泣けてしまったこと
早めに酒が入って夜が長く感じてしまう。
失った女性のことをこのブログで話したことがあった。
もちろん、家内以外には言ったことはない。
あくまでこのブログだけでの告解だ。
検索してくれれば出るだろうから、リンクはちょっと差し控える(泣)。
それはもう、遥か昔の振り返りのこと。
彼女を失ったことを知っても私は泣けなかった。
実はあの話には続きがある。
それはハッピーエンドだったかも知れない。
私にはよかったことだったかも知れない。
だが終わったことは自分には幸福とは感じられなかった。
このことはよく思い出す。
それは勝手気侭に生きてきた人間が、突然、雷に打たれた瞬間だった。
それは慈愛であり、感謝に溢れるような雷だった。
ただなんというか、ひたすら泣けてしまったという話でしかない。
風の便りのようにして私は別れた彼女の死を知った。
そして子供の存在を知った。
だが泣けることはなかった。
誰でもそんな風に人を見送っているものなのかも知れないと思う。
泣けることもあり、なぜか泣けないこともある。
涙が枯れしまったわけでもないのに。
失ったと知らされたものは時すでに遅く、ただ遠くのものにしか思えず、まるで現実感がない。
残された者はありのままに受け入れるしかない、私はそんな運命の非情を知った。
砂を噛むような空虚さしか感じず、そこには悲しみがなかった。
運命の前には誰しも無力であり抗うことなどできない。
ただそれを思い知っただけでしかない。
あの日から、また十数年という月日が経ち、たまたま私は健康診断を受けることになった。
海外赴任をすることになって、事前に色んな検査をし、予防注射を受けるべきか検査する必要があったのだった。
慌しい検査がひと通り終わると、医者に別室に呼ばれた。
「君に関してはC型肝炎の予防接種の必要はない」、医者はそう切り出したものだ。
「分かるか?」
医者はそんな感じのモノ言いをした。
C型かB型か、A型だったのか、それも今となってはうつろだ。
どういうことか?
何のことか、さっぱり意味は分からなかった。
続いて医者は諭すような顔をしてみせ、改めて事情があるような風に私に告げたものだ。
「君にはきっと昔のことだろうけど、そのw、性的な接触があったろ?」
「君は以前にそのパートナーから貰っておって、抗体を君は持っているんだ。」
「・・・まあ、せいぜい、その人に感謝しなさい。」
そう医者は告げたのだった。
その意味を飲み込むと、立ってられないぐらいの衝撃に襲われた。
その場に倒れこみそうになったほどだ。
衝撃にグラグラと脚が震えた。
見つめる医師、そして看護婦の姿、ユラユラとその姿と部屋が蜃気楼のように揺れた。
考えてみれば今、それが肝炎だったことは覚えているが、C型だったかB型だったか、Aだったかも、もう定かではない。
性的な接触によって感染し、人は場合によっては抗体を持つ。
まるで記憶が飛んだように、その時の宣告の衝撃だけを私は記憶している。
にこやかに見つめる医者は事情を知っているように見えた。
理解する時間を与えるためか、彼はそのまま黙っていたものだ。
別れた彼女との性交渉で、彼女はもうひとつの贈り物を私にしてくれていたのだった。
なんということ。
その肝炎が原因だったのだろうかは分からない。彼女はもとから避妊にひどく神経質だった。
しかし若い男女はもともと避妊に神経質なものだ。
だからその真相は分からない。
どういう経緯で感染したのかは不明だ。
ひどい喧嘩別れをした時、お互いに鬱憤のはけ口のように性交渉をして、避妊をお忘れたものだ。
まるで今生の別れのようにした交渉だった。
その日、酒もなしに私は寝床で泣き続けた。
音楽もなしに。
彼女がくれた抗体こそが音楽なのかも知れなかった。
さらば想い出の日よ
※ この話は書いている途中のままずっと放り出していた記事でした。
「逃げはいけない」と思った。だから記事は少しだけ直した。2022/1/5。
今回、家内が留守の家で意を決してまとめようと思った。
色んなことが人生にはある。つくづくそう思います。
小さなものから大きなものまで、動かすチカラだヤンマーディーゼル!
いや、なんとなくそう思っただけw(笑)。
はあ(欝)。
私のことを理解してくれる人たちがいる。
このブログで通じている人たちがいるかと思うと、どうしても話したくなった。
ずっと書き進めようと煩悶していた記事です。
きっと「ブログ」ってそんな自分への癒しもあるんでしょう。
ね。
おそまつ
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