アサリは見ちゃダメの理屈
改めて後で読み返したら、あの時は危なかったのかも知れなかった。
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これからの季節のこともあります。食中毒にも気をつけないといけない。忘れた頃にやってくるということはあります。
アタシの場合は水当たりもあったかも知れません。それにアサリかどうかもハッキリはしてなかったww。
まあその時は水みたいになって閉口したというだけ。お腹も痛くなりませんでした。
・・・
「見ちゃイケない」ってのは、個人的な迷信なんかに聞こえますが、理屈からも言えることなんだと思っています。
どうしてボンゴレ作るのに見てちゃイケないのか、
という話です。
アサリの場合、火を通すのは一番最後が香りや味わい的にはよいです。
それまでニンニクやタマネギを炒めておいて、さっと最後にフライパンに投入する。
貝毒というのもあります。
だからこの時、蒸気でちゃんとムラなく蒸らさないといけません。
そのために蓋をしてじっとしている。
揺らしたりかき混ぜたりしない。それに、よく蒸らしてオイル炒めしたニンニクが自然にからむほうが美味しい。
そんなのが「開けちゃいけない」、その趣旨かと思います。
きっと、あのレストランは混ぜてしまいアサリの一部が生だったんだww!
じゃあご飯、お米、炊飯の場合はどうか。
なんで途中で蓋を取っちゃいけないのか。
それは蒸気で蒸らしているから。
鍋の中で米が対流して熱い湯の中でグツグツと米が踊ります。
米に水分が浸みると今度は蒸気が踊る番。
浸水させてふやかし米を茹でて膨張させる。それが「お米を炊く」ということです。
最後の仕上げ、鍋の中で蒸気が対流して米をほどよく蒸らしてくれるのです。
この時、もし開けてしまうと、パッとその蒸気が外に全部出てしまい、再び鍋の中に充満するまでまた時間がかかります。
そうすると上はお米が固くなり、下は米が水っぽくなる。
それは混ぜりゃいいのでしょうが、どうしても米の粒に差は出ます。食べれば分かる。
確かロッジというダッチオーブンのメーカーとか、ストウプなんかがそうだったでしょうか。
蓋にディンプルというか突起加工がしてあって、ちょっとしたデコボコが作ってある。
蓋をしていると、そこから水滴が伝わって細かく落ちるようになっていて、蒸気がよく鍋の中を回ってくれる、そんな工夫がされた鍋があったはずです。
こういうことからしても、ご飯を炊くなら蓋を開けちゃいけない、見ちゃいけないのは明らか。
これも理屈で考えればそんなところでしょう。
それが理屈だと思います。
この子はお嫁にいけるのかしら、なんて、親が心配する娘ははいつまでもなんだかパッとしないように見えます。
腐女子だなんて言って家ではBLなんかに熱中してw。
ところが、いつも見てない人には微妙な変化が大きなものに感じる。
ガーリースタイルなんて今の年寄りには新鮮ですww。
「ちょっと見ない間にキレイになったねえ」なんて言われる。
理屈ですw。
見られてない方がよくなるんじゃなくて、理屈はある。
しかしどうにも私は、なんだかコメでもアサリでも娘さんでも、こちらの態度をむこうが詮索している、見ている気がしてなりません。
アサリの魂がこちらのことを見ている気がするのです。
その視線を逸らしてやらないと成仏できない、美味しくない。そう思っちゃうのです。
ジーっとなんかガン見してると、娘はだんだんと邪悪な面を見せるようになる。なんかの電波を受信してアタシをストーカー呼ばわりするようになる!
あまり見つめないほうがよい。
見られるとアサリでさえ意識してしまう。
理屈なんかより私はそんな気がしてなりません。
フライパンから皿に盛る時、美味しそうなものができたような感じで皿に移る時があります。
そう見えるその瞬間というのは、きっと視線に晒されていなかった何かのおかげなのだ、私はそう思ってしまうのです。
どうしてもそっちを信じてしまうアタシなのでした。
しかしそれにしても、もしこれが「シュレジンガーの猫」という思考実験の影響だとしたら・・・
科学者なんて言ってますが、たいした噺家ですよ、あのお方はwww
悔しいがこんだけ影響を与えてるんだから!
おそまつ
