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卵かけご飯の真髄、「おもむろ」

 「・・・(略)・・・小鉢にとった卵にちょっと醤油を垂らし、それをざっくりと混ぜる。
 新鮮な卵の黄身が割れてプリプリとした白身と混じってゆく。
 
 傍らにはホカホカ炊きたてのご飯がされている。
 よし。そう心の中で呟いて、おもむろに私は茶碗に卵を流し入れた。
 大きなドンブリであれば安心できるのだが、それでもそこは卵に失礼がないよう、ゆっくりとおもむろに卵を流し入れる。
 それが卵をいただく者から卵への敬意の表明であるのだ。

       ---出典( 某未発表原稿抜粋  皮毒河書店「粗食の饗宴」)」

 ふ、フーン。
 ぶ、文学?
 なーんて・・・www(笑)


 嘘。嘘w。
 www。あくまで「そんな感じ」というイメージw。

 つまり、アタシが言いたいことは、卵かけご飯には必ず「おもむろ」という言葉がつきものではないか、落ち着いた、静かなちゃぶ台での峻烈な決断の結果なのではないか、そういう問いかけなのでした。

 でも、いったい「おもむろ」というのは何でしょう。

 いったいこの言葉というのは何だwww。

「 おもむろに頭を上げて、おもむろに立ち去ったかと思うと、おもむろに向こうでお辞儀をしているあの男。彼は誰ですかとおもむろに聞くワタシ。主人がちょっと間をおいておもむろにワタシの耳元でささやく、あの方はあれでも殿様なのですと・・・(略) 」

 ・・・うーんw。

gooの辞書から引用してみるとこんな感じです。

[副]落ち着いて、ゆっくりと行動するさま。「徐に立ち上がる」「徐に口を開く」
[補説]文化庁が発表した平成26年度「国語に関する世論調査」では、本来の意味とされる「ゆっくりと」で使う人が44.5パーセント、本来の意味ではない「不意に」で使う人が40.8パーセントという結果が出ている。

 「ゆっくりと」と、解釈してそれは間違っていないでしょうが、そこにはもう少し追加された何か、雰囲気というものがあります。

 「ゆっくりと」というだけではない意味が含まれているとアタシは思う。
 だから「不意に」と間違ったりするのです。

ふぃーーーに♪www

 ああ、それはまだ冬には早い。失礼w。

 「おもむろに財布を取り出す」ってことが、なんで「不意に財布を取り出す」と間違って受け取られてしまうのか。
 それは「向こうさん都合だから」です。

 「そりゃあ、向こうが何を考えているかなんて分からないでしょ?」、そうやって人のことは結局は分からない、なんて、そんな絶対的な前提を置いてしまう若い世代の思考も分からないではない。
 そうすると、「不意」ということになりはするでしょう。

 「こちら側」からすれば不意にやったように見えるわけです。
 言葉の間違った解釈も、それなりに、考え方はあるように思えます。
 
 
 「おもむろ」とは、その前のことがある。
 まずその前に、必ず我々は深い息をしているものなのです。

 ゆっくりと忍び足はしても、おもむろに忍び足などしません。
 忍び足なんて息を殺すものですw。

 「ふう」と息をついて、そして「おもむろ」に何かをするのです。
 だからまるでその「意味」は「ゆっくり」とは違うものでしょう。

 ゆっくりと卵をかけてはいけません。

 それではまるで調理になってしまいます。
 ゆっくりと卵を回し入れる。それではカキ玉でも作ろうってことになってしまうw。


 卵かけご飯は「おもむろ」に卵を流し込む。

 ある種の決意がそこにはあります。
 あるいはこれから卵かけご飯を食べるのだなという、直前の慨嘆です。

 「よし。」、「さていただくか。」、等々。

 覚悟や達観、穏やかな決意、そういうものが「おもむろ」にすることには付きまとうということなのです。

 「おもむろ」に何かをするからには、必ずなんらかの考えに到達していなければならないということ。

 だから、「卵かけご飯にはみんなが一家言ある」と言ってもよいのです。
 カツオブシが欠かせない、それだっていい。
 ひとつの境地です。

 「おもむろに卵をかける。」

 この言葉は、卵かけご飯について文章で表現しようとすれば、つい必然的にされてしまう表現でしょう。いわば慣用表現です。

 実は先日の記事ではアタシは、記事を書いた後になってわざと「おもむろ」って言葉を削ってみた。それを避けてみたのでした。


 料理人でもなければ、卵料理のことをいつも考えているわけはありません。

 でも、「卵かけご飯をどうしようか」というのは頭の片隅にあるかも知れません。それは我々の日常のことであり、どっかしら心の奥でいつも感じていること。
 それが食べる楽しみ、喜びということだからw。


 「おもむろ」とは何か。

 もしその言葉に迷ったら、すなわち、もし決断や覚悟に躊躇したというなら、卵かけご飯を思い出すといい。
 卵かけご飯にする時、我々は「おもむろに」茶碗に卵をかける。そのことを想像したらよいのではないか。

 「おもむろに友人に手を差し出す」「おもむろに扉に手をかける」、それらの時、我々は何かの境地にあるのだと、言えないでしょうか。



あせいちょうごりがとうございました
 
おそまつ



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