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紙入れというダンディズムについて

 その昔、フィリップ・マーロウという私立探偵がサンフランシスコを舞台に多くの物語を作った。
 強さと優しさの狭間を不器用に生きた男の物語だ。
 それを「探偵小説」と、ただ片付けてしまうのは忍びない。

 彼は「紙入れ」というものを使っていて、それは「セダン」とか「コンバーチブル」なんて言葉と同じような不思議な響きを私に感じさせた。

 豊かなアメリカという標識、象徴があったのだろうか。それは子供の頃の私に強い印象を与えた。

 「紙入れ」。
 あれは今で言えばなんと説明したらいいんだろうか。






 紙にちょっとした走り書きをしたもの。書き付け。
 それを集めて挟んでおくものだ。

 ダイナーのナプキンでもいい、Barのマッチでもいい。
 メモ帳などを持ち歩いてやってもいいが、その空白が何かしら嫌だw。
 転記するその動きが邪魔だ。

 とにかく、いちいちメモ帳の白いところを探して書き留めるというのが私は嫌でならなかった。

 だから用ができると、そこらの紙を使ってメモを取り挟んでおく。
 それの束をしまっているのが「紙入れ」というものだ。


 いくつかポケットもあって、名刺や思い出の写真やらを雑多に差し込んでポケットにしまえる。
 それはどんどん膨らんでゆき、最後は無造作に輪ゴムなんかで止めるようになった。
 ヨーロッパで暮らし、ふとしたことから私はそれを習慣にするようになった。

 不思議なもので、「紙入れ」なんて縁などないと思っていたものが、ふとしたことからこの「紙入れ」というものを手に入れることになった。
 あちこちへ出かけ、その「紙入れ」は太っていった。


 クリスマスか何かのプレゼントとしてアパートの老管理人からもらい、すぐにその時から私はその紙入れをまるで昔からの習慣のように自然に使い始めたのだった。









 それはボロボロになるまで、あちこちの国を私と一緒に渡った。

 ホテルのアドレス、女の電話番号。
 仲間の電話、友人の電話、緊急時の連絡先。
 レストランの名刺、拾いものの仕事。


 家内と知り合った頃、私はすでに二代目の紙入れを使っていて、やはり昔と同じようにメモの整理のやり方を踏襲していた。

 「システム手帳」というのが流行り始めたのはバブルの頃だ。
 家内とはバブルの頃に知り合った。
 私はそんな、システム手帳の時代でも「紙入れ」で過ごしてきた。

 雑多な、紙の破片を集めて持っている、そんな私を家内は不思議そうに見た。
 まだ少女の眼差しだった。







 当時、私が持っていた二代目の紙入れは、日本の地方、どこかの古びた文房具店で偶然に見つけたものだった。
 古びたカビ臭いもので、主人は厄介払いとばかりに譲ってくれた。
 値段などないようなものだった。

 店主も用途を知らず、わざわざこんな汚いものをと、なかなか売りたがらないところを無理を言って、なんとか譲ってもらった皮製のものだった。
 そうして私は縁を感じ、その二代目の紙入れを使っていた。


 一代目の紙入れは、集めた紙やメモとともに、まるで眠らせるようにして机の引き出しにしまった。
 そこにはイタリアの娘の連絡先もあった。


 私は引きずっていたものをとうとう封印したのだった。







 やがて家内とのこと、彼女との予定がその二代目の紙入れを一杯にしていった。

 いい加減に二代目の紙入れが古くなった頃だった。

 ある年のクリスマスの日、どこで見つけてきたのか嫁は皮製の立派な紙入れを私にくれた。
 クレジットカードがたくさん入るような立派な紙入れだった。


 それがあまりにピカピカだったものだから私はなかなか使うことができなかった。
 まるで家内との暮らしが古ぼけてゆくような気がして、私はその紙入れを習慣にはできなくなった。

 「三代目への交代」に私は失敗したのだった。
 それから「紙入れ」とは疎遠になった。

 ついにはパソコンやネットの時代となり、紙入れを使う習慣はなくなっていった。

 今はせいぜい手製の財布にメモが突っ込んであるぐらいだ。
 それでも昔の習慣が残っているのか、私の財布には訳の分からない書留めがある。


・天然の、まな板になるような木の種類を列記したもの。
・階段を上がったところに置こうと思っている家具のサイズ、その幅と奥行き、
・PCの交換部品の型番、
・時計の電池・電子体温計のバッテリーの型番
・グラフィックボードのシリアル番号
・家内の名前が書かれた家内の手術の時のタグ

今はそんなのが雑多な紙に書いてあって、私の財布に放り込んである。

 もちろん、それぞれ書き付けた理由はある。





 昔はもっと、そんな書留めたものが多くて、たっぷりと挟まれた紙入れを使っていた。

 また「紙入れ」を使うことがあるんだろうか、私はそんな風に振り返る。

 今の財布は手製だ。
作ったものをやっと半年後におろしてから遠慮なしに使ってきた。
 だんだんと味が出てよくなってきた。
 緑色の財布だ。
 なかなかよい。


愛用するものが持てることは幸せだと私は思う。
自分と歩むモノ、それをスリ切れるまで使い続けることは幸福なのだと思う。
 こちらの心がスリ切れてしまうより先に、使ってきたものを見送って代を代わり、机にしまいこむ。

 過去を封印できるだけマシというものだ。


 もうコンドームの跡を財布につける歳でもない。
 財布も長持ちするようになった。
 私のタネなどとっくに尽きているはずだw。


おそまつ


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