看板がないとメシが食えないか
映画の食事シーン。
そんなことを話していたら米欧の映画の違いに気がついたのでした。
ヨーロッパとアメリカの文化の差が出ているところです。
ヨーロッパ映画には店が映ってないんだ。
アメリカ映画には店が登場します。
ガソリンスタンドもあるし、Barもある。
食べるシーンがあるかどうかに関わらず、たいていファミレスやダイナーが出てきます。
ところが、ヨーロッパの映画には店がない。
店らしきものがほとんど映っていないのです。
「店がないんじゃないよ、看板がないんだって」
と、嫁。
「それだ!」(織田なんちゃら風www)
ヨーロッパでは店の看板というものが出ていません。
ヨーロッパは店は目立たないのが普通です。
そこらに住んでいてよく知っている人しか利用しない。
都市部の、外国人が来るような観光地はともかくとして、田舎に行けばほとんど店には看板がありません。
食料品店、肉屋、パン屋。一見しても店がどこにあるのかが分かりにくいのです。
それは逆に地元民だけに分かる店、いわば「土地カン」ということにもつながります。それが大戦中は役に立ったりもしました。
ドイツ軍が侵攻を進めていたヨーロッパで、看板のない店がレジスタンスの物資補給拠点になったりしたのでした。
あまり言われることはないですが、外国人として歩いてみると分かります。
ヨーロッパの街並みは法律で定められていることもあり、むやみな看板というのがないのです。
その喩えは悪いですが、言ってみればアヘン窟や売春宿、あるいは故売屋、盗品売買所なんてところもそんな感じです。
もっと言えば、日本のパチンコ屋の両替所、換金所と一緒なのです。
知らない人にはよく分からない。
ほとんど違法賭博とされるパチンコ屋ですが、「両替屋とパチンコ屋の営業は別だ」何てやって法をすり抜け、昔はお目こぼしをしてもらっていました。
色々と面倒な不法滞在のザイニチ朝鮮人にまっとうな仕事をと、パチンコ屋ぐらいはと目こぼしをしてやっていました。
パチ屋の方でも、そんな後ろめたさがあるのか、両替所というのは昔からなぜか隠れたところにあったものです。
客に聞かないと分からなかったり、秘密の暗号のように地図がトイレなんかに貼ってあったりした。
みな似たようなものがあります。
知らない人間、外部の人間のむやみな来訪を拒絶するかのような店、食堂。
日本はどうでしょう。
日本の商店には看板がつきものです。「看板建築」なんてものさえありました。
目立たないといけないというぐらい、どの店も目立つよう作られていました。
実際には貧相な店だけれども大きな看板をハリボテのようにして店を目立たせる。
見た目は四階建てのビル。実際には木造二階建てです。
懐かしい昭和初期の建築文化です。
電車に乗って高架から下を見下ろすとそのハリボテの裏側が見えたw。
いえ、看板どころではありません。ノボリまであります。
ネオンがきらめき、ノボリがはためき、看板が出ているのが日本の場合は普通です。
それがどんな田舎でも、なぜか人の気配もない田舎町に目立つようにノボリだけがはためいていたりします。
チンドン屋か!www
今はコロナでどこも急激な売り上げの落ち込みで廃業しかけています。
しかしそもそも外食なんてものが多過ぎました。
これまで無駄なことが多過ぎた。
人の生活よりも商売が優先されていた。
共同体に割り込むようにして商売第一の店が立ち並んでいた。
これからは、よくありがちな家庭料理や郷土料理を食わせてくれる、そんな店ぐらいでいい。
ひっそりと佇むメシ屋に立ち寄ってその土地のものを味わうのがいい。
他所の土地の者が、溶け込むようにそっと遠慮がちに旅をして触れ合う、そんな風情の方がいい。
めいしくおしあがれ
