よい映画にはたいてい食事シーンがある
最近、コロナ以降のことですが、映画をよく見ています。
☆
ネット配信の映画は手間が要りません。
色んな場所、景色を見せてくれる映画というのもあって、まるでGoTo気分ですww。
ストーリーそっちのけだったりして・・w。
嫁と二人して「こりゃ観光映画だなww」「素敵な場所」なーんていいながら見ていたら、意外と面白かったり。
ウチはほとんど洋画しか見ません。
我が家の宗教的な理由からですwww。
そんな風に映画を楽しんでいたら、先日のこと、ちょっとした違和感を感じたことがありました。
それはまずは街の風景から考えたことでした。
ストーリーにもよるのはあるかも知れませんが、ヨーロッパとアメリカで風景にとりわけ目立つ風景の違いがあるということです。
それは食事に関連したこと。
食事をする店、レストラン、あるいは食材を提供する店がヨーロッパの映画にはあまり映りません。そんなことを感じました。
まあ「食事」とか「食料品店」とか言っても、そこはあくまで映画のことです。
製作の都合なんかによって主人公が一食もしなかったり、ろくなものを食ってなかったりという映画はよくあります。
一方で食事のシーンがあるとそれはいい映画だなんて、そんな話もあります。
これは有名な話のようで、昔から色んな人が言っています。
良い映画にはたいてい食事シーンがある。
というものです。
だいたい食事シーンなんて、本気で映画に使おうとするととても手間がかかるものです。
ひとつのシーンを繰り返して撮影するのですから、何時間もかかります。
いくつも同じ料理を用意していないといけません。
それに食べるのですから食中毒だって心配です。時間が過ぎてしまえばまた新しいものが必要です。
時間がかかりすぎてダメになったらまた同じ料理を作り直しです。
登場人物が、なんだか色々ともがいたり悪戦苦闘している、それはいいですが、その間にメシをまるで食わないというのも、ちょっと観ている方としては困惑するものです。
山麓の奥地なんかを何日もナチの手を逃れて歩き続けたりする。
それはいいんですが・・・ww。
でも、食事とかはこの間はどうしてんの。
死んじゃうよ。
なーんてwww。
フト我に返ってしまうと、シラケそうになってしまいます。
そうすると、わざわざ観客の我々が脳内補完をしてストーリーの肉付けをしてあげないといけなくなる。
これを「リアリティ」とまでは言いませんが、「何かが足りない」と思ってしまうということは観客としては時々あることなののです。
結構、考えてみると食事に関することというのは映画、何かを描写するということでは非常な重要なことだということです。
それはどうしても我々の頭について離れません。
考えてみれば小説でも文学でもミステリでも。食事というのは必ず何らかの記述があったような気がします。
映画は大変だから、あまり食事シーンがないというだけかも知れません。
メシを食わないといけない、食事をしないと生きてゆけないのが人間だからです。
美味しい食事を食べれば元気になる、やる気になる、それが人間だからです。
だから見せないなら見せないでいいですが、なんとかストーリー的な時間軸を誤魔化し、まるで食事をしたかのように、いわば「行間を読ませる」ように描写に工夫することだってしないといけないかも知れないのです。
何もお約束のように、映画にことごとく食事シーンがなくてもいいかも知れません。
しかし観ていて、つい、「ちゃんと食べてる?」って、そう思わせないようにはして欲しいものですwww。
人間は考える葦であるかも知れませんけれども、まず食って活動するものだから。
それが私たちの食べる食事、料理というものです。
毎日を美味しく。
それが私たちの基本なのかも知れません。
おそまつ
