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「目的のためなら手段を選ばない」奴。


「目的のためなら手段を選ばない」という言い方があります。

 一般的にはネガティブなニュアンスの言い方。
 それは「卑怯者」と言い代えられたりもする。

 実際はどうなのか。
 よく考えないと間違うものがあると思うのです。


 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という言い方があって、それは誤訳だというのは有名な話で、このブログでも何回か紹介してきました。

 原意としては、

 「健全なる魂よ、健全なる肉体に宿かれし」
と、あくまで願望形になっています。


 つまり、「マッチョのヤリチン野郎が健全なる魂の訳はない。いい魂の人々こそマッチョでシックスパックであって欲しい」なんて言う慨嘆ですww。

 ちなみにシックスパックとは腹が6つに割れていること(笑)。
 フィットネスをしている人なら誰でも理想とする体型ですw。





 ローマの時代、哲人たちが色々と思索を巡らせる一方で、映画「カリギュラ」(古いw)にあるような放蕩も当然にありました。

 市民たちのつましい暮らしを尻目に淫蕩にふけり、堕落し、快楽に溺れた。まるで今の我が国の秋・・・(略)www


 そうしたマッチョ指向と性的放蕩というのは古代からありましたから、きっとそこから出てきた慨嘆であり理想論を語った言葉なのだろうと思います。

 そう考えると、あのロダンの有名な石膏像なんかを見ると、何かしら軽薄さを感じないでもない。

 実物を見ればわかると思いますが、どうにも軽薄なヤツに見えてしまいます。
 マッチョでもまるでヤリチンにしか見えないのですwww(笑)。

 ちっぽけなイチモツであるんだけれどもwww。


 アラ可愛らしいわね♪、なんて、弄ばれる図なんて容易に想像がつく。
 おに、いや、おねえさんなんかにカラダをサワサワとなで・・・

おっ!お゛ーーーーっっ!、ごっほっん、ごほっ、

 ご、ごほごほん(笑)。 げほーーーん・・・ゴホン。

い、いやなんか、妄想からムセちったwww。







 「健全なる魂よ、健全なる肉体に宿かれし」とは、どうか本質と見た目は一致してもらいたい、造物主である神はそうした配慮をしてくれたはずだ、と、そんな当時の人々の願望を表した言葉なのです。

 人々は理想と現実が一体であることを信じたかった。

 人はそうした理想が具現化したものを求めるものです。
 目には見えにくい哲学論のままでは我慢がならないのが人間。
 だから現実を飾り立てる。


 ウォーレン・バフェットという投資家がいます。
 人々が彼を語る時、彼は人格者であると必ず言い含めるものですが、それは投資の世界のことです。彼が聖人君子などとは言えるはずもありません。

 慈善で投資をする人などいない。時には雇用を切ることもしてきたのです。


 そうして今、オリンピックを誰もが中止すべきと考えている。
 もはやオリンピックの価値すら地に墜ち、利権とカネの臭いしかしてこない。

 皮肉にも珍しく、日本共産党と反日中国の方向と我々の意見は一致しているww。


 しかし、それもコロナでこんなことになったからオリンピックの欺瞞が分かったのであって、「オリンピック憲章」なる飾りはウィグルの虐殺をあっさり看過する。

 バフェットにしても同じ。
 まだ彼のメッキがはがれていないというだけです。

 彼が「人間性に溢れている」と褒めちぎったビルゲイツ夫妻離婚の原因は、ロリコン売春組織を率いて自殺したエプスタインとの関わりではなかったか、そんな疑惑が今、浮上しています。

 バフェットは大丈夫かw(笑)。





 豊かな人間性溢れる人物として、投資家の理想が具現化したものとしてバフェットはアイコンとして担がれました。
 そのことで、彼の投資行動に追従する人々を生んできたのだし、それがバフェットの儲けにつながっていたのです。

 オリンピックも、ノーベル賞も、秋篠(略)も・・・、みな同じ。

 バフェットは真正の人間性から慈善活動をしているわけではない。


 孫正義にしてもそう。

 なぜか未だに彼とITを必ずと結びつけようとする人々がいます。

 しかし今では彼は巨額のカネを動かす投資家でしかない。
 グローバルに投資行動をする多角経営者に過ぎません。

 昨日、今期は四兆円という巨額の「含み益」を叩き出したことが発表されました。ソフトバンクは未公開株に投資していたためです。

 それでも、孫正義に関しては彼を「経営の天才」としなければ済まない人々がいる。日本の産業界のヒーローにしたい人々がいる。

 日本には「投資は悪」という先入観があるから、彼はIT経営者の理想像として語られるしかない。





 そして再び、「目的のためなら手段を選ばないヤツだ」という、非難めいた言い方を考えてみるとどうでしょう。

 それは理想に背いた偽りの成功なのでしょうか。


 しかし、目的のために何を捨て置いてもガムシャラにやることは、その目的や使命に捧げる正常な姿勢とは言えまいか。
 もしその目的が崇高なものであれば、過程など問われないという考え方もあるはずです。


 おキレイなことに終始するだけで正面突破しようとしてお仕舞い。
 本人も最初から失敗を承知していたとさえ言えるぐらいなら、それは信義への裏切りであり、欺瞞とも言える。

