ユダヤ人、相撲取りになれるかなれないか
相撲取りになっとけばよかった!
そんなことをアタシも冗談で家内に言う事がありますwww。
「俺も相撲取りになっとけばよかったかも知れない」、なんてw。
オンナはあてがわれ、旨いメシはタダだw。
世間では人気者、くれるものばかり。寝床には困らない。
稽古だけしっかりやって本番は年四回、15日間を頑張ればメシどころか出世さえ出来る。
何にも考えないで呑気に暮らす日々、よかったろうなぁ、なんて(笑)。
しかし家内は断言します、
「相撲取りは馬鹿じゃないとダメよww!」
いや、アタシも結構なバカなんだけどナ・・・(笑)。
今、「大相撲ちゃんねる」というのがYouTubeでありまして日本大相撲協会の公式チャンネルです。
彼ら大相撲協会はコロナ禍で収益が減り、色んな企画をやってる。番組も作って流してる。国技館カレーなんかもそのひとつ。なかなか頑張っています。
最近は動画番組は軌道に乗ってYouTube動画にもコマーシャルを載せるようになりました。
その番組表に「親方ちゃんねる」というのがあって、生放送。終わったら録画も流しています。
取り組みそっちのけの雑談、ファンとのチャットw。
まるで我々が大相撲を観戦するようにして、ただ冗談を言ってくっちゃべる親方たちが楽しい。
この九月場所真っ盛り、今日もお喋り全開ですw。
無理のない笑い、引きつったようなドヤ顔はなし。
腹にイチモツある小ズルイ顔、邪悪なタレント・漫才師はひとりもいない。
わざとらしいワイプもなく、俺を見てくれの出たがりもなし。
まさにただのデブ、元関取の親方たちの雑談番組ですww(笑)。
おすすめですw。

今場所、そこで初めて聞いたことなのですが、遠くはイスラエルで入門志望の若者がいるそうです。
彼は格闘技を経験し成績も優秀、相撲に恋して力士になりたいと熱望しているとか。
一部では話題になっているようです。
名をヤルデンさんと言って、ツイッターもお持ちです。 https://twitter.com/YardenYatkovski
なんとかして入門を果たしたいということで、色んな部屋へ入門希望の手紙を書くなど地道な活動をしているとか。
YouTubeでもアピールをしています。
そして日本でも支援しようという人たちも出てきたといいます。
しかしアタシも彼のツイートを見てみましたが、少し痛々しいものがあった。
日本語への自動翻訳、その分を差し引いてもちょっと違うと思った。
どうも分かってない気がした。
正直、アタシは彼には入門は無理だと思った。
なぜ彼に入門は無理なのか。
まず第一に彼は相撲道というのを勘違いしているところがあります。
結論から言ってしまえば彼は「強さ」を勘違いしているから。
そして「勝負」を、「努力」を、「天命」を勘違いしているのではないか。
そもそも相撲は格闘技ではありません。
相撲は格闘技の体裁をしてはいますから、全否定はしにくいのでしょうが、厳密な意味では相撲は格闘技ではありません。
相撲は神事。みんなしてよい相撲、良い取組を観戦し邪気を払おうとする我が国の祭祀のひとつです。
だからその勝敗も成績にしても実は中味がなければいけません。
技や心、そしてカラダ、そうしたもの全てを「見せる」というのが相撲です。
ヤルデンさんが相撲といものを「カッコイイ」とか「美しい」と思えるのは、そもそも相撲がそうしたものだからです。
彼が相撲に憧れれば憧れるほど、相撲は遠ざかってゆく。アタシにはそんな気がしてしまいます。

また逆に、「強い」ということの意味を勘違いされたままの人がいると相撲界も困ることになります。
そもそも「強さ」とは何か。「相撲での強さ」とは何なのか。
それはルールの範囲であればとにかく勝てばいいということではない。
他の力士に怪我させちゃ困ります。「強い」とは土俵の上での強さです。それはルールというものを越えてあるものです。
本来はそれが「強さ」というものなのです。
だから、実際のお相撲さんというのはみな乱暴者でもありませんし、実に優しく、むしろ臆病なものです。変な人がいたら逃げてしまうwww。
人間的に豊かな精神も伴ってないといけません。
ただ勝てばいいというなら格闘技にでも行くしかない。
事実、相撲界から弾き飛ばされた人たちは格闘技へと移っています。
このことは、結果として「相撲を格闘技と勘違いしていた人たちが居場所を失った」ということになります。
つまり相撲のことを理解できる人でないと、もともと入門する資格はなかったということです。

注目すべきはヤンデルさん入門について、「入門が無理」な理由として元横綱鶴竜が言ったことでしょうか。
元横綱は「親方ちゃんねる」でちゃんと言っています。彼はちゃんと見てあげている。
それは年齢のこと。
これもきっとご本人は納得はできないでしょう。
なにしろこの人はまだ若いように見えます。彼より随分と歳をくった力士も土俵にいるのですから。
しかしこれはただの年齢ということではありません。
精神修行も、相撲を理解することも、全てひっくるめて体得する時間ということになります。
だからほとんどの力士は若いうちに入門してくる。
語弊がありますが「バカ」と言ってもいいぐらい幼さの残る子供らです。
そして徹底して相撲の心を叩き込まれ、相撲の世界で生きていくことに馴らされます。
彼らは共同生活をしながら相撲取りの暮らしを通じて相撲道というものを何も世の中のことを分からないアタマに吸収してゆくのです。
それでも途方もない時間がかかる。
大学相撲の人たち、彼らは実は大学ですでに同じことを教えられているから途中から入ってこれるというだけです。

