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映画を見てリカオンの群れにならぬよう誓う

 お正月に映画を見たの。
 「人がたくさん死ぬわ、アキラ君。」
・・・ってw、それは違うけどwww(笑)。

 その映画はゲイのことを扱った映画だったのね。
 それで嫁と議論になったことの振り返りのこと。



 それが、1970年代に遡ったゲイの物語だった。
 なぜか時代背景がただ70年代というだけ。だからごく普通のストーリーが70年代の設定で描かれているというだけの映画。

 どういう意味があるのかしらね、これ。
 嫁は「こういう方がゲイ話って受け容れやすいんだろうね」なんて言った。
 理由は、今は「ポリコレ」とやらが幅を利かせているからなんだって。

 つまり、ゲイのカミングアウトと周囲の葛藤、その和解を描くのには昔、1970年代の方がいいんだろうって言うわけ。

 もちろん、アタシには異論があった。

 ポリコレって、「ゲイの権利も尊重しよう」ってのも含まれるでしょ?
 


 どういうこと?
 だって、今は2021年なのよw。
 ゲイの市民権はとうに得られていると言ってもいい世の中なんじゃない?

 だから、ゲイの市民権をもっと認めさせようなんてメッセージがあるなら、南部とかの保守的な地域、そこでは今の時代でもまだゲイなんて受け容れない遅れた人々がいて、そこでカミングアウトする葛藤、それが受け容れられるストーリーにした方がいいんじゃない?


 むしろその方がよっぽどストーリーとして自然でしょ。
 アタシはそう思った。

 そっちの方がよっぽどポリコレ的にはお望みなんじゃない?
 だって、BLMにしたって、そうして権利をと、訴えてるんでしょ?ww。




 ところが嫁は違うというの。

 1970年代の偏見が根強い時代に衝突があって葛藤と和解できたというストーリーの方がいいって。
 それだけ難しかった、というのが出るだろうって、言う。

 そうかしら? それって逆じゃないの?
 ちょっと、ゲイって分かってる? 私はなぜだかイラついた(笑)。

 70年代にカミングアウトするのはまだ困難だったのよ。
 そしたらそこで和解に至るなんて、言ってみれば「奇跡」だったかも知れないわけ。

 なんでわざわざそんな稀有な例をストーリーにして、それが有意義だというわけ?
 どうしてゲイが困難な立場にいた時代でサクセスストーリーをわざわざ描くのよ?
 しかも伝記ですらない。



 で、アタシは嫁と話をしてて、その意図するものが見えた気がした。

 要するにこれって一種のプロパガンダってことなのよね。
 「こんなゲイということを認めさせるのが困難な時代だというのに、和解できたことだってあった、だから今ならもっと簡単にできるはず」、そういう「運動のためのキャンペーン」なのよね。

 ゲイの存在を認めようってことじゃなくて、その「運動」をもっと盛り上げようってことなんじゃない?。

 で、ストーリー、つまり物語としてはどうかというと、中味はおろそかになるわけ。
 人間の葛藤も因習との決別もすっかり影が薄くなってしまう。

 だって、世の中の常識はまだ遅れていた時代という設定なんだから。
 「そんな時代」だった。それで済んでしまう。




 それは歴史ですらない。
 これは何か騒いでいる連中のため、ゲイの市民権をと騒ぐ連中、その彼らを勇気付けるためのキャンペーンでしかない。


 つまり、こういう「プロパガンダ」の本質というのは、今の運動やら騒ぎを起こしている連中を満足させていくら、それでナンボと言う話でしかないということ。

 それは決して今の現実を風通しのよいものにするものではない。アタシはそう思った。

 むしろ、懐古趣味に紛れて、「今はこんな時代に戻しちゃいけない」なーんて、運動を鼓舞するわけ。
 時代の流れなんて、決して巻き戻ったりはしないものよw。

 とっくに世の中ゲイだろうがビアンだろうが「勝手におやんなさい」ということになっているもんだから、盛り上がってくれないと困るってことよね。

 だから、やがてこういうプロパガンダというのは暴走するわけ。
 「連中を裸にしろ、そして男で勃つか女で濡れるかを確かめろ」とやるようになる。

 



 アタシは「ストーリー」というものの伝達性とか共感させるチカラとか、そのパワーは認めるけど、それって人を動かす「ため」にあるんじゃないと思う。人が動くのよw。

 「ストーリー」というのは聖書に始まって、寓話でも明らか。
 人はそこに自身を投影したり置き換えてみたりして考えるの。

 でもこの映画ってのはわざわざ70年代に設定して、わざわざ遠くしてみせて、ゲイとノンケの和解みたいなものを描いてみせている。

 でないとそういう運動をする人や意識というのは鼓舞されないからでしょw。
 わざわざそういう「運動」をテコ入れするための意図があるとアタシは思う。

 その連中って、運動がしたいだけで、別にゲイなんて実はどうでもいいのよw。


 一部の人たちの自己満足、大衆操作もほどほどにってアタシは思うわね。

 そのうち、きっと自発的なものでなくなってしまう。
 自発的でなければそこには「発見」とか「気付き」はないから。
 その先にジェノサイドがあるのよ。




 嫁によると、最近はつとにこんな風な設定、わざわざ古い時代にして描いた映画が多くなったなんて言う。
 「事実に基づく話」とか「事実を背景にして創作された話」とか。結局はみんなフィクションなんだけど。

 なんだか変よね。なんでいちいち古い時代設定にするのかしら。

 それは人を動かしたいから、都合よく人が動いてくれるように刷り込みたいから、と、そんな風にアタシには思えてしまう。

 そういうのって危険よね。

 そう考えると、ネットフィリックスなんてのもある。

 ネットフィリックスは何も考えないで、ポリコレに気前よく配慮して、黒人の医者とか弁護士とか、黒人の科学者まで設定して大盤振る舞い。

 ちょっとありえなさ過ぎて笑うしかないんだけどww、それこそ危ないと思う。
 「黒人は今の境遇から抜け出せない」っていう現実から目を逸らさせるものだから。


 注意した方がいいわよ。
 そうやって配慮なんて教条的にやってると、必ずどっかから意図を持って人を利用しようとする連中が現れるもんなんだからw。




 人というのはみな孤独で、常に集団から孤立しているという自覚があって、それで初めて人としての理性とか判断とか、自分なりの価値観が生まれるものなのよ。

 死ぬときはみんな一人なんだから。

 集団の中に埋没してしまえばそれはリカオンの群れと同じ。
 誰かが運悪く食われるだけの群れ。


 今を生きましょうよ。 せめて死ぬまではww。

 アタシはつくづくそう思ったわね。
 これはお正月の振り返りのこと。




おそまつ、 お宮の松、マツキヨ、トミーとマツwww。






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