黒電話の「重り」のこと
すっかり我が国は下と北の、面倒なあの半島が遠ざかっているもんだから、今は平和ww。
トランプという男が東アジアになした功績は重いと思うわよ。
それに引き換え、、、ヤバイデン・・・www。
それにしてもアレを「黒電話」なんて、なかなかいいネーミングだことw。
まあ、だからって「黒電話の話」というわけでもないんだけどw、先日に話したら色々と思い出してしまった。
まだ日本のほとんどの人が黒電話というものの記憶を持っていると思う。
それに昔のドラマや映画を見たってしっかり映ってるんだから、今の世代だって黒電話にはまるでピンと来ないということもないでしょう。
白黒だったけど、あの巨匠黒澤明の作品に「天国と地獄」というのがあって、あの映画で出てくる黒電話というのは妙に頭に焼き付いている。
今の時代になっても、誰かを脅迫するならやっぱり黒電話を使いたいものですww(笑)。
脅迫電話をかける時、その重みと迫力がきっと違うことでしょうw。
今のうちに黒電話は探しておいたらいいと思う(笑)。
子供の頃、アタシはあの黒電話を分解してみたことがあって、すごく強固にできていたので開けるのに苦労した覚えがある。
受話器のところなんて、ネジなんかなかったんだからw。
電信電話公社の時代で、確か「分解したりすると罪に問われる」なんて言われてた。
公社からの借り物だからやっちゃいけない、というわけ。
悪い子のアタシがイザ開けてみるとw、受話器にはなんと鉛の重りが入っていたのよ。
ああ、これで受話器がやたらと重たかったのか、なーんて妙に感動した振り返りのこと。
それにしてもこういう発想って、今だとどうかしら。
あまりないことなんじゃない?
重りを入れてわざわざ重くするなんて発想のこと。
バブルの時代、軽薄短小なんて言われて、鉄が浮かんで木が沈んだ。
きっとその頃、アタシたちはすっかりパラダイム転換を果たしたのじゃなかったかしら。
でもなんだってバランスというものがあるのよね。
ゴルフクラブだって重りをつけたりする。
「重り」なんて言うとなんだか馬鹿らしく聞こえるけど、「ウェイト」って言えばいいのよねwww♪
重厚で価値のあるモノとみせかけるような「ハリボテ」の場合もあるだろうけど、単に持ったとき、使いやすくするために必要な合理的な場合だってある。
でも最近はそういう、ウェイトを使ったモノがほとんどなくなったと思う。
そういう発想ができなくなったような気がします。
実際、今だったら、例えばアタシは使ってるテンキーには重りが欲しい。
USBのテンキーがあまりに軽くて薄っぺらくて、いちいち苦労してる。
風で飛びそうなぐらいなんだからw。
こういうのは、昭和の昔のハッタリ文化と思ったら実はそうでもないのよね。
ラジカセにだって重りが入ってたりした。
あれは机などに据え置いた時の安定のためだったでしょう。
重低音でいい音が出るのはいいけど、その度にボディが振動してたら堪らないものw。
「ラジカセを手に提げて持ち歩く」、そんなスタイルをNYの連中が流行らせてからは流石に入れなくなったでしょうけど。
ラジオを分解して、重りだと思ったらそれはアンテナだったりしてwww。
アレは磁石にニクロム線を巻きつけていてそれで磁場を作っているのよ。
アレは重りじゃありませんw。念のため。
アタシの場合、モデルガンが重りに出会った最初だったと思う。
持った時に重厚さとホンモノの感触に近づけるため、モデルガンのグリップあたりには鉛の重りが入っていて、見てしまったらちょっとがっかりした。
どうせ弾なんか出やしないんだし、インチキなまがいものであることを実感するしかなかった。
って、それでアタシは重りのことを、まるで「チビ男のシークレットシューズ」みたいに思ってた。
でも、そんな風にこういうウェイトとして、使い勝手をよくさせるための重りというのは実はあるのよね。
すごく役に立って実用的な場合もあるということ。
実用性とハッタリの区別が必要よね。
下駄とシークレットシューズの違いみたいなものかしらw。
技術というのは追及されていって、とにかく限界に挑むという方向へ傾くもの。
そうすると極限まで軽くて極限まで薄いもの、そんなものが成果だと思ってしまう。
打ちにくいキーボードやテンキー、持ってるかどうかも分からないようなガジェットなんて実は使いにくくて有難くないw。本末転倒なのよ。
眩しすぎるLEDは迷惑なだけ。やりすぎなのよ。
いくらでかい音が出せるからって・・・。
「ここは野中の一軒家じゃないのよ!」
こういうのを「淫する」という表現をするのよねww。
耽溺する。つい流されてしまい溺れてしまう。
そして独りよがりになり何が大事か分からなくなって混乱してしまうの。
いくら大きければいいって言っても、、、
そんなに風船みたいにオッパイが・・・
・・・! お゛、お゛っーーーーー!ごっほっ!
ゴッほん、ゲホケ゛ホ・・・げほ・・。
な、なんかw・・・
ちょっとだけ、むせちゃったwww(笑)
そういうウェイトは私たちの心にも必要だったりします。
縛られるモノのまるでない人生は逆に空虚であったりする。
「しがらみがない」なんて思っても、私たちは自分にルールを課し、曲がることのない主義信条というのを大事にするものです。
ふらふらと、世間の風や流行に飛ばされたり躍らせられたくないから、アタシたちは自分の魂にウェイトをつける。
そうすると深く人生の深淵まで潜ってゆくことさえできるw。
それは贅肉でもなければハッタリのためでもない。
あなたのことを想い出し、アタシはそれをいつまでも引きずっている。
それは「想い出」というウェイト。
短い人生だってのに、わざわざ邪魔なものを背負い続けてゆこうとするのが人間。
その自分の馬鹿馬鹿しさに私たちは半ば呆れながら、優しい気持ちになって微笑し、アタシの周りのことを改めて眺める。
そしてアタシは強くいられる。
※ 動画は「ザ・バンド」という、アメリカンロックの殿堂入りしたグループ。
まさに今日のお話、「ウェイト」をお届けしました♪。
このバンドの解散コンサートを映画にしたのがマーチン・スコセッシ。
伝説とも言える作品で、ラスト・ワルツという映画です。
音楽の奇跡ってあるのよね、なーんてw。
あなたのココロには何が残りましたかww。
前にも話したことがあったけど、アタシは二人の映画監督に別々に同じ質問をしたことがある。
お酒をたまたまご一緒させてもらった時に聞いたこと。
「映画と音楽、どっちが人の人生を変えると思います?」って。
その二人ともがどちらも「音楽」と答えた。
んーーー、、、分かるような分からないような・・・。
分かるwwwかな?ww。
どっちなのよwww!
おそまつ
