客を案内すると、地元に対して傲慢なのはなぜ
スタバを私に案内してくれた外人のことを思い出したのは、昨夕、ちょっとスタバが意味もなく密だったのを見たものですから。
アタシはあれからスタバには一度も行ってませんwww。
案内。それで思い出したことがあります。
それは知人の田舎、彼の郷里の近くの観光地へと誘われて遊びに行った時のことでした。
現地で迎えてくれた知人は普段の都会での態度とは豹変し、アタシはいきなり目を見張ったものです。
まるで肩で風切るような態度。
いったいどうかしちゃったのかと思ったぐらいのものがありました。
そんな振り返りのこと。
そんな風にお客を案内する時、一部の連中に、なぜ自分の地元に威張り散らすような傾向があるのか。
私はそれを思い出したのです。
その時の知人は、歩けばいちいち休みたがり、喫茶店に行けば「ちょっと」なんて、ウェイトレスを乱暴に呼びつけている。
灰皿を頼めば礼も言わない。
ドカドカと遠慮もなしに店内を歩いてパンフなんかを引っ掻き回している。
まるで「ここは俺のシマだ」とばかりにやる。
その態度から私にはそれが露骨に分かりました。
まるで私は外国人のようです。
外人に自分の地元を案内するようにして、一方では内向き、地元に対しては横柄な態度を続けていました。
そして、アタシが地元の誰かと話していると急いで割り込んできます。
まるで、アタシには通訳が必要で、現地の連中と直接話しちゃいけない、みたいな感じ。
お店の人に「これは何ですか」なんてアタシが聞いてると、慌てて割り込んでくる。
そうして土産物屋を冷やかしたと思ったら遠慮のまるでない試食。
ちょっと通路に出ていた椅子を見れば蹴飛ばし、「悪いな、ここは臭い田舎だからよw、客の邪魔になるなんて分からんのだw」なんて感じでやっているのです。
何をいきなり態度を大きくしてやがるんだ、お前は(怒)
いちいち失礼だろ。
アタシは腹が立った。
・・・「どうです、外国人使節団のみなさん、この国はこんな臭い百姓どもの国ですがね」なーんて、ニヤニヤと慇懃な笑いをしてアタシたち外国人にかしづく。
そしてアタシたちを案内して地元には大きな顔をし始めるというのがいる。
そんな感じです。
振り返れば同じようなことは途上国で何度も経験しました。
英語を話せない現地の連中に対して俺は話せると案内役を買って出て、威張り散らしながらアタシを案内したのがいた。
アタシは言葉ができなくても意思疎通はできます。
それが面白いのに。
自分は同じ地元の人間でありながら、アタシといると地元の人間を見下したような態度に豹変する。
なんてこと(笑)。
確かにそういう需要もあるのかも知れません。
「ガイド」を受け入れて、自分も偉そうに殿様然としている日本人というのもいます。
あるいはそういう白人たち。
結局、知人にはアタシはぶち切れてしまい、国道の何もない真っ暗な場所でクルマを止めさせ、アタシは降りてしまった。
そのまま振り返りもせず、街灯もない山道の暗闇にアタシは消えた。
知人の地元に対する非礼で傲慢な態度、訳の分からない豹変振りに心底我慢がならなくなったのでした。
じゃあな、クソ野郎。
知人は私の怒りが分からなかったようです。
ポカンとしていた。
私は歩いて山道を歩き、ヒッチハイク、そして駅に辿り着いたものです。
スタバを案内したオイジンのガトコには別に横柄なところなどありませんでした。
だから、こういうことは、もしかすると日本人や東洋人、いわば「途上国的」なものなのかも知れません。
俺が国を代表してこの先進国の外国人を案内してるんだ、お前らは黙って俺のやることをみておけ。
みたいな。みたいな(笑)。
かつて洋行した夏目漱石がイギリスで精神を病んだとは言われていますが、帰ってきてそんな風に外国を知っているような顔をして威張り散らしていたのでしょうか。
漱石はそれはないだろう、なんとなくそう思えますから、あの先生に関しては日本学術会議のようなセンセイとは違ったのでしょう。
それでこそ夏目w、学童「推薦」図書の値打ちがあります。
今回、騒ぎになっている「人文系の学者」なんてものは、みんなもともとは通訳みたいなものです。
そのまま向こうの進歩的な考え方とやらを紹介する、そんなのがルーツです。
だから彼らは通訳やガイドと同じように、自分には値打ちがあるのだと、騒いでいるのでしょうか。
そんなことを思いました。
「おい! 案内なんぞいいから、ビール買ってこい!」
「え、ええーー、はい・・・。」
「あんな、俺はそこの姉ちゃんに招待されたから、お前は待ってろ!」
「え? ええーー。は、はい。」
おそまつ
