カジノ、「カウンティング」
いよいよ大晦日です(笑)。
ラストスパート、今年も年末協奏曲がウチでは始まります(笑)。
これから正月の支度、買い物に行くのですw。
昨日の、「値段なんて見たら覚えてしまうよ、メモ取るな、なんて笑っちゃうね。ww」そんなお話をしました。
これと似た話ですがカジノではカードを覚えてしまうことは禁止されています。
それは「カウンティング」と呼ばれるもので、れっきとした禁忌事項として公然と禁止されています。
例えば機械を持ち込んだり、計算尺を使ったり、それけこそメモでも、そんなので配るトランプの減り方を数え、最後には確実に勝てる勝負に出るというやり方。
こういう行為はカジノでは禁止されています。
でも、まれに何もしないでも、ただ見ているだけで数字を自然に覚えてしまう人というのがいるのです。あるいはそういう訓練をして覚えてしまう人がいる。
これを禁止するというのはいったいどういう趣旨なのか。
言われた方はいいがかりにしか思えません。
グーグルなんかは広告のクリックが「自然で自発的にクリックされた」と、認められないと、それを不正なものだと言うらしいですが、いったいどんな判断をしているのか。
人の脳味噌にでも聞いてみないと分からないことなのですww。
やはり禁止事項ということに一方的になってしまうのです。
映画「レインマン」でも、ダスティン・ホフマン演じるレイモンドはそんな才能をカジノで発揮してしまい、カジノから叩き出されてしまうシーンがあります。
つまりカジノのゲーム、トランプのルールというものはあるはずなのに、なぜだかそれ以上の仕切りがあるわけです。
これは言ってみれば、「客は運しか使ってはいけない」「客は特殊な才能や頭脳を使ってはいけない」なんて、客に要求するようなものです。
ちょっと理不尽なことのように思えます。
なにしろ、安売りスーパーの値段なんて、誰だって覚えてしまえるのです。
しかし、それはフェアではない、ズルだということにされてしまう、そういう世界もあるのです。
人より抜きん出た才能があっても、認めてもらえない、勝負さえさせてもらえないということです。
まるで社会からはつまはじきにされたようなものです。
人の才能なんて様々です。
例えば、一瞬にして計算する能力とか、絶対音感というものがあります。
抜きん出た記憶力、並べ替え能力、言語感覚、人を魅了する不思議な魅力、などなど。
普通の社会の基準から抜きん出て外れていると孤立してしまい、大多数から「卑怯」などとして弾圧されてしまうのです。
もちろん、類い稀な能力がある人がおうおうにして不幸な結果となってきたことは言うまでもありません。
社会生活、世の中は大多数を基準にして成立しています。
そうした能力は「ズルい」とされてしまうのです。
人間はこうした「標準的な人間像」ということについて、まるで神話のように追いかけてきました。
努力すれば報われる、運が味方する、いつか花開くというのがそれです。
そこには裏表としてw、「個人の超人的な能力を認めず、それを許さない」というテーゼが隠されています。
それは規範とは言えず、ルールとも言えません。
大多数からの押し付けがましいだけの専横でしかありません。
人間というのはそうして、ひたすら何かを怖れてきた。
それは「恐怖」と言ってもいい。
ドーピングが禁じられていることにしてもそうかも知れません。
今年だけでも、コロナと関係なしにどれだけの選手がドーピング疑惑、禁止薬物の使用で選手生命を絶たれたことでしょう。
あれは公式には「選手の健康を害する自殺行為を禁じる。スポーツは記録のために何をしても許されるわけではない」なーんて言っていますが、どうでしょうか。
いかにも眉唾ですw。
「健全でないから禁じる」というなら、レイプなんぞした選手をいつまでも放擲できずにいることの説明がつきません。
スポーツなんてカネまみれではないですか。
スポーツと金を結びつけることは健全ではないはずです。
そのスポーツでは、誰もが知る有名な故事があります。
しかし、実はそれは誤解されて伝わっています。
それは、
「健全なる魂は健全なる肉体に宿る」
というもの。
それは誤訳ともいってよいぐらいのラテン語訳です。
正しくは、
「健全なる魂よ、健全なる肉体に宿かれし」
というもの。
つまり、「神よ、健全な魂というものがあるのであれば、どうかそれは健全な肉体に宿ってほしい、そうして人類の願う理想というものを体現して欲しい。」
それがこの言葉の原意です。
まるで神に懇願するかのような慨嘆なのです。
結局、超人的な才能を認めたくないというのは大多数の我侭に過ぎません。
それは努力や運、日頃の鍛錬などという、普通の人々が理想として追い求める神話を覆しかねないからに他なりません。
天与の才能というものが卑怯かどうかというのは、大いに議論の余地のあるところです。
人類はこういう理屈を実に都合よく使い分けてきました。
ある場合には賞賛し、ある場合にはモンスターのように扱い、ある場合には利用するだけの奴隷のようにしてきました。
値段のメモ書きはおやめください。
頭ですっかり覚えてしまうのは止めてください。・・・www。
我々はこれこれのゲームをしているのです、それを破壊しないで下さい。
果たして、我々はゲームをするように生きているのでしょうか・・・。
じくまであぶんのせきにんです。
どうかよいお年を。
おそまつ
