エチオピア人とパソコン
ヤモリの赤ちゃんのおかげで、寝室にいるとほっこりした気分になります。
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昨日の十三夜は曇りだったけど、前の日の月はとても明るく輝いていた。
明日はハロウィーンだそうで、暮らしの歳時記です。
もうヤモリの姿は見かけませんけど、まだ可愛らしい気持ちが続いています(笑)。
枕元のお茶が美味しいw。
前にお話したかも知りませんが、私には親しくしていたエチオピア人の友人がいました。
エチオピアから日本の大学に院留学に来て、国際法、国際間の条約なんかを学んでいた。
・文書作成の革新、それは我が国に何をもたらしたのか
彼との最初の出会いは私がマッキントッシュを売りつけたことから始まります。
コーヒーショップにいた色の黒い男が、熱心にチョコチョコと書き物をしているので、声をかけてみたのでした。
当時は私はもうワープロどころかパソコンでの文書作成の革新というもの、そのシフトを実感していましたから、日本にいる外国人の彼が遅れていというのも残念だと思った。
それはこんな記事でした。
それに、ウチにマックの在庫が余っていたというのがありました(笑)。
たどたどしい日本語で答える彼と私はすぐに親しくなった。
真面目なヤツでした。
当時はまだそれほど普及していなかったパソコンが格安で手に入るというので彼は喜んだ。
すぐに彼はエチオピアのフォントを手に入れるようになり、いわばエチオピア語の「ワープロ」を手に入れたのでした。
とても早く文字が打てると彼は喜んだ。
エチオピアの文字も日本語同様のようで、手書きだと時間がかかるようでした。
彼は会うたびにパソコンのことを聞いてきました。
なんでも興味津々でした。
クリクリした目で、まるでヤモリのように好奇心のかたまり、私の顔を伺いながら色んなことを聞いてきた。
彼はメモをとって私の話を聞いた。
そのうち、そんなパソコンのサポセンも必要なくなり、パソコンを使ってすっかり能率的な仕事をしているようでした。
彼は日本とエチオピアの友好のための活動もしていたようです。
そうして親しく付き合っているうち、私は、死蔵していたアドラーのタイプを彼にあげることを思いつきました。
「アドラー」というのは有名なタイプライターのメーカーで、オリベッティなどよりずっと高級なタイプライターだったはずです。
ワープロの「文豪」と「書院」ぐらいの違いがあったでしょうかwww(笑)。イミフw。
少なくともセイコーとシチズンぐらいの違いはあったと思いますww。
パソコンは安めのマックでしたが、タイプライターは上等というわけです。
とにかく英文の仕事に使えるだろう、ある日、使わなくなったアドラーのタイプライターを彼のところに持っていったのでした。
するとどうしたわけか彼は困惑したような顔をしながらニヤニヤ笑いです。
紳士な彼は、態度にこそ表しませんでしたが、あまり私のプレゼントに喜べなかったようでした。
私の方はすっかりつまらない気分になってしまったw。
察した彼は私を慰めてはくれたものの、結局、彼が文章作成の環境を一変させたのを私はすっかり忘れていたのでした。
彼はタイプライターなどすっかり通り越し、パソコンを使うようになっていたのです。
エチオピア文字、日本語、英語、その気になればフォントは何でも入れられます。
だから今更アルファベットしか打てないタイプライターに彼が喜ぶはずもなかったのは当然です。
「そこらのリサイクル屋で売れば金になるかもしれないぜ、」
私は負け惜しみを言った。
その時に淹れてくれた、エチオピアのコーヒーはことの他美味しかったことを振り返ります。
今はもう彼はこの世にはいません。
あの時のコーヒーは彼の実家のコーヒー園のものだったはずです。
彼はヤモリどころか、故郷エチオピアでは王子のような家柄だったのでした。
私はずっとそれを知りませんでした。
