日本の文書コミュニケーションのブレイクスルー
昨晩の話を、もう少し続けてみることにします。
☆
我が国が横書きへと移行していっても、過渡期には縦書きも混在していました。
もちろん、今でも縦書きというのは日本の文化に残っています。
その時々の用途に応じて、両者はうまく共存が出来ているように見えます。
印刷物のレイアウトの必要に応じて臨機応変。
悪く言えば節操がありませんw。
ただ、我々が作成する文書に関してはほとんど横書きになりました。
学校の作文や小論文などで原稿用紙が使われる場合、それは必ず縦書きでした。
大量印刷のため活版印刷へ回すための原稿というものも、原稿用紙が使われました。
印刷屋さんに回すため、横書きで原稿を渡しても、まずは縦書きに直されたほどです。
もちろん、いくら原稿用紙が縦書きだったと言っても、ひとつのマス目に文字を埋めるものとされましたから、筆記連続体で続けて書き連ねてゆくわけにもゆきません。
今伝えられている昭和の文豪たちの原稿用紙にしても、みなそこそこ読める縦書きです。
少なくとも、戦国武将たちの書状のように読みにくいものではありません。
ということは、流暢に書けるはずの縦書きでありながら、なぜか楷書で丁寧に原稿用紙を埋めていたことになります。
戦後、昭和の時代は、そうした共存と混乱が日本語の文書作成作業には見られたのだと思います。
それでも世の中はゆっくりと着実に横書きを中心としたものになってゆきました。
看板、注意書き、説明文、契約書、それらがみな、横書きになっていきました。
我々は手書きで、この変化に適応しようとしましたから、半ば無理やりに横書きで文章を書いていたことになります。
日本語の文字としては横書きよりは縦書きが本来なのです。
ですから、それは時間のかかる、とても徒労に感じられる文章作成になっていたと思います。
私が聞かれた通り、「日本語で文章を書くのは時間がかかる」ようになったのです。
縦書きも同様のことになりました。
原稿用紙を埋める目的は印刷のため活字を拾うためにあるのですから、書道家のようにはゆきません。
そうそう崩れた読みにくい連続体の文字が許されるはずもありません。
そうしてこれに比例して、自然と文章を読む側、つまり文章を読むというリタラシーのハードルは下がらざるを得なくなってゆきます。
ますます古文書などの縦書きの流暢な文書は読める人が少なくなってゆきます。
文書作成という意味では横書きは非能率に過ぎ、縦書きはまだ能率がよかったのに、縦書きも横書きへの移行に歩調を合わせるように「読みやすい文字」ということが第一となってゆきました。
大量の文書を配布するのであれば印刷技術がありますから、マス消費社会としては適切でした。
ただ、例えば、裁判などは相変わらずまだ縦書き中心でしたから、いちいち主張や陳述を書くとしたら、相当の労力がかかったことは容易に想像ができます。
とてもじゃないけれども、弁護士なんてなかなかできませんw。
いわばマス消費社会としての読みやすさと、文書作成における縦書きから横書きへ移行したための非効率性が同居していました。
別な言い方をすれば「誰でも文章が読める社会」になっていったわけです。
ところが、そこに突如としてワープロというものが登場し、パソコンとともにフロントエンドプロセッサというものが生まれます。
ひらがなの漢字変換、日本語入力という技術です。
それこそ、読みやすい文書が跳ぶように作れる。
簡単に文書が作れる時代になったのです。
これは長足の進歩どころか、大きな飛躍と言ってよかった。
横書きどころか、日本語の文章作成のスピードがまるで違うスピードになったのでした。
そこで財を成し、今現在へのスタートアップとしたのがソフトバンクの孫正義氏と言われています。
彼はそのワードプロセッサのアイディアをシャープに売ったという話です。
ともかく、このワープロ・パソコンの登場は、日本人にとって欧米人にとってのタイプライターの出現そのものでした。
むしろタイプライターの出現以上のものがあったと言えるかもしれません。
相変わらず欧米人は横書きであり、日本人のように縦書きを横書きにしたというような移行ではありませんでした。
タイプライターを誰もが使うようになったため、筆記体で書くことが廃れていったというに過ぎません。
手書きでもブロック体を使うようになったといっても、本来がタイプを使うのが主流です。
「退行」したというほどではありません。
必要ならタイプライターをつかえばよかったからです。
日本人は国際化の過程で横書きへと移行し、その過程で文書作成の効率が落ちていました。
その意味で、日本にとってのワープロ・パソコンによる文書作成という技術の出現は、完全な横書き社会達成としては大きな飛躍だったと言えます。
漢字・ひらがな・カタカナと、アルファベット以上の文字数を必要とする我々日本人には、タイプライターのようなものがなかなかありませんでした。
せいぜい活版印刷的なもの、組み合わせ活字印刷のような大量頒布のための技術しかなかった日本語が、一気に文書作成の段階からスピードの世界へと転換したのでした。
ここで改めて欧米と日本にとってタイプライターの出現による革新を対比させてみると、不思議なことに気がつきます。
欧米人にとってタイプライターが生まれたことと、我々にワープロが使えるようになったことの影響、そのインパクトの差です。
日本語にワープロが登場したことの方が、欧米人にとってのタイプライターの登場よりもずっと大きい影響があったはずです。
それはとても大きな違いと変化であったのに、あまりそのことで日本の社会には革新を遂げた具体的変化が見当らないこと、それが不思議なのです。
ワープロやパソコンの登場による私たち社会の具体的な変化、大きな影響というものは何だったのでしょうか。
日本は激しい革新を遂げながら、表面的にはあまり大きな変化をしていないように見えます。
それはなぜなのでしょう。
しかし、何も街角から「代書屋」がいなくなっただけの変化ではないはずです。
らたまいしゅう!
おまけ: たまには格調高くいってみましょうw
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