
それは白鵬のやり方にどの力士も乗ってあげ、挑んでいただけだったから。
相撲取りは土俵上の勝敗、星の数だけを考える人たちではありません。
彼らは技や心、礼儀、立ち居振る舞いなど全体的なところでカッコよさを勝負している人たちです。
勝てばいい、なんて、そんな相撲取りは唾棄されてしまう。
値打ちがなくなってしまう。そうなればカネも人気も集まらなくなります。
だからみっともない負け方はストレスになるし、逆に見事にやられればやられた方も嬉しいものです。
今場所、豊昇龍が土俵際で若隆景を見事な一本背負いで投げ飛ばした。
あれは素晴らしい相撲だった。
別にあれで負けた若隆景は落ち込んだりはしませんでした。
むしろその後、若隆景は調子がよくなって見えたぐらいでした。
見事に大技でやられた自分がいる。それもカッコいいのです。
同じようにいつか自分もやってやりたい、そうして奮起する。
それがお相撲さんというものです。
逆です。悔しくなんかありゃしません。
その後、豊昇龍が霧馬山にひどい変化で負けてしまいました。むしろあの方が彼にはコタえたはずです。
翌日もそのダメージ、ガッカリ感を引きずっていたのは明らかでした。
あまり白鵬の無様さについて言葉を尽くす気もしませんが、ひとつだけ、白鵬はなぜ四十何回も優勝できたのかということはお話していいと思います。
それは他の関取たちが乗ってあげていたから。
彼らはみな横綱の地位に経緯を払っています。
それが相撲というものを支えている価値感のひとつであり、自分たちを担いでくれる土俵の仕組みなのです。
だからその横綱が張り差しやエルボー攻撃をしてきても、彼らはそれに歯向かったりやり返したりすることはしない。
避けたり逃げることさえしないのが普通です。
それは「横綱だから」ということに尽きます。
あくまで横綱に立ち向かうこと。
それを受け止めて、それでもその白鵬のやる流れの中で勝とうとする。
だからこそ勝てば嬉しく殊勲の星です。
これは何も八百長というわけではありません。
たいした待遇ではないのでお相撲さんは横綱なんか目指さない、そんな巷の悪口でもない。
お相撲は「よい取組ありき」なのです。だから、テーブルをひっくり返して勝負に勝とうとはしません。勝ってもカッコがよろしくない。
それを力士たちみんなが分かっていたということ。
その上で彼らは結びの一番、横綱との土俵に立ったのでした。
だから、彼らのクチからは白鵬への非難など聞かれることはなかった。
自分の立つ土俵を穢しているのは自分ではないのです。それは白鵬の勝手というものです。あくまで自分は自分。それがお相撲さんです。
しっかり稽古して横綱のやりたいやり方に乗ってやり、その上で勝とうとした。
優勝というのは後からついてくる。
まあ妙義龍のようにいよいよとなると自分の値打ちと優勝の値打ちで緊張してしまうこともあるでしょう。
だから何度も言いますが相撲は厳密にはスポーツではありません。格闘技でもない。
力士たちが「強くなりたい」というのはココロの意味でもある。
品性や品格、その土俵上での振る舞いも含めて、白鵬を批判したり指導するべきは協会の親方たちだったはずでした。
それができなかったから、悪夢のような薄っぺらい記録ができてしまった。
白鵬は批判には差別問題などと持ち出したぐらい勘違いをしていた。
彼は未だに分かってないに違いがありません。
記録というのは数字に過ぎません。PERがどんなに高くても上がる株は青天井。
ファンダメンタルズは作れもする。過信は禁物です。
ああ、そういえば某国でもそんな薄っぺらな記録がありましたwww。
クソみたいな曲をYouTubeに上げて、自作自演の再生回数100億回越え。
前代未聞の記録です。
なーんてのがありましたwww(笑)。
そして世界の大ヒットだと主張して嘲笑された。あれも大記録です。
白鵬の優勝記録はまさにあれに匹敵するでしょう。
お相撲さんたちは白鵬のここまで汚れ方を見てよく教訓としているはずです。
ここまでくるとまるで地に墜ちたほどの汚れっぷりですから。
不祥事や態度、悪いこともありますが、ここまで土俵の上を穢すというようなことをした人というのはあまりいない。
日常的にヒューマニティーというかそんなのを前面に出して人気をとろうとする知恵がありながら、こういうのが分からない人というのはちょっとない。
そういえば美智子なんてそれそのものです。
アレから伝え漏れる美しい言葉や人間的な慈愛のポーズ、それら全ては結局は自分のためでしかない。その心はヘドロのような欲望の黒い塊。
自分を飾るためのものでしかなければどんな言葉も空虚なものでしかない。
意味などありません。
お相撲さんというのは、良く言われないと落ち込むものです。
彼らはとても穏やかで臆病で、優しい。
だからお相撲さんは励ましや応援をとても大事にしています。
批判だけはされたくない。気をつけています。
それはご自分の相撲の心を批判されることにつながることだから。
だから白鵬を見ているからこそ、自分はちゃんとやろう、そういうのはあったかも知れません。
その意味では逆説的ですが白鵬は汚れた横綱として、それなりの役割があったかも知れないのです。
司馬遼太郎の話にこんな逸話があります。
相撲取りたちが京都四条だったか、どこかをある晩、酔っ払って歩き暴れていた。
よく月の見える晩だったといいます。
関取衆が7、8人、やりたい放題、暴れていた。
そこに通りかかった勤皇の志士のグループが一喝する。
相撲取りたちはこれにからみ、向かってきます。
侍たちは刀を抜くや一刀のもとに相撲取りたち全員を切り捨ててしまったそうです。
体などバラバラの状態。
所詮は生身の人間です。
「筋肉の鎧」とか「鉄の体躯」なんていいますが、それはあくまでお相撲でのお話。
あるいは「安寧を願ったり」「寄り添ったり」、それは皇室のお言葉です。
その場所が穢されないよう日々の精進、精神修養が必須なのです。
おそまつ
