ポテサラ論争のウリジナル感に嗤う
ごく当たり前のこと、我が国のパラダイムを否定しようという動きが時々ある。
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「外国人に冷笑された」、いったいその根拠にもならない伝聞、例えをしてみせて、それどどんな批判の根拠になると思うのか。
何を証明をした気になってるのだろう。
こういうのが朝鮮系の発想だ。事大主義と言うこと。
そして日本への悪意とヘイトへとつながってゆく。
最近、ネットで「ポテサラ論争」というのをでっち上げたのがいた。
いつもの騒ぐだけのネタ記事だ。
そのネタ記事はなぜか外国人が登場して日本を批判する。いわく日本を良く知る連中なのだと引き合いにする。
取り沙汰されたのは「ポテサラぐらい自分の子供に自分で作ってやれよ」と、主婦がスーパーで見知らぬオヤジから言われたというネタだ。
いつものネットのクソ記事で、事実かどうかは疑わしいが、共感するところはある。
「ポテサラすら子供に作ってやれないのだから」という話になるとは思うからだ。
簡単なことが出来ないなら他のこともしない。
今も子供の虐待事件が後を絶たないのだから、こういう話はあってもいい。
家事が嫌なら家政婦を雇えばいい、そんなことを言う連中は何もできない。その雇うカネすらやがてはアテにできなくなるということだ。
自分でサバイバルできなくてどうする。
そんなことは日本特有の文化ですらない。
「買ってきただけのものに心はこもっていない」なんて、それは世界中でみなが共有している感覚だ。
自分で米を炊け、自分で料理をしろ。7月4日のBBQは誰が面倒を見ているのか。
料理が面倒だの時間の工面ができないなどと言っている連中は、自分が無能だと暴露しているようなものだ。
そして開き直るのか。
僅か5分で済むことをわざわざ人を呼ぼうとし、ぐずぐずしてしまう連中というのは確かにいるが、ポテサラ論争はそんな話でもあるまい。
そしてこのネタ記事では、日本をよく知るタイ人というのが出てきて「外国人」として日本批判に加わっていた。
タイ人いわく、
「日本人は苦労をわざわざ尊ぶところがある」と。
「ポテサラをわざわざ自分で作ることが美徳だと決めつけている」、と。
タイ人は怠け者ではあるが(笑)、「料理を作りたくないから屋台でみんな買って済ませて」というのはちょっと違う。
タイ文化に対する見識のなさを考えると、タイ人であることさえ疑わせる。
そしてそういう、人の口を借りようという性根となると、もやはどこの勢力かは隠せなくなってくる。
最近はあちらの話をとんと聞かなくなって爽やかだが、無視されてもタイ人を引き合いに出してまで、反日だけはまだやりたいらしい。
ちょっと前のこと、「日本生まれのクムチ」と、商品の宣伝がされていた。
向こうのクムチは衛生管理などなくて危ないが、日本のものなら安心と言うわけだw。
「このクムチを作っているのは日本のメーカーだ」、という宣伝だったのだが、宣伝はクムチが日本の文化であるような言い方に聞こえなくもなかったw。
連中はこれに正面から噛み付く度胸はなかったらしい。怒鳴りつければ犬のようにシュンとしてしまう。
「ウリジナル」と、いつもやたらと五月蝿い連中だが、さすがにこの宣伝にはギョッとして黙るしかなかったようだw。
昨晩、スーパーのイートインで、ご飯を肉で巻いて焼くレシピ動画が流されていた。
それを見て嫁が言った。
最近、ごく短期間に色んなところで似たような料理の紹介を見た、そう言うのだ。
動画は肉でご飯を巻いて焼いていた。
これ、ご飯が油でギトギトしないか?
まあ、食べる人次第だからどうでもいいが、とにかく、何の工作なのか、ネットやメディアで最近集中的にこんな「肉で巻いて焼く」というのが流されているという。
何の意図があるの?
あちこちでさんざん流して、いずれドヤ顔、「実はこれはウリジナルにだ」とやるんだろうw。
実にキムチの悪い話だw。 二人で笑ってしまった。
おそまつ
