「注文相撲」という言葉の意味を考える
注文相撲。そんな言葉がありますwww。
これはよく言われる相撲用語なのですが、いささか難しい言葉だと思います。
ググッてもどうもハッキリしない。
わかったような分からないような説明しかありません。
ちゅう‐もん【注文/×註文】
[名](スル)
1 種類・寸法・数量・価格などを示して、その物品の製造や配達・購入などを依頼すること。また、その依頼。「酒の—をとる」「新刊書を—する」
2 人に依頼したり、自分が希望したりするときにつける条件。「原作者の—にこたえた演出」
3 「注進状」に同じ。
4 文書。かきつけ。
「各々聞き書きの—に子細(しさい)を載せられたり」〈盛衰記・二七〉
今、大相撲名古屋場所がたけなわです。
それでちょっと「注文相撲」という言葉が気になった。
考えてみました。
一般にはこれは「相撲の変化」を表現する言葉です。
変化とは相手の立合いを交わすこと、正面からブツからずにズラすことを言います。
そのことを別名「注文相撲」と言うのですが、このお相撲の独特の言い回し。
わかりにくいのは何が「注文」なのかということww。
自分からズルいみたいに横に動いておいて、いったい何を注文したってのか。
注文と違うからダマしたようにして勝ってしまったんです。
むしろ取り組み相手の方が、「おい!ちゃんと立ち会ってくれよ!」って注文したいでしょうにwww(笑)。
「お相撲いっちょう!」なんて注文したら相手が真っ直ぐに突っ込んできたので、こっちは油断とばかりに横に動いて勝っちゃった、ってw。
「注文と違うのが来ちゃった」、そういう風にも考えられるw。
これはどうなのか。
相撲というのは、お互いが正々堂々と呼吸を合わせ、まずは立ち上がってぶつかるところから始まります。
お互いのカラダをまずはぶつけ、そこからの攻防と相なるしきたり。
ところが最近は体格差も目立ってきて、相撲も多様な取り組みが許されるようになってきました。
日本の闘牛で勢子(セコ)なんて言葉がありますが、係りの人が牛同士の角を合わせてやって、ガツんとぶつけるようことがあります。
相撲も本来はそれでしょうが、それでは勝負にならないことも多くなってきた。
それで今は代わりに、仕切り線にちゃんと両手を突いてから立つということが厳しくなったわけです。
行司さんは手をついてないとよく止めるようになった。
「まだまだっ!」
行司の木村容堂なんてすごく厳しいw。ピリっとしてよく通る声が気持ちがよいw。
実は昔のお相撲さんは手つきなんて、あまりうるさく言われませんでした。
これはごく最近の傾向です。
しかし少なくとも基本、相撲というのはまずはガツンとぶつかるところから始まるのです。
いくら体格差が目立ってきた、だから両手を仕切り線について始めるようにしたとは言っても、「立ち合い」という、お互いに呼吸を合わせるということは「作法」として厳然とあります。
それでも、立ったはずが身をかわしたり、横に逃げたりズレたりして勝機をつかもうとしてしまうことがあります。力士としてはどうしても勝ちたい時がある。
それを「注文相撲」というのですが、真のココロはいかに。
つまり相撲の前提を考えるべきなのです。
「注文している」というのは相手に対してのものとしたら、どうか。
「俺はお前のその呼吸には合わせない。」
「俺はズレるからナ、どうだ、ついてきてみろ。」
そういう「注文」をしている、そう考えた方がいいのでしょう。
つまりヘンテコな相撲(料理)を注文してきたということです(笑)。なにしろ相手に合わせないんだからwww。
「立ち合いに注文をつける」という言い方はありますから、そう考えたほうが間違いはなさそうです。
しかしこれはそもそも相手の呼吸をズラす奇策です。
本来が正々堂々としたぶつかりからの相撲が理想ですから、こういう奇策というのは必ずしも褒められた相撲ではないと言われます
やられた方は「注文をつけられちゃった」と言われ「恥」でもある。
奇策にひっかかるというのはココロに隙や油断がある、と。
つまりこの言葉を使うのは本来はお相撲さんではない。
我々観客が取り組みを評して、「おいおい、そりゃマズいだろう」なーんて、「注文をつけられちゃったよ」、なーんて無様な取り組みを評すること。
それが「注文相撲」ということなのでしょう。
つまり観客が投げかける言葉なんだ。
力士として注文されるような相撲を取って恥ずかしいでしょうに・・・と、そういうわけですw。
もっと言えば、相手がそんな気にならないぐらい、逃げらようもないぐらいの気迫で仕切って相手を見据えていなければいけない。それが相撲道だ、と。
卑怯な注文なんかする気にさせるな、と。
これは相撲というのが「興行」であることを思い出させます。
勝てばいいとか、とにかく相手をねじ伏せればいいというのが相撲ではない。取り組みの内容がなにより問題なのです。
ちゃんと正々堂々とした態度を見せる、その上での勝利です。自分というものをお客に見せて、チカラや技をみせつけて勝つのが正道。
だから「注文の余地のない立派な相撲」ということになります。
なんだか「注文相撲」と聞いただけではそのココロは曖昧ですが、我々観客は楽しませてもらう権利がある。
「真剣なお相撲」とは、我々観客の求めていることありきなのです。
それを「ヤラセ」と考えてしまうところに近代の価値感が入り込んだおかしさがある。
対していよいよ強行開催迫るオリンピックですが、スポーツというのはただの記録に過ぎません。
必ず塗り替えられ、やがて忘れられる数字に過ぎない。
ところが相撲というのはそういうのとは違う。
ただの記録ではない記憶、みんなの「記憶」に残るよう頑張ってきたのでしょう。
オリンピックなんて穀潰しのような自称アスリートたちの猿回しとは違うのだと、甘やかされたアスリートへの軽蔑が増してゆくこの頃のアタシなのでした。
最近、ますます大相撲ファンになったw。
おそまつ
・・・それにしても、「ご注文は?」なんて言い方をしますが、あれも意外と失礼なものなのかも知れません。
お安い店だと注文するんでしょうけど、お高いところ、一流の料理人の店ならお任せです。
「客との呼吸ってもんがあるだろう、客が何を食いたいか読めよ!!」
って、、、ちょっとたいていの店では難しいでしょうけどw・・・。
まあ、寿司屋でカレーを注文できるのは名古屋ぐらいだからwww(笑)。
おそまつ
※ いや、だって名古屋のステーキの名店で「鎌田」というところがあるらしいですが、、、。
北の富士が贔屓なぐらいですから相当なものなんでしょう。
でも、カレーライスがメニューにあったりします。
あれはどういう・・・(略)w
つまり、そこが名古屋だ(笑)。
いや、失礼。
それにしても、メニューを見たけど牛の刺身なんてメニューになかったぞ(笑)。
裏メニューだったのか。
