見上げる栃の木は大きく
き、来た。・・・
と、とうとう。
や、やつが帰ってきたぁぁああああ!
背筋ピン子ぉぉおおおおお、さぁぁんんん!
いやぁ、いついらっしゃるかと、首を長くしてお待ちしていたでございますよ(笑)。
興味ない人には申し訳ないですが、この人のことは別だw。
なんかここ四日ばかし、ピン子さん定位置、向こう正面東方、花道端に似たような黒服の方がいらっしゃってまして、でもなんか違う。
ビトンも見当らないし、、、背筋がさほどピンとしてねーんですww。
さては、曲者! 影武者かっ!www
なんてことをねw。思ってたぐらいでして(笑)。
楽しみがまた増えました。お帰りなさいませww(笑)。
「散歩」と、いうわけではありません。
長いところ歩いてゆくちょっと遠くの農家に行ったのでした。やっと今年唐辛子を買いに行くことができた。
どこかを捻ったのか膝がここんところ痛くて、ちょっと遠出は無理だった。
しかしもうすぐシーズンが終わってしまいます。
なんとか先日、ヨイチョ、ヨイチョと、頑張って買いに行ったのでしたw。
やっと激辛のハバネロ、福耳、長唐辛子を入手できた。満足です。
ハバネロは軽くミルにかけて粉砕し自家製の唐辛子ピクルス、いわゆるタバスコを作ります(笑)。
出来た酢漬けは激辛です。
手袋して仕込んだけどちょっと手についたら何時間もヒリヒリしてた。痛えw。
辛さはデスソース以上です。でもオーガニックなのは保障つき。
酢と塩、砂糖少々。
今年は瓶詰めして半分は冷凍へ。大事に使うことにしました。
今年はいつもの農家には「牛角大王」がなかった。
アタシが買う唐辛子はみな辛い。
ただ、福耳や牛角大王はピクルスにはしません。
そのままカジったり料理して使います。
「福耳」という品種はピーマンのように肉厚でポッテリとした特徴がある唐辛子です。緑色ですが干して熟すと赤くなります。
そのまま塩をつけてカジるとヒリヒリくる。でも水々しくてそして辛さも爽やかです。
スーーーッと辛さが消える。
ビールなんかにとても合います。
長唐辛子はどちらにも使えます。ピクルスにもいいし、そのままカジるのにもいい。
アジアでは料理を頼むと、「サブジ(野菜)」などと言って、ザルなどにこうした各種の唐辛子が盛られてきて出される地方があります。
タマネギの生なども自由にカジって楽しめる。
唐辛子やアクのあるタマネギをカジりながらの食事は最高です。
あちらでも福耳や牛角大王によく似た唐辛子があります。
アタシが行く農家で入手できるのは他にハバネロと長唐辛子だけ。
激辛ですからさすがに引き合いは少ないのか、栽培している農家はわずか。
自慢の自家製タバスコは冬の鍋に最適です。
鍋の薬味にするとクセになるほど楽しい鍋になるのです。
ちょっとだけ、それこそ耳かき一杯だけでも辛い。
ヒーハーーーw!ヒィヒィィイぃぃいいww!
そんな感じwww(笑)。
だけどそれで汗がでてカラダが温まる。
家内なんかは油断して大目にかけてしまうと眉をしかめて怒り出す。
「辛いヨ!」
予想外に辛いと怒る人がいます。
そういう人はまだ子供なのですw。まだネンネだww。
地団駄踏むほどの辛さ、そこをこらえてストレスを発散させる。
煮詰まったストレスを溶かす、溜まったオリを洗い流す。
これまで嫌なことを感じて流した悪い脂汗なんかを、爽やかな唐辛子でかく汗が流してくれるというわけです。
唐辛子があれば人生訓など必要ない!
文句なし理屈なしの辛さが一瞬で気分を変えてくれる。
こんなにありがたい自然の癒し、恵みはない、そうアタシは思う。

唐辛子の種類、一覧できるよいサイトがありましたのでリンクを貼ってご紹介。
なかなか充実した内容だと思いました。
あ、このブログもリンクフリーです、念のためww(笑)。

高級スーパーには売られていますが、京都野菜の唐辛子も辛い。
あそこでもハバネロなんかよく作られているようです。
それにしちゃ京料理で辛いのはあまり聞きませんが・・・。
ともかく、唐辛子は辛くて美味しいのが色々あります。「当たり」の万願寺ごときでヒーハー言ってる場合ではありません。