 しくじることを怖れるから言い訳を用意しておくのか。
 ただの自己満足でありパフォーマンスでしかないではないか。


 もちろん、「目的のためなら手段を選ばないのは悪」、と言う場合もあることでしょう。

 それも間違ってはいないと思います。
 確かにそういう場合もある。
 それは目的と手段、実現までの過程が果断なく結びついている場合です。

 つまり目的の中に手段も含まれている場合。

 手段があっての目的であり、その手段が汚れていれば、目的を達成したとしても汚れた唾棄すべき結果でしかなくなってしまうという場合はあります。


 古くて新しい議論になりますが、思想家の人格は思想の評価に影響を与えるか、と言う話がある。

 淫蕩と粗忽で知られる人物。
 社会的にはまるで軽蔑すべき人物でも、思想家として彼が辿り着いたものは崇高なものなのか。それとも、彼自身の自堕落さゆえに評価には値しないのか。

 彼がその思想へと辿り着く過程は薄汚れているなら、その考え方もやはり穢れたものでしょうか。


 漫画家、作家、タレント、役者、彼らにも同じ命題が言えるのです。
 





 挙げようとすればあり過ぎるほどの例証です。

 わざわざ例を出してもしょうがないぐらいw。

 あえて今、思いつくことを言えば、「人命尊重」と言いつつ人質が殺されるような状況にむざむざ犯人を追い詰め、人質が殺されて犯人を逮捕してもそれは失策である。
 とかw。

 そうなると、「あいつは人命など尊重していなかった。手柄が欲しかっただけ」なんて、そんな海外ドラマのネタwww(笑)。


 人に影響を与えたり目立とうとして、日頃から無責任な妄言をベラベラと喋っているヤツがいる。
 彼が文学賞を受賞してもその作品は汚れているようにしか見えない。

 その作品は人を動かそうとするいつもの彼のよこしまな動機に見えてしまい、魂がない、そう言われてしまうことでしょう。


そうすると、目的と手段を区分することが重要ということになります。

 目的、目標とは何か、はっきりさせることです。
 アスリートたる目的は、メダルでもなければオリンピックでもない。
 いい試合、その競技に傾ける情熱が目的そのものなはずだ。

 だから、日々の鍛錬をする。目的のために手段を選ぶ必要などない。
 徹底してシコを踏み、テッポウをやるべきということになるw。





 日本の独立や日本国民、日本人というものを守るということと、外国人を区別することは国家独立のための手段ではありません。
 離れたものです。

 外国人と日本人に区別を付けても、国の独立の正当性はまるで揺らがない。

 しかし、わざとこういうことを混同させようするのがいます。
 そして「外国人を差別するような意識があれば日本の独立など意味がない」などと飛躍させる詭弁。

 外国人を区別しない国などない。
 堂々として差別し、区別したらいい。
 慈善運動の集合体が国家ではない。

 独立国家として秩序を維持するためには外国人と日本人の差はつけて当然です。
 それは手段のひとつではありますが、その意味は国の独立性とはかけ離れている。

 というか、この国のメディアはともかく、世界中でこんなことは常識なのですが・・・。
 


 もっと言えば、「法の下の平等」と言い、その国の国民と外国人を区別して資格を弁別することは差別でもないし不平等ではないということです。

 キチガイじみた圧力に屈し、日本ではザイニチ外国人が弁護士資格を持てるようになった。各種の資格商売にも外国人が浸透しています。

 そうして国の雇用を無駄にし、国民、とりわけ若者が苦労してきた。


 議員の国民規定というのは、議員の独立性という目的のために設けなければならない障壁であり、「手段」と言えます。

 あるいは不動産取引のこと。
 相互主義を無視して中国人が日本の国土を買い漁ることなど許すべきではない。区別が必要です。


 最近はこの手のあまりに自明のことが歪められ、馬鹿らしい議論さえまかり通っているので、わざわざ冗長だと言ってもいられない。




「目的があるのになぜいちいち手段を選ぼうとするのか」

 むしろその方が、考えるべきテーマかも知れないということ。
 それが今回の結論です。

 達成するべきことがあるなら躊躇はするな。

 金メダルは達成すべき目的ではないはず。日々の競技、トレーニングと修練が目的な
はずです。
 オリンピック開催にアスリートたちがしがみつくのは、彼らの競技の目的が汚れているから。



 むしろその目的は間違いだったと、その手段を後悔するのは後になってからの審判でしかない。

 ドイツ第三帝国の野望のため、狂った理想が走った。
 不逞外国人でもなく密入国者でもなかったユダヤ人への弾圧を強め、ジェノサイドを起こしたことは、ドイツと欧州を汚れた帝国主義に染めた。


 同じ歴史の誤りは、中国のウィグル弾圧を看過することで再び繰り返されようとしているのではないか。

 今、どんな手を使っても中国を封じ込めねばならないはずです。

 インバウンドなどと喜んで中国人の汚いカネに飛びついている場合ではない。



 「目的のために手段を選ぶな」

 むしろ我々はこちらを訓戒とすべきのように思えます。

 なぜなら、「目的のために手段を選ばなくとも、正しい手段であれ」と、そこには願望が隠れているようにも思える。


 むしろ「手段を選んでいるような連中」というのは、自分の行動の目的に嘘があると自ら暴露しているように思えてなりません。

 それは結果として自分を犠牲にすることになるかも知れないから。
 だから卑怯者は逃げることを常に考える。



じくまであこせきにんで


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