死刑占い 編集後記w、カテゴリD
占いの正道をいこうと密かにアタシは思ってたりしますw。
人間というのは捉えにくい面があります。自分自身のことにしてもそうです。
占いとは言ってますが、用はそういう特徴を捉えるということ。それは役者の基本でもあったりするのでしたw。
や、役者やぁのぅぅううう(汗)!
ここで、「チョンワチョンワ!」と脳裏に浮かんだらお歳がバレますwww。
さて、続いて D.ごく簡素なものをと頼む人 の反省というか振り返り。
「(思い浮かんだのは)おにぎりでした」と、メッセージをいただいた方がいらっしゃいました。コメント欄ではありませんでしたので、この場を借りてお礼申し上げます。
Eの方もおられます。ありがとうございました
ごく簡素なものというと、粥、おにぎり、漬物、味噌汁、コンソメスープ、トースト、そんな感じでしょうか。
ここに蕎麦やうどんも入ってもいいと思われるかも知れませんが、そこは最近は蕎麦やうどんというのは色々と世間的にもこだわりが多い。
それに家庭で食べるというよりもまず店でしょう。
そもそも「ばあちゃんの打ってくれたうどん」と店屋物のうどんは一緒になりませんw。
これらは誰もが知っているものです。
死刑の前というシチュについても理解していただいており、だからこそ何か反省もあるのではないでしょうか。
死刑の前を想定され、神妙に選ばれた感じが伝わります。
「反省なんて!なんも悪いことなんかしてないよ!」
「いや、これは「死刑の前」っていう、あくまで「仮定」ですから・・・。」
なーんて、こういう問題についてすぐそんな反応をする人はいますwww。
そんで挙句、「俺は死刑になんかならんぞ!仮定にしてもならん!絶対にならない!」なんてお怒りになったりするw。
これは容易に想定できることなのでw、「死刑占い」ってネーミングを止そうと思ったこともあります。
しかしどうにもこのビビットな感じは捨てがたい。
なんだか新しいしw。
イタリア料理には「娼婦のパスタ」なんてのがあるんです。日本も「山賊揚げ」ぐらいじゃ甘い!「地面師カレー」とかレトルトで出したっていいじゃないか。ハウスとかからw。
・・・あえてこの名前でいきたいと思っていますwww。
そういうことはまあ別としてです。
こういう質問に対してのこと。
「仮に」とやって仮定問題に対して答えを出す時、ちゃんとそれを前提として考えてくれる人はいるものです。
このことはちょっと「問題処理」として考察したいところです。
このことを分かりやすく説明すると、
「仮にキャビアが半額で売ってたとして」と尋ねるとすると、「買う」か「やっぱり買わないか」で答えるわけです。
そのまま「買う」か「買わない」で答え、「食べつけないが半額なら買いたい」とか、「味を知らないので買わない」なんて答えてくれます。
こういう回答は普通の問題処理をする人です。
一方で、「キャビアは半額になっても高いだろうから、半額でもその時そんなにお金を財布に入れて買い物に出掛けてるかなぁ」とか、「カードで払えれば」なんて考える人がいます。
「買う」か「買わないか」の二択だけで終わらない人です。
仮定の世界に入って考える人です。
ま、まあ(笑)、「ちょ、待て。だいたいそのキャビアはホンモノだろうね」なんて、突っ込みを入れる人もいるでしょうがwww。
つまりその問題への向き合い方もまたその人を表しているのだと私は思うのです。
ともかく、シンプルな食べ物には必ず想い出があると思います。
あの時の味、あの頃に食べたもの。記憶とともに思い出すことができるものです。
ボケてなくても、先週の夕食が何だったか、なかなか思い出せるものではありません。
え? その日は野球を観に行った日だから覚えてる?
はは・・・はぁ(笑)。
・・・ホンに、言葉は難しーーーーいっ!(財津調)
まあ、だから選ぶのはそんな生きてきたことが思い出せるものがいいという人。
最後だから。
パーッとやろうというのはちょっと違うと思うけどw。 なにしろ死刑ですからw。
ともかく、このカテゴリDの回答にはその人の慎重さ、現実感覚というものを感じるのです。
おそまつ
※ もはやこの欄は編集後記の後記でしょうか(笑)。
それにしてもなんかこの「続きを読む」欄は隠れた感じがして、つい不用意に色々書いてしまいそうです。
気をつけないとw。
占い師の孫の私は、長らくそれこそずっと歳をとるまで祖父に会うことはありませんでした。
フューチャーテリングの孫だなんて言ったとき、海外、とりわけ途上国なんかでは随分とハッタリがきいて驚いたことがあります。
本当かどうかも分からないのに。
そのオーラでもアタシにはあったんでしょうかw。
なにしろ毒親の母方の祖父です。
父親も毒でしたが、父親はその母方とは縁を切っていました。
噂話のようにして父は占い師というインチキな商売をやっているのが母親の家だなんて、そんな話をしただけです。
まるで交通はなかったのでした。
そして早くに父親が死に、私は独りで生きてきました。
そうしてある時、その祖父に会ってみたら面白いと思ったのです。
ちょっとしたイタズラ心で私は嫁と二人で祖父の家を探し、面会を求めたのでした。
一度だけ会ったことがあります。
それからです。
私が自分のことをフューチャーテリングの孫だなんて言うようになったのは。
