失われる沖縄、那覇の観光スポット
コロナ感染再発の前に早々とGO2で出かけてしまっている人もいるようだ。
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その沖縄も感染が拡大していたとかで、後悔している人もいるかも知れない。
まあそこは自己責任でしかない。
せっかく出かけたのだ、楽しんでくればいいと思う。人生は一度きりだw。
その沖縄の、那覇の観光スポットで、公設市場がなくなるという話を聞いた。
老朽化のために取り壊すということだ。
公設市場というのは那覇の中心部にある市民のための市場で、野菜や魚、肉なんかを売っている。
さしずめ沖縄の人にとっては台所のように馴染み深いところだったろう。
その建物をアーケード街が囲んでいる。
南国沖縄の生活に触れるのは楽しい。
土産もそこで色々選べるだろう。
その二階が一番いいところだ。
後の時代になって観光客用に整備されたものらしい。エスカレーターで上がってゆくと小汚いフードコートになっている。
何軒かの飲食店が営業し、真ん中のホールには椅子とテーブルが出してある。
そこでは、下の市場で買ったものをそのまま上に持って行って、その場で好みの味で調理してもらうことができる。
それが楽しくて面白い。そして何より安いのだ。
魚屋では中ぐらいのミーバイ、青い熱帯魚を買って油で揚げて甘辛でアンカケにしてもらうよう頼んだ。タンパクな白身の味。
味付けと調理の手数料は500円ぐらいだったろうか。魚が普通の魚屋の値段なので安い。
そして石垣牛の頬肉というのがあるというので、肉屋で買ってそれをステーキにしてもらった。
頬肉なんて、魚などでもよく動くところでアラで重宝される。
油が乗っていて美味しいに違いがないと頼んだ。シンプルな味付けだが極上の味わいがあった。
そしてオリオンビールをいただく。
野球中継か何かやっていたから、こんな夏のことだったかもしれない、振り返りのこと。
騒がしくてゴチャついた古びたフードコートだった。
侘びサビがわかる人なら、あそこほどいいところはない。
台北や上海でも似たような雰囲気を味わったことがある。
まだやっているなら、取り壊しの直前の幸運だ。
穏やかな暮らしに欲が出るととたんに狂ってゆく。
本来、観光客などたまにやってくるよそ者で、人々は地元の生活をして回っているものだ。
GO2や観光振興、インバウンドなどの話を聞くと官僚の見込み違いに振り回されている滑稽さを思う。
昔からそういう風景は繰り返されてきた。
静かな暮らし、目の前の手仕事、質素でも心のこもった人々の暮らしと家族との時間がある。
金があればしっかりした暮らし。省かれることのない正装の暮らし。
時々、そんな暮らしの静けさを破るようにして、金持ちのボンクラ息子が、買ってもらった外車を近所に乗り付けてきたりする。
人々はその浮ついた騒々しさに眉をしかめる。その断絶と疎外、しくじり。
なんて、ついちょっと前の安っぽいフィルムノワールか。
そんな場面は映画によく描かれたものだ。
見栄や奢侈や、分不相応な贅沢にうつつを過ごすことなく、目の前の確かなことに向き合い、静けさに耳を澄ませば暮らしは穏やかだ。暑苦しくもない。
足りるところで済ませれば金の使い道にさえ困る。
コロナを経て、これから世界中でそういう方向になってゆくことは確かだろう。
かつての家族同士のつながりが再び確かなものになってゆくのだろうか。
夏が暑いのは、思い込まされたものを日常と勘違いしているから。
あれが欲しい、これがやりたい、どこへ行きたい。紛い物ばかりではやりきれない。
急いてしまっては暑苦しくなるばかりだ。
人なら誰でも得られるものが結局は手には入らず、寂しいと徘徊する人々もいる。
まあそれもいいかも知れない。
人生は一度きりだw。
おうぞどだいじに
