九里四里旨い、その後は
「九里四里旨い」って、焼き芋につけた通り名。
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でも、これだけじゃありませんでした。
ちゃんと下の句、ならぬ、全文があったのでした。
「九里四里旨い十三里」
と、言うのだそうですw。
それでサツマイモや焼き芋のことを「十三里(じゅうさんり)」なんて言う向きもいるそうです。
「栗なんかよりサツマイモを食べましょうヨ。
おいしい焼き芋ができました。
九里と四里、足すと十三里。ほらね。」なーーんてw。
「十三里」、サツマイモはこれからそう呼んでくれ、そうすりゃ旨いというのをすぐ覚えるから、そんな主張です。
九里足すところの、四里(より)で、十三里。
まあやはりここでも「旨い」というのが欠けていますがw。
平賀源内ではないけれども、「サツマイモは旨い」、というのはみなが考えている共通認識ということなんでしょうか。
なんたって値段ならイモの方が安い。
栗なんてそこらに生えてて落ちてたりするのに、エラく高いんですから・・・w。
「十三夜」というのもあります。
「十五夜お月さん」の後、やはりお月見をする風習があります。
そう言えば十三夜なんて、季節的はサツマイモのシーズン真っ盛りではありませんかw。
それも関係があるのかも知れません。まるで秘数術のようですがw。
調べると今年の十三夜というのは10月29日ということでした。
まだ間に合います。
ワショーーーイwww(笑)!
どこかで昔聞いた、サツマイモの由来と物語があります。
飢饉が繰り返され不幸が度重なった江戸時代中期の頃。
南蛮渡来のサツマイモが大発見。
これは大変な授かりものだとみなが喜んだ。
どんな乾燥にも耐え、荒地・砂地でもよく育ち、そして大きな実をつける。
栄養も抜群で保存も良い。
これで民が飢えることはなくなる。
ところが、江戸幕府は飢饉に耐えるような体力を藩が持ってはまかりならんと、そのサツマイモの普及を阻止しようとした。
「サツマイモ」ですから、最初に入ってきたのは薩摩藩ということでしょう。
英語だと「タピオカ」なんて言う人もいます。
薩摩藩はサツマイモの種芋をあちこちにばら撒いて、飢饉の対策にと広く普及させようとした。
幕府の隠密がこれを察知し妨害しようとする。
種芋を狙っての争奪戦と相成ります。
自らの権力維持のために倒れる民を見殺しにするのか。
わざわざ飢饉を温存しようとする非道の幕府。
悲しくも倒れる者あり、辛くも逃げおおせる者あり。
やがて薩摩は倒幕へと傾いてゆく。
サツマイモは飢饉と江戸幕府の権力維持のための思惑に揺れた。
そんな話を聞いたことを思い出します。
史実としてどうかは知りませんw。
実際にそんなことがあったかどうかはともかく、しかしありそうではありませんか。
私は子供の頃、その物語を深く植えつけられました。
食料は武器になる。
さしずめ今なら飽食の時代。言論表現が武器になるようなものです。
言論をどんなに腐らせようと、自分たちの利益のために露骨に捻じ曲げようとするのがいる。
おうぞどだいじに
・・・
十三夜の10月29日、今年はよい月が見れるでしょうか。
十三という数字に絡むことなら、「十三」書いて「じゅうぞう」と読む大阪の歓楽街を思い出します。
いかがわしいネオン輝く街、かつて遊郭だったそうですが、キャバクラだのピンサロなどが立ち並ぶ「夜の街」ですw。
「じゅうぞうに飲みに行こうと思ってるんですが」なんて、出張先でつい言ってみたら、女の子たちに怪訝な顔をされた振り返りのことw。
なーんてことはありません。サツマイモのような二の腕と太腿をした「芋姉ちゃん」がいただけでした(笑)。
そのキャバクラの名前は「千夜一夜」だったとか、なかったとかwww。
おそまつ