帰り道、実が落ちているのを家内が見つけた。
ここは遊歩道になっている散歩道。
残した保存樹が茂って気持ちの良い道です。
ツバキの実かと家内は言った。
それにしては大きい。実も見えないね。
少し前、アタシは脇差を手に入れてから暫くツバキ油に凝っていた。
機械油でもいいのですがそこは真剣につけるのにはムードがなさ過ぎますww。
ツバキ油はカタナの手入れにいいのですが、でも、高いのですw。
で、ツバキの実を絞ればできるという話を聞いた。調べてみると搾り器を自作した人がいました。
ブログを見るとなかなか大変そうです。
自動車のジャッキアップみたいなのを応用して作っていた。でもわずかの量しか絞れない。
ちょっとeBayを見てみると、ちょうどいい搾り器が売られていました。
ツバキの実でもオリーブでも、なんでもこれでみんな絞れるといいます。
しかしまあ、お高い。
でも、なんだか中国人がやたらとこれを買っているようでした。
ブームなんだとか。
なんでも中国では売られている食用油がまるで信用できないそうで、今どきは何が入っているか分かったものではないと、それで木の実やらナッツで自家製の油を絞るのが流行っていたんだとか。
アタシ、つい、食用に売られてるものが信用できないなんてどんな世界だよ、なーんて思ってしまった。
いや、しかし、日本でもカネミ油の中毒事件なんかがあったのです。
あれは被害者への補償はまだ片付いたわけではないそうです。
水俣病もありました。薬害もあった。何事も疑ってかかるのは大事かもしれません。
で、見ると、どうもツバキの実ではないようです。
私たちが下を向いて観察してると、そこに派手なカッコウをした婆さんが通りかかった。極彩色の模様のブラウスにグラサン、白髪。ロシア人のように思えた。
「これよ」なんてひと言、教えてくれて去っていった。少しナマっていたような気がした(笑)。
保存樹なので名前が書いてあります。「トチノキ」とあります。
太くて見上げれば大きな木です。
葉っぱも大きくて落葉なのでしょう、枯れて葉脈が薄くなっています。
「これ、聞いたことあるよ。トチ餅とかつくるんじゃない?」
「ああ、聞いたことあるナw」
「それにトチノキって高級な木じゃなかった?将棋盤とか?」
「それは違くね?」
(※ これは誤り。将棋盤にするのはカヤだそうです)
あちこちに落ちているのはこのトチノキの実だったのでした。
しかし肝心の実が見当たりません。
実の殻しかない。
どうもこの落ちた実は残らず中味が採取されてしまっているようなのです。
「えええぇぇぇぇえ!」
家内が気がついて驚いた。
「おいおい、腰が抜けるぞww(笑)」
どれも実を包んでいた殻、それしかない。
みんなキレイに割れて中身がどこにも落ちてません。
誰かが収穫しちゃったんだw(笑)。
ゴイス。
なんちゅうアーバン・サバイバルかw。
アタシも公園で梅を採るから、あまり人のことは言えませんけどw。
季節はドングリなんかも落ちている頃です。
栗も店頭に並んでいます。
そういう時期なんでしょう。
そのうちギンナンも落ちてくる。
土俵にはおカネが落ちている(笑)。
見上げると空を覆いつくすようにして大きな葉のトチノキがそびえています。
注意して見ると結構、歩道沿いに生えています。
樹齢からしてこのあたりに昔から生えていたものでしょう。この道沿いが保存樹になった。
どのトチノキの下にもカラッポの実の殻しかありませんでした。
「パチンと自然に弾けるのかもねw。
そしたら実はありそうなものだけど・・・」
まだ往生際悪く家内は栃の木の下で立ち止まっては探しています。
先を行くとさっきの老婆がいた。
遊歩道のベンチに腰掛けてタバコをくゆらせている。
こちらの様子を黙ってじっと見てた。
沈黙が、まるで漫画のようにタバコの煙で形になっていたw。
日本には古来から技師として多くの外国人が招かれています。近代になっても捕虜になってその後に住み着いたという人も意外と多い。
彼らが関わって会社として成功し、現在も残っているところもあります。
面白い逸話が沢山あります。
ローマイヤ、ユーハイム、モロゾフ・・・etc。
そうして名前の残った人たちは有名ですがもっと無名の多くの人々がいる。
各地の「外人墓地」、「クリスチャン墓地」なんてそうしたことが偲ばれる場所です。
「孤独のグルメ」に出てきた、先日の「かたせりの」の回ですが、あそこに出てきた鎌倉のドイツ料理の店、彼らもそんな二世たちなんでしょうか。
「捕虜の末裔」か「招聘技師の末裔」か、どういういきさつかは知らないけど。
駐日インド大使の子供が開いたカレー屋なんかも有名です。
「ナイル」というの。東京は銀座、歌舞伎座の通りを挟んだ横に店があります。
そういえば、織田信長の連れていた異人に「弥助」という黒人がいました。
彼のその後の消息は知られていません。
その魂はどこへ消えたのか、まるでトチノキの実のように見えなくなってしまった。
おそまつ
※ トチノキというと春日野部屋を連想します。
大相撲がやってるから(笑)。ピン子さんも来たし(笑)。
春日の部屋とトチノキは関係あるんでしょうか。
現役力士の栃ノ心が筆頭。
最近引退して親方になった「シャケ」こと栃煌山。
他にも栃乃洋、栃栄、なんて人たちがいました。
みんな「栃の木」の「栃」という字がついている。
栃乃洋ってのはピカチュウです。
なんであの人、あんなにピカチュウなのか・・・www(笑)。
見ると第27代横綱の栃木山という人が部屋を開いたそうで、近代最強の力士とされています。
亡くなった後に相撲界初となる勲四等瑞宝章を贈られたといいますから相当なものだったようです。
彼が開いた部屋が春日の部屋、それでこの部屋にはよくトチノキの栃という字が使われるんだとか。
ふーーーーん(笑)。
かつての「にばーーーい、ニバーイ」の高見山、その部屋が最近あっさりと取り潰しになったのは元高見盛が親方指導に自信がないということで逃げたからwww。
まあ人格的にもしょうがないということで部屋は閉じられた。今も勝負審判で眩しそうな目をしているのが見れます。
逆に、こうして連綿と継承を続けて伝統を守っている部屋もあります。
今の春日野親方は面白い親方。
そんな伝統を守るタイプには見えないけど、なんか憎めないwww。
はっけよい
