キジバトは死んだ
先日の朝、玄関を開けると目の前の外構の塀の上、目の前にハトがいました。
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それこそ、「鉢合わせ」という感じで目の前にいて、お互いに目が合った。
手が届くほどの近さにキジバトがいたのでした。
頭が寝癖のようにワシャワシャになってて心なしか体が小さい。
ケンカか何かして怪我して飛べないのか、キョロリとこちらを向いて居住まいを正しただけ。
慌てて逃げる様子もありません。
離れて見ているとまだ上手く飛べません。
怪我をしてるんじゃなくて、生まれたてのホヤホヤだったのです。
ワシャワシャした頭も生まれたてだから。
少し飛んでジャンプする。不器用にすぐに着地してしまいます。
まだ世の中に慣れていない感じもあります。
キョロキョロと辺りを見回し、愛くるしい姿を見せていた。
それを見ていたら、アタシはみるみるうちに自分の下腹の辺りが反応するのが分かった。
シクシクと寂しい感じの感覚。
ストレスを感じていたのでした。
なんというメンタルの弱さか。
これを書いている今でさえ腹の下がキュンとしてきます。
こういう時、アタシは自分のメンタル面の脆さを思わずにはいられません。
アタシは、キジバトの赤ちゃんがそこらの猫に襲われるのを想像し、切なさに嗚咽しそうになってしまった。
「捕まえてちゃんと飛べるまで保護しとこうか?」
「無理!ww」
そりゃあ無理なのは分かった。
部屋に放したって、逆に飛べなくなってしまうかも知れない。
自分で覚えないとダメなんだ。
家内が再び外に出てみたら、もうハトはそこらにはいなかったそうです。
「飛んでったのかもね♪」
鳥は生まれるとすぐに飛ぶことを覚えないといけません。
そのスピードが生死に関わります。
なんとか助かって欲しい。
生き延びて欲しい。アタシはそう願うしかなかった。
アタシは弱いモノの油断やそのチカラのなさを見るのがツラい。
そんなものを見るとたちまち切なくなり、いたたまれなくなります。
時には悲しくて立腹すらしてしまう。
それはきっと「命の儚さ」とか、そんなことではありません。
それは「弱さ」というものの運命に理不尽さを感じるから。
チベットやウィグルの人々の話を聞いても、怒りとも無力感とも、なんとも言い表しがたいストレスにアタシは襲われてしまう。
そうしてアタシは一日中なんだかずっとモヤモヤし、キュンキュンとさせていた。
酒のチカラを借りて寝た翌日の朝のこと。
庭を見たら羽毛が無残に散らかっていた。
やられたのか(泣)。
アタシにはそれがあの子だったことがなんとなく分かった。
しかしその時はもう不思議とストレスはなかった。それほど悲しさも怒りも感じない。
「嗚呼。」
それは仕方がなかったこと。
時には非情なものがあること。それは弱さを見せられるよりも残酷ではない。
家内に指差して教えた。
「なんだか吐き気がする」
庭先に散らかった羽毛を見て家内はそう言った。
ウチは「猫派か犬派か」と聞かれれば「猫派」ですw。
猫は自らの野生に抗えず手を出してしまう。
猫ちゃんの放し飼いはやめてあげて。
※ 笑い話にはならなかったわね。今夜のお酒はよくないかも。
申し訳ないw。
キジバトはドバトとは違ってどこか品がある。性格も穏やか。
キジバトが珍しい土地もあるらしい。
ずっと前のこと、人様のブログで見たお話。
イギリスではキジバトが珍しいらしくて、たまたま家に来るようになったそうな。
そうしたらそこのご主人たら、入場料を取って来訪するキジバトを見せるなんてことをやったそう(笑)。
その入場料が5万円とか。お客が来たそうよ。
なんてことww
あのキジバトの赤ちゃんはポンちゃんの子供だったのかしらねぇ。
