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悩み多き昭和の時代の春を振り返る

別れがあって新たな出逢いが訪れる、そんな新たな旅立ちの季節。
 春。
 こんな季節に逝けるというなら本望というものだとアタシなんかは思います。

 しかし満開の桜に囲まれて命を散らすことなどなかなかない。




 いえ、しかしネww。
 アタシがこんなところで言っても詮無いことかも知れませんが、北の富士勝昭、アンタのことじゃありませんヨ。

 どうやらアンタは最近、「横綱の引き際」に感無量のようだ。
 横綱の地位を尊重するがゆえに断念していった潔かった時代とその人々を思い出しているとか。

 だが、アンタはもう横綱じゃない。ただの解説。
 そこに品格も「それなりの地位」なんてのもありしゃしない。
 だから解説から引退なんて、叶いませんぞwww。

 アンタは元横綱だが今はただの解説者だ。
 「引き際」なんて、もはや考える立場ではない。

 それこそ、その人生最後の瞬間まで相撲の解説を気侭にやって、我々を楽しませて欲しい。





 さて、しかし桜も本格的に咲き乱れ、本格的な春ではありますが、まだ時折、風が強いのがたまにキズです。

 昔は、三月三十一日の深夜、いよいよ四月になろうというタイミングで、キャンディーズの「春一番」という曲が必ずラジオでかかったものでした。

 まだ彼女たちの解散コンサートの記憶も新しかった頃の振り返りのこと。


 タムタムタイムとか、セイヤングとか、歌うヘッドライトとかオールナイトニッポンとか、そんな電波が夜空を飛び交っていた。
 そんな深夜の時間帯。

 「赤頭巾ちゃん食べちゃうぞぉ」、なんてのもありましたw。

 ハガキ投稿も恋の悩みばかりでした。


 我々はなぜあの頃、がつがつと、まるで貪るようにして深夜を味わおうとしたのか。

 なぜ夜になると必ず、好きな人のことを考えていたのか。まるで夜空の下なら想いが届くとでも言うように。






 昭和の昔はみんな色気づいていた。

 くっついただの離れただの、個人的な話があちこちに転がっていました。
 アノ人がいいだのコノ人がいいだのと誰もが真剣にやっていた。


 それがいつしかバブルの頃からおかしくなった。
 
 男女が成り行きや「ノリ」を大事にする方へと変わっていきました。

 深夜にひっそりとラジオを聴くなんて流行らなくなり、明け方まで大勢で騒ぎ、恋の煩悶などするぐらいなら代わりにエロビデオを見ればいい。

 みんなそんな風に思うようになった。

 集団で群れ、そしてそれが当然だと考えるようになった。


 群れになれば個人というものが薄まってゆく。
 家族を持つ意味さえ感じられないようになる集団への埋没。

 永遠とも思われるような平成の孤独感。

 群れへと流されたツケが今、そうして返ってきているかも知れません。




 昔は春は人を狂わせるものでした。
 ガムシャラに相手を追い求め、別れがあればまた出逢いがあった。

 春という季節はいつも何かを慨嘆していたものだし、期待に胸を膨らませていたものでもあったはずです。
 失望があるから期待が生まれ、絶望が希望に変わった。

 それがバブルを経て今は群れの時代になった。
 春は動く人波、そんな季節になった。


 馴れ合いながらグループで行動するのがまだ続いている。

 そんな習慣がすっかり身に着いてしまったためか、コロナ禍でも最近は五人以上の会食が激増したという話もありました。
 なぜわざわざリスクを冒すような行動を取るのか。


 それはきっと春だからなんでしょうけどwww。


 日本人は、まるで甘やかされた中国漢民族のように我慢ができなくなったかも知れません。

 中国漢民族。コロナで閉じ込められたストレスをウィグル人に押しつけ、搾取と簒奪に加担して自分はちゃっかりと知らん顔をしている連中。
 そして日本などに来て当然の権利があると思っている・・・。





 春はできるだけ独りでいようとすべきなのです。
 自分ひとり深夜に煩悶し、うろたえるべきなのですww。

 取り残された気持ちになって、自分を噛み締めるべきなのです。

 落ち着かない気分と葛藤し、本も手につかず、じっとしていられない。春はそんな自分と向き合うべき季節です。

 春は己が人間としての自覚にもがき苦しみ、立ちはだかる壁や悩みに気付き、誰か救いとなる相手はいないかと、日々を自問自答して過ごす季節であるべきなのです。



 それは群れにいれば分からぬこと。

 だからこそ、とうとうお互いに運命の相手を見つけたなら抱き合い喜び、あるいは率直に衝突し、ぶつかり、そして泣き濡れるw。
 相手もきっとそうやって一人の春の煩悶を過ごしてきたのだから。

 分かり合える。




 アタシの経験からしても、春には多くの出逢いがありました。

 運命的なもの、必然的なもの、宿命的なもの、春はアタシを悩ませた。

 去っていったその顔をアタシは忘れてはいない。


 人が桜の散るを眺めてそこに魅入るのは、そんな振り返りがあるからかも知れません。


おうぞどだいじに







※ 最近はちょっと後になって記事の修正やら追記が多い。
 少し反省してる。

 でもまあ、それでナイショの噺はできるかなw。

 これでも結構筆は後から入れてるのです。


 もう家内は寝てしまい、アタシは一人残された。

 暗い照明の書斎で残り仕事も片付けながら、ゴチャゴチャとやってる。

 ついでに人のブログも見たりしてw。


 ああーー、でも今日は頭を洗わないといけない日だったwww。


2:42 2021/04/01


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