半というのは悪いニュアンス
半可通、半人前、二枚目半、三行半。
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そしてサツマイモの悪口のような言い草、「八里半」です。
それが嫌だから十三里とやった。
半と言うのはどうやら悪いニュアンスがあるかも知れません。
「欠けている」、「出来損ない」そんなニュアンスを感じます。
我々は現代の教育を受けていますから、「半」というと半分と普通に受け取りますが、実はあまりよい響きではないのかも知れません。
考えると折半という言葉にしてもそうです。
どこかけち臭かったり、負けたというニュアンスがないでしょうか。
なけなしの金を分け合って支払いに当てる、損害を分け合う、どうもそんな感じがあります。
ああ、情けない、と(笑)。
蛇足ですが、英語を習い始めた頃の振り返りのこと。
時刻のことです。
「ハーフ」というのは半分ということです。
で、「ハーフ・ナイン」と言うとどうか。
9時を半分にすると・・・八時半という意味です。
半分なんだから4時間半だろう、それはまた別の話w。
ハーフ・トゥ・ナインとか、エイト・パスト・ハーフと、わざわざパストとかトゥをつけると聞き間違いがないですが、ナイン・(アンド)・ハーフとしたら九時半になってしまいます。
「ハーフ・ナイン」で八時半。簡単な言い方ですが混同しがちかも知れません。
昔、これを教えられた頃はなかなか受け容れがたいものがありました。
要は時計の短針を読んで「その半分」としているわけです。
日本語では「八時半」と言います。「九時の半分」とは言いません。
この言い方、英語でももうあまり使われなくなったようです。
すっかり昭和の英語になりました。
しかし、「半分」というニュアンスが日本語とは少し違うとは言えるのではないか。
「等分」というなら、その方がずっとストレートに通じます。
対等というだけですから。中性的であんまりそんなニュアンスは感じません。
まあしかし結局、「半分コにする」なんて言うときに限ってこっちに小さいのを寄越そうとしたりするもんです。
インチキ臭い。胡散臭いのです。
何が「半分」だか分かったもんではありません。
もうお気づきかも知れません。
ネトウヨでなくとも気が付くことですwww(笑)。
『半』なんてつくのはだいたい悪い場合が多いのですwww。
そこは平賀源内と同じく、ここで締めといたしましょう(笑)。
ここまでしか言わないwww(略)。
おそまつ
・・・
「いいか、切るぞ。
こっちの周辺から、お前方へ向けてこうして真っ直ぐに自然に包丁を下ろす。
そうすればケーキは半分だろ。な? いいな?」
「はあ。いや、だけどさ、オイラの方向へっておかしくないかい?
なんで目印ってのがオイラなのさ?」
「お前は自分の座っている場所があるだろ。それが目印だ。
俺は座っているここからお前の方へ真っ直ぐだ。
お前を目印に、向かって包丁を傾けるだけだ、これが公平でなくてどうだ。え?」
「う、うん。で、でも、なんだか切った後を考えると小さく思えるよ。」
「それはまだ切ってないうちからお前が欲張りな想像をするからだ。
いいか。ケーキなんだから切ったらやり直しは聞かないんだ。
ちゃんと自分の取り分を静かーーに考えて、半分コということを考えるだけでいい。
欲を張っちゃいけないぞ、ったく・・・。」
「え?、で、でも、そのまま切ると、オイラの分はどうたって少ないだろ。」
「それは遠近感と言ってな、遠いほうが小さい、手前が大きい、そういう理屈があるんだ。
富士山を見て食べられると思っても、実際には遠いからそう見えるだけだろ。
あんなものは食べられるわけがない。」
「う、うん。
そ、そうなんだね(笑)。あは。」
「そうだ。それに大きさばかり考えるのはゲス根性という奴だ。」
「で、でも、なんで包丁は中心を通らないのさ?
中心を通らないと真ん中から半分コってことにはならない気がするけど。」
「馬鹿を言っちゃイケない。
真ん中ってどこに真ん中があるってか。 これはケーキだろうが。
真ん中なんてものがあったら最中(モナカ)になっちまう(笑)。
あっちは、お彼岸はお彼岸でもお中日なんかに食べるもの。
ケーキとは違うんだぜ。」
「・・・そ、そんなら、ま、真ん中を通らなくてもいいからさ、
もう少しケーキよくオイラに切っておくれよ・・・。」
「・・・・」
おそまつww
