階段の蹴上がり
「階段の蹴上がり」
というものがあります。
階段を一段一段上がる時の、その踏み板の側面のこと、それが蹴上がりという部分。
最近、ちょっと酔った勢いでそこを蹴り飛ばして抜いてしまった。蹴り抜くような感じになってしまった。
こういうことをやるから、よく「家で転んで骨折した」なんて話もあるんでしょう。
なぜか往年の大女優や歌手なんかがそういう怪我をしたというのを聞く。
気をつけないといけませんww。
直してもどうにもガタがきています。
ちゃんと裏からタッカーなんかで止めないといけない。
しかし階段下は収納になっていてモノが結構あるんだ。
片付けないで蹴上がりの後ろまで辿り着けるかどうかww(笑)。
蹴上がりは薄い板が貼ってあるだけです。
階段を支える「構造体」とは言えません。
こんなのは意味がないと取っ払ってしまい、向こう側が見えている階段というのもあります。
洋風の住宅なんてそんなのがある。
ツルツルの、よく磨かれた板張りの床が滑りそうな、ログハウスみたいなのによくあるスタイルです。
ただ蹴上がりは湿気とか通気のコントロールとかの役をしている。階段下にホコリが溜まらないようにとか、色々と隠れた意味はあるのです。
それに薄い板でも立てれば垂直なチカラには踏み板を支えることができるのか、そんな気がしないでもない。
階段を踏むたびに踏み板がたわむなんて気持ちが悪いものです。
余計なものと思っても意外と役に立っていたりする。
階段はたいてい北とか日照の悪いところに作ります。
その下はいつもやや低い温度。冷えています。
冷気は流れ込み暖気は対流する。家が天井裏に暖気を溜めるのと反対のことを階段下や縁の下はやっています。
現代の家ではその階段の下をモノ入れや納戸など、収納にしたりするようになりました。
これはあまり巧くないそうで、階段下がガランとしていて冷えた空気が暖かい空気へと流れ込んで通気がよくなるんだそうです。
そうすると通気がよいからカビが発生しにくいというわけ。
だからあまり階段下の収納が賑やかではいけません。
記念の壺だの食器、果ては衣類なんかでパンパンになっているのはよろしくない。
「断シャリ」なんて最近はよく聞きますから、ならばそこを片付けてはどうか。
ウチもこれは反省しないといけない。
何から何まで仕舞いこみパンパン。
ストアには食品、階段下には工具や交換部品です。
でも、どうせ使えるのにむざむざ捨ててしまうと、どうせすぐに必要になって困ることになる。
必要もないカネが逃げてゆく・・・。貧乏人は予備、ストックが必要なのです。
蹴上がりってスリッパが大きなものを使っていると痛むのです。
試しにと階段をズルズルと下りて御覧なさい。
ゆっくりと盆を持っているような感じで引きずるように階段を降りるの。
そうすると爪先から降ろしたスリッパの足、カカトが後からついてきてパタンと蹴上がりに当たるから。
日本家屋なんだから足袋にしろなんて言いませんが、気をつけないと痛みます。
ちょっと気をつければ百年や二百年もつ日本家屋、なぜみんな新築がいいのか不思議でならない。
長年の風雪を経てきた家屋にはシックハウスも害虫もいません。
バランスの取れたエコシステムがあります。
ともかく、おかげで、このところ階段の上り下りで階段がミシミシと音がするようになってしまった。
ガチンと、踏み板を踏むと大きな音さえする。
でも、これはいい。なーんてアタシは呑気に思ったもので。
坂本竜馬じゃないけどw、誰かが忍び込んで階段を上がってくればこれでたちまち分かる。
脇差は寝室の床の間にある。
家内が風呂に入って気配を感じてくれるかどうかは分からないww。
あるいは「話せば分かる」なんて、アタシは命乞いも言いたくないwww。
賊がやってきたら迎えてやりたいものです。
だから「いいさ」なーんて放置しておいた。
ある日、いつからか分からなかったけど、いつの間にかその音がしなくなった。
どうもまた元のサヤに収まったような感じ。
「元のサヤに収まる」なんて言います。
カタナのサヤ、つまり刃物のケースですが、あれはみなそれぞれ一意というか、それぞれのカタナにはそれぞれ専用の鞘というのがあります。
鞘を間違うとどうも収まりが悪い。その拵えが悪くてもいけません。ピタリと収まる「べき」ものなのです。
それがちゃんと元に戻ること。それで「元の鞘」と比喩に使われるのはよく知られたお話。
これ、畳も同じなのです。
畳はカーペットじゃありません。一枚の畳は正確な長方形ではありません。
だから、畳を引っぺがして同じ長方形だからと、別な位置や向きに置くとうまくハマらないことになる。微妙に歪んでたりして同じじゃない。
パズルみたいになっちまいますww。
だから畳屋さんは畳表の交換なんかを頼むと、ちゃんと今の収まっている向きと位置をマークしてから取り外してゆきます。
家は呼吸している、生きている。
老骨にムチ打って、アタシらのために頑張っている家です。
おうぞどだいじに
