【ストーリー】酒天童子異聞
先日のコメントに感謝を込め、私なりの酒天童子の物語、「酒天童子異聞」をお話してみようと思います。
お楽しみあれw。
原典につきましては、くれぐれもググって下さるようお願いいたします(笑)。
なお、注釈についてはジャンプできるようにしていますw。

・・・ 関西地方、丹波の大江山を根城にしていた盗賊集団は周囲の人々から「鬼」と呼ばれ怖れられていた。(*1)
男は自ら「酒天童子」と名乗り、多くの部下を率いていた。
残忍さを隠すこともなかった無頼の集団であったから彼らは「鬼」と呼ばれた。
無法の集団である一方で、彼ら酒天童子を頭目として集まった者たちはみな世捨て人であり、世間から打ち捨てられた者たちであった。
奇形、不具に生まれついた者、親から見捨てられた者、家督相続の争いから刎ねられた者たちである。(*2)
そして失脚した者、同僚から疎まれて風聞を流された者、裏切られた者、貶められた者などもいた。
みなが理不尽なこの世を恨み、屈折した感情の者たちであった。
それが酒天童子という頭目を得て、大江山を拠点に無法な活動を続けていた。
酒天童子が部下と同様に酒を好み、彼らの面倒を見るとなれば集団の結束は強かった。
自給自足と略奪の共同生活は、そのうち次第に組織的な働きをするようになっていった。
酒天童子には男色の性癖があり、また女性も好んだ両刀遣いであった。(*3)
快楽に耽ることを躊躇しなかった酒天童子は、誘拐や誘惑によって常に何人かの少年、娘たちを傍らににはべらせていた。
少年たちは酒天童子に抱かれると、とたんに下僕となることを誓うようになり彼の傍にかしずくことを乞い願うようになった。
また娘たちは、童子の与える覚え知らぬ快楽と歓喜に震え、淫蕩へとたやすく堕ちていった。そして自ら娼婦となることを選んだ。
酒天童子はまた、篭絡した少女らに性の技と快楽を教え込むこともした。
娘と少年らは性の供応の道具として進んで酒天童子のために働き、大江山は男娼も揃えた性の接待所として、京の高貴な連中を始め人々の要望に応えるようになっていった。
京の貴族たちも酒天童子を性接待の仲介者、世話人として認めるようになった。
甘い快楽の接待を提供する集団が組織されていたのであった。
貴族たちは自分らの享楽のためだけでなく、大江山の酒天童子一族を様々な交渉の手段に登用するようになっていった。
やがて宮中にまでその享楽に耽るものが現れ、酒天童子の噂は市中に広がった。(*4)
これを知るに至った帝は、京の風紀が乱れ人心が動揺することを懸念した。
そして酒天童子と京の都との関係の一切を断つよう命じる。
だが、そうやすやすと関係断絶に応じる童子ではなかった。
すでに酒天童子らは京の「裏の接待所」として、その地位を確立していたのである。
このまま酒天童子らとの関係が切れぬ状態を危惧した帝は人選をさせ、酒天童子との交渉を特命としていいつける。
今後は酒天童子の権益を許さぬと宣告し、今後の京や宮中との関わりを禁じるとの沙汰を酒天童子らに伝え、認めさせるのである。
その役目を任じられることになったのが源頼光と藤原保昌であった。
コワモテの源頼光と、和泉式部を妻としたことですでに知られていた藤原保昌が組むことになった。
二人で大江山へ交渉に出かけることになった。
もちろん、言うまでもなく武芸に秀でた源頼光が「悪い警官」役であり、名高い美貌の妻を持つ藤原保昌が「良い警官」であった。(*5)
大江山で交渉した二人は、藤原保昌が酒天童子の生い立ちに同情して涙を流し、はたまた源頼光がこの先はどうなるかわからんぞと刀に手をかけて脅しつけた。
酒天童子は怒り混乱し、そしてうろたえた。
追い詰められた童子に対し、藤原保昌はそこで提案をもちかける。
男色専門の組と、娘たちによる組とで働きを分割し、規模を縮小してはどうか、と。
