九里四里旨い十三里、その始まり
ところは江戸。
☆
小江戸と呼ばれた川越です。
大いに江戸を支え、栄えた地域であります。
食料、人手、材木などの物資。
東京湾、品川の護岸工事をするというので川越からは大量の人足が品川に借り出されたりしました。
その時、平賀源内の件で大いに品川で流行っていたウナギの蒲焼、その文化を持ち帰って、今では川越にはウナギ屋さんがひしめいて名物となっています。
川越というのは、ちょうど江戸から離れて十三里だったのだそうです。
数える起点はやはり日本橋ということでしょう。
池袋からじゃちょっと足りないかも知れませんw。
今は池袋から線路で一本です(笑)。
そして、サツマイモもよく栽培されたのがやはり川越だったのだとか。
川越は江戸の台所でもありました。
それでサツマイモを十三里と呼ぼう。
なんでさ?、九里と四里を足せば十三里じゃねえか、それはここ川越ってことよ、何しろここらじゃたんまりサツマイモを作って出荷しているじゃねえか、と。
洒落てらあw。
なーんてのがあったんでしょう。
十三里という通り名にはそんな理由もつきました。
さしずめサンマのことを「目黒」と言っちゃうようなものです。
いえ、ないようでいて、実際に結構あるお話です。
種子島。
そういう言葉があります。
鉄砲伝来の種子島。
だから、昔は鉄砲のことを種子島と呼びました。
今言っても通じるぐらい。
え? 通じないと思う?
ふーむw。
おまわりさんに声をかけてみるといいかも知れません。
おい!種子島!
なーんてwww。
ちょっとビツクリするかも知れません。
別にそれで撃たれたりはしませんw。アメリカじゃないんだからw。
いや、しかし通じないとしたらむしろ困ります。
時代は遠く成りにけり、でしょうか。
それともやっぱり、ライフル系のものでないとピンとこないのかも知れません。
最初に伝来した鉄砲は火縄銃です。長かった。
短い銃は「短筒」なんて言って、その後に伝わった。
坂本竜馬が外国人から譲り受けて持ち歩いていたのは有名なお話です。
だから、「種子島!」なんて言ってもあんまり通じないかも知れない。
「田植えがしめえだ!」
「おう!そんじゃ一杯やるべか!」なーんて聞こえたりして。
、、、それはまた格調高い(笑)。
けど季節も違うw。
「種がしめえだ!」
結局、そんな風に聞こえちまうのがアタシ辺りの話ですwww(笑)。
少子化は、みんなそんなんで例の「赤玉」が出て終わっちゃったせいだとかw。
・・・みんなコキ過ぎですw。
おうぞどだいじに
