鶏のハツ、キモをいただきながら思う
このところ相撲観戦をしながら、嫁となごんでいます。
ヒー君の今日のヒーローインタビュー、あの言い草には笑ってしまったww。開き直りかw。
「強いときの御嶽海は負ける(キリッ)」、やっぱりww。
大ちゃんはなんてことを言い当てていたのかwww。
ラジオは吉田が相手で勝昭が可哀想。
そんなこんなのツマミは鶏のキモ。
心臓とレバーが一緒になったパックを買ったのです。
大きなパックでしたが、安く手に入ったので湯通しをして下処理をしてしまって一部は冷凍。
この鶏の心臓は「ハツ」と焼き鳥では呼ばれるものです。
小さくて、ちょっとホタルイカみたいな大きさと形をしています。
臭みもなくてプリプリと食感が楽しいものです。
歯ごたえもいい。そう考えると食感はちょっと似ていますw。
しかしこの心臓というのは鶏には一匹につきひとつしかないの。
心臓だから当然ひとつw。当たり前ですがww。
そう思うと、鶏のキモを食べるのはなんとなく可哀想に思ってしまいます。
まるで我々がハツの数だけ、鶏の命を取ったみたいな、我々がトドメを刺したような気になって罪悪感があったりします。
しかし美味しいものは美味しいんだwww。
感謝しながらいただいています。
鶏のキモの料理法は、湯通しをしたら醤油と砂糖、ショウガを入れて絡めて炒めるだけの簡単なものです。
最後に胡麻油で仕上げたり、七味を絡めてもいい。
粉でも振って、塩味にしてオリーブオイルと白コショウ、レモンでいただくというのもいいですが、やはり醤油味が一番上手いと思っています。
ついつい箸が進んでしまうクセになる美味しさですw。
そういえば鶏に関する汚職事件がつい先日のこと、いきなり立件されました。
前から噂があった話ではありましたが、先日訴となった自民党元農水省大臣、吉川貴盛被告の汚職事件です。
そんなことも考えながら我々は鶏キモを食い続けているのですwww。
もちろん相撲も。
大栄翔はこれまであまり目立たなかったのがよかったようですが、これからはどうでしょう・・・。注目されるプレッシャーもこれからのしかかってくるでしょう。
なーんてことも考えながらw。
今回の汚職事件の内容は、鶏卵業の大手が国際的な「ビーガン的な規制」に反対するよう工作したというのが発端のようですが、そもそもの事件の発端は正しく報道されてたのでしょうか。
この業界規制というのは、鶏卵業に対してのもので、「鶏が健康で幸福に暮らして卵を生産する環境を用意すべきだ」という、欧州発の一種のドグマなのでした。
いわく、「鶏を人道的に扱え」というものですw。
これが「コスト高になる」と、鶏卵業の大手アキタフーズの社長が工作をし、日本はこれにに追従しないようにと、答弁と政策を要求したという汚職事件です。
「ビーガン」という言葉は、最近つとによく聞かれる言葉です。
これは「ベジタリアン」というものとは実は本質は違っているのもので、本当は混同すべきではありません。「殺生を避ける」という意味です。
ただ、私もつい目新しい言葉だから「ビーガン」なんて言いたくなったりします。
けど、意味は違いますw。
「ベジタリアン」なんて言葉は、まるでチャールズマンソンみたいな快楽主義のコミューン、その自主農園のようなイメージがあって、なんだかウンザりしてしまい最近はつい手垢のついてない「ビーガン」と言いたくなってしまうだけなのですがw。
本当の意味は少し違います。
余計な殺生をしないとか、同じ生命を犠牲にするにしても、それを尊重する態度を示せという意識、その意味ではそれは一種のイデオロギーなのでした。
そんな人道主義が高じて、鶏卵にしてもその鶏の取り扱いが「人道的かどうか」が問われそうになったというのがこの汚職事件の発端です。
そうして、たとえ鶏卵業のために飼われている鶏であっても、止まり木があるべきであり、それなりのスペースが確保され、小屋があって人目を避けられる「プライバシー」があるかどうか、そうした配慮が必要なのだという主張です。
それがルールになり始めています。
それが規制として日本に適用されるという話があって、それでこの鶏卵大手が反対するよう吉川大臣を意のままに操ったという話です。
これは、そのまま聞けばまるで「囚人の扱い」についての取り決めのようですがww、これは鶏に対する扱いの基準を定めようというものなのですw。
ハタ目からこういう主張を見ていると、どうも先進各国はモラルや価値感の面で後進国を引き離そうと、なんだか必死で無理なポーズを取っているような気がしないでもありません。
彼らはこの主張の真実性を信じているからではなくて、途上国に先進国らしさを見せるための武器として使っているように思えてならない。
我々は、何かの命を犠牲にして食べたり暮らしているのには違いがありません。
みなが罪深い。
しかしそのことをわざわざ取り沙汰し、舞台装置や見てくれを整えて規制にさえして、「鶏の人権にも配慮しよう」なんてやってw、わざわざコストを増やして世界に同調するよう要求する。
先進各国こそが人権や人道主義に配慮しているのだ、人権の先頭を進んでいるのだと、勇ましくラッパを吹く。
私にはそんな「示威行動」のような気がしないでもない。
それはイルカやクジラの議論にしても、実は同じように思えるのです。
彼ら欧州の人々はよくこういうアピールをします。
「我々先進各国は先頭を切って人権主義を信奉するのだ」、と。
そして、それが世界共通の価値感であり権利であり、主流なのだ、と。
そこにちょっとムリはないのか、なんて私は思ったしますwww。
ムスリムの「ハラル」みたいに、単に儀式的なことを押し付けて、それで満足しちゃう。
こういう最近の欧州の言い草というのはどうなんでしょう。
なんだか錯乱しているような印象さえあります。
それでいて、果たしてその彼らの心に、少しでも食される生き物たちへの憐憫や感謝はあるんだろうか、アタシは疑ってしまう。
食われる側の鶏のはかない命にだって、日本人は共感し、日本文化は古来から敬意を持つという暮らしをちゃんとしてきました。
そこに欧州のニワカ人道主義、偽善者たちのような人たちが、途上国の連中に張り合おうとしてヒューマニティを振りかざすというのは、なんだかちょっと違和感があります。
それを「時代」とするのはいいのでしょう。グローバリズムの時代です。
しかし、その欧州の連中の「人道主義」とやらは、なぜか都合よくチベットやウィグルでの中国共産党政府による人間への虐殺については無視を決め込んでしまう。
そういうのはがっかりさせられる。
貴景勝の連敗と同じぐらいにwww。ガックリくるw。
欧州の連中の人道主義も政治な武器に過ぎないのか、いい加減なものなのだと、私は思ってしまうのです。
・・・
「ナ? わかるか? 俺はそんなことを思うんだ。」
「うん。わかるよ。うん。」
「でも。それでもネ、いい? 心臓はあんまり食べちゃダメ!w」
「え?、 え、えええーーーーーwww。 い、いっぱい作ったろ?」
「選んで食べちゃわないで! 心臓が一番美味しいのに!
レバーもあるのに! 可哀想なんだから!
残しといて! 」
「あ・・・、ああ wi3m#44wqw・・・。」
おそまつ
めいしくおしあがれ
