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見かけはアレだけど本当はいいヒトなの

 善と悪、生と死。

 これらは反対語、反意語です。

 こういう捉え方を「相対軸」という言い方をすることがあります。
 絶対的な価値感ということではありません。
 あくまで二つを対立させただけのことです。


 人間は言葉から発生し、人間となり得た


 この哲理からすれば、言葉の構造や言葉に含まれる相対軸、反対語や反意語の関係というのは絶対の価値感のように思えるのは無理もありません。
 言葉には否定と肯定があり、全てがそうしてできているように見えるから。

 

 しかしそれはひとつの捉え方ということに過ぎません。
 価値としては限界があるということです。

 いつも我々は反対のこと、二つの相反することばかりを気にして生きていますが、我々はそこから抜け出さねばいけないのではないか。
 勝ちか負けか、正義か悪かだけでは尺度にはならないのだ、と。

 そんな言い方が一時期盛んにされたものです。
 なかなか人はそこから抜け出すことが出来ません。


 実は、だからこそ宗教は神と人という役者だけでなく、天使や神の子、悪魔や堕天使というもの、絶対独裁神であるゼウスを作ってきたのかも知れません。

 相対的な捉え方には限界があり、罠に陥りやすいものだからです。




 私もそんな教えと忠告を受けたことがあります。

 ただ、なかなかその真髄を理解することは出来ませんでした。
 どうしても言葉のチカラに捕らえられることが多かった。

 需要と供給、値段が安いか高いか。
 どうしてもそういう軸で物事を捉えようとしてしまった。


 それで「強い vs 強くない」。
 「北 vs こない」、なーんて言って笑ってしまうwww。

 なにしろ自分がそんな考えに囚われているものだから(笑)。




 今はネットを例に挙げるまでもなく、多様性の時代になって、そういう相対論による決め付けが偏ったことだというのはずっと分かりやすくなったかも知れません。

 例えばグーグル社にしたってその多様性に乗っかって成長してきたのです。

 だから今、その多様性をあたかも検閲のようにして逆に巻き戻す動きをグーグル社がしていることは間違いです。
 もしかすると、先進各国によるグーグル社への規制は正しいことかも知れません。

 見かけがどんなものか分からないもの、それをネットで分かるようにしようとグーグル社は検索システムを作ってきたはずですが、独占状態になり今ではその多様性を阻害しています。



 「ああ見えてもいい人なのよ」なーんてよく言うものです。

 それは「見かけは悪人のようだが中味は善人だ」という言い方に聞こえます。

 あるいはまた、それは「色々悪事を働いて刑期を務めたこともあるが本来は善人なのだ」という言い方にも受け取れます。


 「ああ見えて」というが、じゃあそれが見えなかったらいったいどうなのか(笑)。
 ごく普通の人でしかないはずですw。
 中味は知りようもない。

 つまり悪か善かなんて尺度では何も分からないことになってしまいます。
 単純なレッテル貼りでしかない。

 要は凶器を持っているかどうか、普段の言動で判断するしかないのです。




 社会にとって害毒であっても我々個人に危害が及ばなければいい。
 そういう功利主義的な考え方というのもあります。

 絶対的な価値として善に見えるか、善という本質であるかどうかが唯一の問題とすれば、それではどんな基準から善悪を決めるのかということになります。

 キリスト教的には、みなヒトは善なるものです。
 善は造物主によって絶対的に降りてくる。
 人によって違うように見えるような善は本質的な善ではない。


 あるいはまた、自由が善というのであればそのための破壊さえ善意です。
 そうした善を怖れ、中共の独裁はあたかも理屈があるようなフリをして治安維持の名目で多くの有刺鉄線を作ってきた。


「俺はこう見えても善人なんだぜ」

「え、えーーー自分で言う?www(嫁)」



 
 言葉は難しい。

 だからって何も簡単にしたり尺度を求める必要はありません。
 その場、その場で判断すればいい。

 そのために私たちには歴史や教養、想像力や科学があるのです。
 もっと自信をもって判断すればいいと私は思っています。

 ・・・そうして、私自身が判断をしてきた挙句、しかし私はエライ目にばかり合ってきた。
 貧乏くじばかりを引き、どうにも得をしていない。
 ズルいことができない。

 買い物にしたってまるで狩り、リラックスなどできません。
 抽選に当たるような幸運はめったに訪れません。



 でもいいの(笑)。
 少なくともそれが自分で生きていると感じられることだから。
 私の場合、それが「好み」というだけなのです(笑)。


 そういうことからすれば、誰も自分で判断するなんて、そんな責任を負わなくてもいいかも知れません。

 世の中の潮流に乗ったり、みんなの流れについていく方がいいのかも知れない。
 それでダメならそれでいいじゃないか、統計的にはみんなの流れにつく方が勝ちなんだから、と。

 それが私の流儀ではないというだけ。



 私は自分で判断していきたいというだけ。
 その傾向からは逃れられない。
 私には自分という価値しかないのです。

 誰のためでもない。
 でも、みんなそれぞれ。
 それでいいのではないか。

 多様性を認めるというなら、多様性を認めない連中も認めないと嘘ですww(笑)。

 アタシはLGBTなんて嫌い。
 ケツの穴をヒトに晒す趣味はない。



 あるいは差別などと言って、人間の扱われ方の公正さを訴えるというなら、その人の中に流れている血を判断することにも公正さが必要でしょう。

 本国の韓国でどれだけの差別とヘイトが日本に対してされているか、そのことを知りながらそのことには沈黙していること。
 不正な方法で親が入国して滞在し、温情的にその許可を得ているというだけ。そこには触れないようにしていること。

 それでいて「公正な視線で見られるのは当然の権利」などと考えるというのは不当な要求です。

 自分で行動もできず、規範を持たない連中はどんな目線で見られようと仕方がない。
 人間は平等ではありません。

 自分で考えぬというなら、世の流れ時の流れのままになるしかない。
 全てを受け入れて極楽浄土の涅槃でしょうか、それとも無限の地獄か。


エーメン

くうすぐもりすます


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