反意語・反対語
反意語・反対語、あるいは否定語というものがあります。
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「反対の、賛成の、はんたーい!」
なんて言っていたのは、確か「天才バカボン」でした。
いや、正しくは「バカボンのパパ」ですww(笑)。
例えば「穏やか」という言い方に対して「穏やかでない」という時、そこには反対とはちょっと違うニュアンスがあったりします。
それは反意語・反対語ではなく否定形に過ぎませんが、否定にもなっていない場合があります。
「不穏な空気がある」「険悪な雰囲気だ」ということで、「穏やかではない」と言ったりします。
しかし「穏やか」というのは、気候や気分が平穏な状態を言うわけです。
天候が荒れていることを「穏やかではない」とは言うでしょうが、どうもどこか違う気がします。
要は、否定語がそのまま反意語・反対語になるわけではないことがあるということです。
文法上、否定にはなっていますが、意味として反対にになっていない場合があると思うのです。
我が家ではよくこんな話を嫁としています。
振り返れば子供の頃、必ず一度はこういうトンチ遊び、言葉遊びをしたものです。
きっと誰でも覚えがあることでしょう。
みんなして反対の言葉を捜したり言い当てようとした。
今でも「ヤフー知恵袋」なんかでは「xxxの反意語は何ですか?」、「qqqqの反対語は何ですか?」なーんて質問が飛び交っているかと思います。
「だから何が知りたいの?」なんて、突っ込まれたりしていますww(笑)。
子供の頃、そういう時はたいていヒネクレてるというか要領がいいというか、ズルい子供がいたもので、強いの反対は? なんて聞かれると、「強くない!」なんて言ったものですw。
それは否定形に過ぎませんから反対語や反意語ではありません。
「あんちゃんかい?」「ああ、あんちゃんだよ」
「じゃあサ、北の反対は何だ?」「・・・こねえ!」
「やっぱりあんちゃんだ!」
なんてww。
しかし考えてみれば、否定形が反対語になる場合もあります。
例えば常識に対しては非常識でいいでしょう。
常識の反対語が、「突拍子もない!」 なんてのはちょっと違うと思いますw(笑)。
ま、まあウチの嫁はそう言うんだけれども(笑)。
かくも言葉は難しい。
なにしろ言葉を覚えたての子供の頃です。
ですから、そういう言葉の世界を理解するために反意語・反対語を探ろうとしていたのでしょう。
まるで暗闇で、階段の壁の端から端を探り、その幅を確かめるようなものだったのでしょうか。
今の私たちはどうなのか。
すっかりライトのついた明るい階段を上がっているのか、それとも暗闇に目が慣れてきただけなのか。
階段の幅が分かるようになってきたのか。
こういうことはれっきとした学習です。
言葉遊びに熱中した子供たちは褒められるべきだったかも知れません。
しかしたいていの大人たちは、こういう子供の遊びを忌み嫌いました。
教師なども眉をしかめたものです。
「勉強しなさい」と、煩くいいつける大人たちは子供に何を期待していたのでしょう。
なぜかこういう言葉遊びを大人たちは嫌いました。
その理由は今だから分かります。
なぜなら子供たちがこういう言葉のゲームに没頭してしまうと「知恵をつける」ことになるからw。
言う事を聞かせられなくなって都合が悪くなるからでした。
今、私は大人になってしまい、子供たちの生活は知りませんが、どうなっているのかは興味があるところです。
社会が見えず、同じ子供以外はまるで妖怪か別世界の生き物のようにしか感じられなかった頃。
なつかしくもあり、油断があればきっと危なかったことは色々あったろうと、今頃になって生き残ってきた幸運を振り返ります。
ごつかしゅうなざいました
