食いモノにされる場面、ボディガード奇譚
特殊学級の子達の中には親御さんが裕福な子というのも当然います。
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家庭のレベルは様々です。
養護学校の教師には裕福な養護の生徒を狙う教師がいたりします。
ああいう子供らは、まずトイレの躾や歯磨き、食事、基本的な生活のことができるかどうかというのが第一で、どの親も悩んでいるものです。
そこで、個人的な家庭教師を買って出て、夏休みなどに泊り込みをさせて躾をしてあげる。
それが教師たちのアルバイトになっているようでした。
だから、普段の学校生活でも、どうしてもそういう裕福な家の子を重点的に見ようとする傾向は見えてしまいます。
まず彼らが懐いてくれ、教師を頼りにしてくれないとしょうがありません。
そしてご両親に対し、「自分にはこの子は懐いているから」と示し、個人指導を請け負うのです。
私が林間学校で見たのは、そうした個人的な信頼関係を築こうとしている教師のひとりでした。
どうやら個人的なつながり、そのよすがが欲しかったようで、この旅行中、教師は子供の気持ちを動かそうと必死でした。
笑ったり話しかけたり、大声でかけ声を出したり。
しかしどこか大袈裟だった。
とうとう旅行の解散ということになった時、狙った子供にあからさまな声をかけ、「一緒に頑張ろうな!」なんて言ってたw。
おそらく、ご本人たち、みんなにはそんな大人たちの魂胆が分かったのでしょうか。
それが嫌だったのでしょうか。
私のように、「地蔵」のように突っ立っているだけのボディガードに、色んな子がまとわりついてきました。
我々は黙って、ただじっとしていました。
チョッカイを出してこられても静かにいなすだけ。
穏やかに沈黙を守った。
彼らの行動を邪魔をせず、思考を妨げず、中立的に関わり、ひたすら立っていた。
そして彼らの安全だけを見ていました。
私としては、こういうことは彼らが自分で考えることだと思っていました。
それは厳しいことかも知れませんが、これからいくらでもそうした罠や汚い連中が寄ってくることは予想できます。
信託財産があれば狙われる。補助金があれば奪われる。
彼らを騙そうとし、言いように動かそうとする連中はいくらでもいる。
今、まだそうした脅威が深刻でないうちから、ご自分でそうしたものを感じられるようにし、そんな人のよこしまさ、魂胆がある人との付き合い方を学ぶべきたと私は思った。
逃げるにしても、信用ならない人間は誰か、それを判別できなければならない。
私の気持ちが伝わったかどうかは分かりません。
伝わればよいとは思っていた。
みなが私たちの顔を伺っていたように思えた。
旅行中、色んな指図が混乱したことが何度もありました。
あっちだ、こっちだ、待機せよ、進め、色んな指示がそれぞれの教師からバラバラに出て少し混乱しました。
そんな時、彼らは私の顔を横目で見た。どうすればいいのかと尋ねるように。
大袈裟な作り笑いをしない、無表情の我々の顔を。
私は表情を変えず、じっとしていた。
全体に号令をかけるのは私の役目ではない。
私は彼らの安全を守ることだけです。
教師の指示に混乱があったら自分で判断することも必要です。
逃げる時は自分で判断しなければいけない。
私もまた、それで自分の姿勢が試されていると思った。
いずれ彼らは色んなことを判断できるようにならねばならないのだ、と、それができると信じることを。
