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またやらかした白鵬、道を外れた横綱やいかにw

いよいよ名古屋場所千秋楽!
 前座興行とばかりに事件が起きたwww(笑)。

 先日の白鵬のやらかしぶり、あれはとんでもないものだった。

 白鵬はこれまで、何度もああいう相撲道を踏みにじるようなことをやってきた。
 「進退のかかる場所」であったからなおさらのことだろう。

 相撲協会は彼の考え方を直してやることができず、相撲人気が出ればいいと無責任に放置するばかりだった。そして意味のない白々しい記録だけが積み重なってきた。

 まるで呪われた時代、平成のミテコの時代によくマッチした間違った横綱だったとつくづく実感し振り返ること。

 どれだけの人が昨日の白鵬に怒り心頭になったろうか。






 さすがにオリンピック開会式出演が目標だなんて公言してはばからない横綱のことだ。やはり「勝てばいい」そうして誤魔化してきた44回優勝だったのだろう。


 コロナ感染が広がろうが人生の思い出にオリンピックを開催して欲しい、「メダルが取れればいい」、そんな今、正体の知れた狂気の五輪アスリートたちと通じるものがあるではないか。


 さすがに相撲を担ぐことを自認してきた北の富士も怒りを隠さなかったようだ。

 昨日の白鵬の取り組みは「奇策」なんてものですらなかった。
 「相撲」にもなっていなかった。
 つまり相撲と呼べる勝負ではなかった。

 仕切り線で構えず、白鵬はぶつかることから逃げた。
 ノロノロと立ち上がりそして棒立ち。
 相手は戸うばかり、どう対応したらよいかさえ分からなかったに違いない。

 相撲から逃げるという醜態、それを横綱という最高位が土俵でやらかしたのだ。





 これは先日に話したこと、「注文相撲」という意味を考えれば分かることだ。
 それは相撲というものの基本を教えてくれる。

お互いに仕切り線で手をついて見合って、
 相手と呼吸を合わせてぶつかるというのが相撲の勝負の始まり、基本なのだ。


 それができない取り組みは一時シノギの例外でしかない。
 立会いを変わったりいわば「注文相撲」にしろ、イレギュラーに小兵力士がやらかすこともあるが本流ではない。

 いくら美辞麗句を弄しても、所詮は小兵力士である。
 どんなに頑張っても横綱にはなれようもないのは明らかで、悲しいかなせいぜい頑張れと温かい目で見られるのが関の山だ。
 そういう現実も相撲は包み込んでいるのだ。

 相撲には体重制限はない。
 その上で「相撲」というものを見せる「興行」だ。
 
 しかし、だからと言って相撲の根本にツバをすることはあってはならない。
 横綱という立場の者がやらかしたことはそれに当たる。

 白鵬はみっともなくオノレの恥を晒した。しかも本人がそれをまるで分かってないというのもまた相撲ファンには悔しいことだろう。





 しかし分かってない人というのは白鵬でなくてもいる。

 当事者であるために混乱してしまうのか「ルール」というものがあると考えてしまう。
 こういうこと「大相撲の心」や「魂」というのを大事にし、中のみなが切磋琢磨しなくては人気も続かないし錆び付いてゆくのが末路だ。

結局、「相撲」の体をなしていなければ醜いデブの裸踊りに過ぎないのだ。


率直に言って、ふと我に返って画面を見直してみればどうか。
 そこにいるのは男たちだ。
 画面の向こうにいる、「オトコ芸者」と呼ばれる男たちはダラし・・・(略)

 いや、、、よしとこうw(笑)。





 例えば一人例を挙げると、かつて関脇まで活躍した嘉風という力士がいて、今は中村親方となっている人がいる。
 彼はプラベートの事故で引退を余儀なくされた。

 引退後、異例のNHKの正面解説に呼ばれた。
 正面解説は基本的には大関、横綱経験者、あるいは長老格ということになっているから異例の抜擢だった。
 納得のできようもない引退となってしまった彼への慰めの意味もあったのだろう、二度ほど放送席に呼ばれただろうか。

 その頃は中村親方は欝気味であったけど、解説の中でふと漏らした言葉があった。


 行司が何度も立合いが合わないことで相撲がよく止められた。
 力士が仕切り線を少しはみ出ているように見えたところを指摘して、彼は言ったのだ。

「例えばこれなんかも、どのぐらいまで出たらいけないのかとか、そういうことがハッキリしないままなんですよね。」


 中村親方が言いたかったのは、仕切り線をコブシがどのぐらい出ていたら違反なのか決まってないということだった。
 「両手を付いて立ち合え」といっても、まだ曖昧なところがあるではないか、相撲のルールにはハッキリしないところがある、そんなことだった。

 残念だが間違いだ。





 彼のような「努力家」と言われた人、あれほど相撲を愛した人でさえ相撲の本質の全てを分かっているわけではなかったりする。

 ちょっと残念なものを感じた覚えがある。


 仕切り線をコブシの先が出たらイケないとか、仕切り線から下がるのはどこまで許されるとか、そんな細かい規定など相撲には実は必要ない。
 
「お互いに呼吸を合わせて立つ」
その目安が近代では仕切り線に手を付くということになっているに過ぎない。

 だから、よく見ていれば両手をついてないで成立している取り組みも多い。

 あれを「行司に見えてない」とか「上手く誤魔化している」とか、「行司によって采配に違いがある」などなど、色々言う向きがいるがどれも正確ではない。
 間違っている。


 仕切り線に手を付いているかどうかですらない。
 もともとはそういう采配はなかったぐらいなのだ。相撲のやり方が変わったわけでもない。

 お互いに呼吸を合わせようとして立ったかどうかだ。
 それを行司は見ているということ。
 すなわち、

両者が心を通じ合わせているかどうか、だ。

 ちゃんとどの行司にもそれが見えているのだと私は思う。






 我々観客は大相撲を「興行」として楽しみ、満足のゆく取り組みを要求する。
 それは相撲の本質を作る視線であり、相撲道そのものを形作る。

 その要求が理不尽だと反抗するのは、損を出しているのに「相場が間違っている」と言ってしがみついている投資家と同じだ。


 彼ら相撲取りはその主役として土俵に飛び込んだ。
 その運命に挑み、悩み、迷い、その葛藤の中で「相撲道」とは何かをその中に見い出してゆく。それが彼らの人生となってゆく。
 だからこそ引退後は親方となって後進の指導をしたりする。

 何も関取はノンキな遊び人ではない。
 食っては寝て、オンナをあてがわれて酒を呑み、そんな人生を全うできるわけがない。


 そして、道を外れた者が救われることがないというのもまた厳しい現実だ。
 我々観客はそれさえも冷たく見ているだけだ。


 五輪メダリストたちが薬物やレイプで逮捕されても我々は何も感じるところはない。
 オリンピックのアスリートなど祭りの消耗品であり「使い捨て」のようなものだ。

しかし今や、そちら側で相撲を取ってきた白鵬には優勝しか残されていない。

 さて結びの一番! お立会い! はっけよい



おそまつ


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