そうして相撲取りは生活から何から何まで相撲漬けになるわけですが、同じ力士仲間を敬う気持ちや尊重すること、怪我をさせてはいけないという配慮、色んな制約があった上で初めて土俵の上での勝負事というものが成り立ってゆきます。
だからこそ、怪我なんてものは「自分の責任」だと言われるのです。
取組の相手は怪我なんかさせようとは絶対にしない。
もちろん白鵬のような横綱もいますw。
若いうちから入ってきたのに横綱になりだんだんとおかしくなってしまった人もいます。
だからこれを修正するというのはとても難しい。横綱になった者を追い出すわけにもゆかない。相撲界が自らの枠組みを壊すわけにも行きません。みなが頭を抱えているのはそうした事情です。
しかし、それにしても、今の白鵬が相撲道を本当に分かっているかというと、誰もそうは思わないでしょう。
よくある言い方に「努力する」、という言い方があります。
努力というのは誰でもできること、誰でもやれることのように聞こえますがそれはちょっと違うのかもしれません。
すなわち、「努力すれば誰でも相撲取りになれるわけではない」
ということです。
そしてそれは、
「誰でも努力させてもらえるわけではない」
ということになります。
選ばれた人だけが相撲取りになるのです。
子供の頃から純粋培養された人たち、相撲取りになるべくしてなった人たちが土俵の上でシノギを削るのが相撲です。
飛び込めば誰でも土俵に立てるかというとそれは違う。

このことは、「選ばれた人だけが努力させてもらえる」ということにつながります。
世の中には、いくら頑張ろうとしてもやらせてもらえない人はいます。
立場やクラス、階級やカースト、育ち、、例を挙げればいくらでもあります。
私たちは「努力した」なんて普通に言ったりしますが、本当は努力させてもらえること自体に感謝しないといけないのかも知れません。
オリンピック選手などはここを勘違いしています。
やってメダルを取れればこっちの勝ち、負ければ残念。
それでは負けたら意味がない人生だったということになります。
そしてそれなら、負けるだけで意味のない人生になってしまうのなら、もともとメダルだって意味はない。
五輪が終われば意味などない人生ということになります。射的屋の景品程度の値打ちしかない・・・。

誤解を怖れずに言いますがww、相撲界のような狭い世界で暮らし、力士たちは人生を送っているのですから彼ら相撲取りはバカです(笑)。
彼らはどうにも世間からズレたところがあります。
でもそれが相撲界、お相撲さんなのです。
彼らには担がれるだけのバカさ加減があり、陽気さがあり、そして勝負事で埋め尽くされた多くの時間がある。
「相撲の世界に飛び込んでみよう」、言うは簡単ですが、実はそれはもっと運命的な経緯を経たものなのです。
そこには天命といわざるを得ないものがある。
「やってみよう」では済まない。
その意味では、ヤンデルさんが相撲に選ばれる人かというとそれは疑問です。
そして付け加えれば、相撲道をまがりなりにも体得し、他の相撲取りたちと安心して取り組みをしてもらうようになるには、その時間はあまりにも足りないということなのです。

だいたい、もしそんな腕っぷし自慢の人を不用意に入れてしまって、取り組み相手に怪我をさせてしまったらどうでしょうか。
預かった子供の人生はどうなるのか、相撲の礼節はどうなるのか、親方なら誰でも考えることです。
とてもじゃないけど相撲なんて成り立たなくなってしまいます。
「勝ち負けではあるけど勝ち負けではない」そういう日本的なところ、矛盾のあるところが理解できるようでなければとても土俵には立てない。
真剣だけどいい加減、そこが分かってないような気がします。
実はみな、どの力士も肌感覚でこういうことを知っているものです。
バカなりに分かっているwww。
彼らはその上で、白星だ黒星だ勝ち越しだと言っているのですw。
中東の力士というと相撲界には大砂嵐という幕内力士がいました。
ヤンデルさんもご存知かも知れません。
残念ながらクルマの運転、小さな事故隠しなんて取るに足りない不祥事でやめてしまったけど、彼はそれまでモスリムの戒律を守りながら相撲を取っていました。
ラマダンという、モスリムの断食をちゃんと挟んで相撲を取っていました。
このことを思わずにはいられません。だからアタシは不思議に感じた。
ヤンデルさんが、いとも簡単に「ユダヤ教の戒律も相撲のために捨てられる」とした発言にはとても疑問を感じたからです。
これは何でもそうですが、大事なはずのものでも目的のために捨ててしまうということへの疑問です。
それは覚悟でも何でもない。
信用できないということでしかない。
これは簡単なことです。
ならばもっと欲しいものができたらどうなのか、今度はいとも簡単に相撲を捨ててしまうのかということ。
目的のために手段を選ばないというなら、その目的もまた手段となってしまう場合があります。
こうした感覚は日本人にはあまりないものです。
おうぞどだいじに
最後になりましたが、ヤンデルさんがもし相撲を愛するというなら、「スカウター」として日本とイスラエルの橋渡しをしてみてはどうか。
それもやはり海外から日本の相撲を支えるということになるでしょう。
若い、相撲取りに選ばれるべくして生まれてきたようなイスラエルの才能溢れる子供を日本の相撲部屋に紹介するようなことにチャレンジされてみてはどうか。
アタシはそう思います。
あせいちょうごりがとうございました
※ いや・・・・・(欝)
なんか真面目に書いてしまったけど・・・これ、ネタってことはないよなぁwww(笑)。
ヤンデルさんって、「病んでる」ってwww。
ちゃんとイスラエルのユーチューバーみたいだし。
最近、そういう冗談も多いから。
まあ、アタシはちゃんと説明したつもりなんだけど、、、。
実は担がれてたりして。
「担ぐ神輿は軽い方がいい!」
って、おいおいwww。
おそまつ