そのことで風紀紊乱とならぬよう措置したとすれば帝は許すだろう、などと申し出たのである。
それならと応じた酒天童子に対し、藤原保昌はことの次第を伝えてみなを取りまとめるよう要求する。童子は組織分割を認める書状に血判を押した。
酒天童子は部下たちを集めると、部下たちに組織の解散分割と今後の役職と組織を各人が選ぶよう調整を言い渡す。
すると、突然、その場で源頼光は、酒天童子の首領からの解任を宣言したのだ。
酒天童子がみなの前で組織の分割に同意した直後のことである。(*6)
驚いた童子は解任はさせぬぞと立ち上がり抵抗する。
だが、すでに部下のほとんどが分割後の役割の割り振りや体制移行の算段を始めていたため、その騒ぎにかき消されてしまい叶わぬ抵抗であった。
しかも、いくら忠実な部下たちであっても、大勢の流れにつくしかなかった。
とりわけ貶められて失脚した経験のある者にとっては、童子の失脚はかつての自らを見るような思いであった。
解任が動かぬこととされながら、なおも童子は手続きの不備や年寄株の配分などを言い立て抵抗したが、罠にかけられた形の童子はどうすることもできなかった。(*7)
「卑怯者め」と、なじるも酒天童子は追放され、童子はどこへともなく去っていった。(*8)
その後、童子の行方はようと知れず、そうして酒天童子が立ち寄ったと噂される先々の土地で、酒天童子の物語が語り継がれるようになったのである。
おそまつ
※ 【私の酒天童子異聞、そのポイントwww】
(1)
酒天童子が実在の人物であった場合、人間ではなく鬼とされるようになったのは残酷な態度がデフォルメされた表現であったかも知れないこと。(2)
未開の古代社会でハンデを持った者が生き延びることは難しい。酒天童子たちが鬼の集団とされたのも異形の人々であったことが想像されること。(3)
たいていの酒天童子の物語には男色が描かれていないが、当時の京は男色の楽しみも盛んであったことが源氏物語からも伺えることこと。(4)
「乱れた宮中」ということが隠されようとしたため、勧善懲悪の物語になったのではないかということ。無為徒食の宮中がとかく淫蕩に傾きがちなことは後世の今も続いている。(5)
「良い警官と悪い警官」(6)
岡田茂、「なぜだ!」・・・(略w)。(7)
首を刎ねられた酒天童子がなおも食らいつこうとしたという描写は、解任(クビ)された童子が抵抗した有様の比喩であったかも知れないこと。(8)
卑劣な手段で酒天童子を「征伐」したとすれば、単なる勧善懲悪の活劇であれば違和感があるが、政治的な駆け引きで童子を失脚させたとすれば納得ができること。 すなわち交渉事で徒に相手を信用するのは愚か者である。その場合、むしろ陥れられた側に落ち度がある。
【結論】
酒天童子は「失脚したリーダーの特徴」を様々に備え、その物語は象徴的に描いたものと考えることもできる。
すなわち「相手が卑怯な手を使うと想定しなかったこと」、「図に乗ったこと」、「悪い警官と良い警官の役回りを見抜けなかったこと」、「交渉において油断したこと」などが特徴的な点だと思う。
以上のことから、酒天童子異聞と対比させてみるとハッキリしてくる。
古来からの酒天童子の伝説は、世の冷酷さ、政治的な駆け引きの非情が比喩的に表現されていたものとできるのではないか。
・・・どうか。
あせいちょうおりがとうございました
※ 「鬼滅某」
流行っているということですが名前しか知らないw。
あんまり世間的な「推し」が強いと避けてしまうヒネクレ者がアタシw。
「おにめつ」と読んでいたけど違うのね。
「きめつ」って、その読み方は出典も思い当たるところがなくて違和感がある。
「鬼」という字には同情的なものを感じざるを得ない、そんなところがあるけどこれもそうなんでしょう。
アタシの場合、同じ鬼なら「百鬼丸」だw。
おそまつ
