令和三年名古屋場所、無事に終了せり
令和三年名古屋場所、千秋楽。
つくづく見るものがあったと思う。最後まで見せてくれるものがあった。
最後は少し泣けるものがあった・・・。
素晴らしい場所でした!(笑)
まあ、毎場所、毎場所、終わってみればそんな風に思えるところが「大相撲」というものなんだろうけれども(笑)。
個人的にはつくづくそう思った。私はいつになくよい場所だったと思います。
振り返れば考え深い場所であった。それが大相撲の魅力。
白鵬というピエロは踊った。
最後まで醜態を晒したままだった。それが挽回されることはなかった。
勝敗は喫した、「白鵬の優勝」という結末で終わった。
今回の楽しみは、実は北の富士に負うところが大きかったのかも知れない。
あまり一人の人物に荷を負わせるなんていいことではないが、老体に鞭打ってやってくれた結果だと思っています。
彼なくして今回のような印象はなかっただろう、そう思う。
まず言っておくべきは、後半にかけ、次第に北の富士が取り組み割についてはっきりと苦言を呈するようになったということがあります。
「割」とは誰と誰を対戦させるかということ。その番組を作ることを言います。
取り組みを編成する連中に北の富士は強烈な苦言を言ったものです。
「自分が審判部だったときはこんな取り組みなど作らなかった。お客に面白いと思ってもらう取り組みを工夫したものだ。漫然と番付通りに組んで何が面白いのか。」
そう彼は言ってのけましたた。
それは例えば、どう考えても、調子がたとえよいとしても大した期待のできない千代大龍を両横綱にぶつけて「大一番」なんて、いったい何を考えているのかということ。
そんなつまらない取り組みをなぜ組んだのか、もったいない。シラけるばかりではないか。
もっと若手でイキのいいのはいるだろうと、強烈な苦言を言い放ったのでした。
結局、「中」の連中は大いに反省したらしい。
だから宇良が14枚目だというのに上位の小結、明星と組んだりして名勝負が見れることになりました。
もちろん、その取り組みも面白いものでした。
千秋楽にいたっては特に目立ったが、番付は離れていても星取りが同じもの同士を組ませて真剣な相撲をさせることができました。
いつもなら、勝ち越しの決まっている力士がギリギリの力士とやって負け、なんだか馴れ合いを感じさせるような、手抜きを感じさせるような、そんな取り組み番組ばかりに終わっていたはずです。
結果として、見ごたえのある相撲で有終の美を飾れたことは北の富士の援護射撃のおかげかも知れないと思います。
感謝しないといけないぐらいw。
それにしても、こういうのを「ご意見番」というのであって、ポジショントークして自分を大きく見せようとするばかりでは何の意味もありません。
テレビの前の日本人はすっかりそれを忘れてしまっているのでしょうか。
だいたい、何しろ中のデブ連中はいい加減。
協会運営に真剣に取り組んでいるのはわずかしかいません。
引退して親方になれば遊んで悠々自適と考えているのすらいる始末w。
だから、取り組みひとつの編成にしてもまるでシロウト同然になってしまう。
これでこの先、北の富士がいなくなったらと思うと、残念だが暗いものしかありません。
自分の言葉で語ろうとしないシュウヘイも含め、猛省を促したいぐらいw。
そして白鵬の扱いです。
千秋楽、結びの一番が終わると例のごとく地上派、ワンセグにはNHKの速報が流れたものです。
しかし「最初の速報」というのなら、「白鵬の9場所休場ぶりの優勝、復活」なんてところをNHKはまず報じるはずでした。
しかしその内容は全く違いました。
それは照ノ富士の横綱昇進確定を告げるものでした。
白鵬の優勝はまるで無視されたことになります(笑)。
誰もが納得の胡散臭さ、白眼視であったということ。
白鵬の扱いの冷淡さは特に今回は際立っていたと言えましょう。
そこまでするかというぐらいの冷たさ。
ダメなものは斬り捨てる。 これが日本のやり方なのかとつくづく思う。
我が国ではダメな人間に助言をしたりはしません。そんな「救済」はないのです。
自分で気が付かなければ後戻りすることは決して出来ない。
ある意味では厳しい社会ではあるます。
そうして、白鵬という道化師は誰もついてこないことすら気が付かないままのようでした。
いつになくフェードアウトしたような雰囲気は異様なものだと私は感じた。
Abemaで表彰式は続いていた。
なんと名古屋市長河村は、「先日はどえりゃー立会いを見せてもらったw!、おめでとう!」なーんて白鵬に言ってのけたのですwww。
よくも言うwww(笑)。
私は爆笑してしまいました(笑)。
おおかた反日で隠れザイニチの愛知県知事が出るからと、負けずに出席を決めたとかそんな辺りなんでしょうが、それにしてもわざわざあの件について触れるとはwww。
役者は揃っていたw。
家内が見ていたので愛知県知事の方はどうだったか聞いてみました。
「当たり障りのないことだけ言ってたけど、まるで変態だったヨw」と(笑)。
こうして、令和三年、まるでお通夜のような雰囲気のまま大相撲名古屋場所は終わったのです。
しかし、「されど大相撲」ということww(笑)。
それなりのものを我々に与えてくれるものがあったと私は思っています。
優勝が決まり、最後のセレモニーの支度が進んでゆく中でした。
北の富士勝昭がふと漏らした言葉に私は感銘を受けました。
彼は千秋楽結びの一番を首を振りながら訝っていた。
白鵬の取り組みはやはり最後の最期まで正々堂々とした横綱らしいものではなかったからです。
すると彼はふと、突然の推測を漏らした。
「それにしても、、、なんでねえ? んーーー、そこまで(横綱失格のプロレスまがいのエルボー攻撃)、そんなんでまでして優勝したかったのかねぇ、、、。ひょっとして何かあった?」
「ん? いや、なんか事情があったのかね?・・・」
そして北の富士は呟いた。
「あれ?、もしかして白鵬はこれで優勝を飾って引退を決めたかった、、、とか?・・・そういうことなの???」
この言葉には正直驚きました。
私はそんな発想はまるでなかったから。
勝昭は素直な男です。
そして美学がある。
彼がいかに偉大な横綱だったか、その片鱗が見えたような気がした。
だからそんな発想が出たのでしょう。
こちらはまるで想像すらできなかったのです。
確かに、優勝してインタビューの場で引退表明などしたら最高の引け際だ!
北の富士勝昭が言ったこと、それはこの場所、なんとしても白鵬は優勝しなければならなかったように見えたこと。
だから、それで有終の美を飾ろうとしたのではないかという推測。
それは美学です。
進退のかかると言われたこの場所、優勝をなんとしてでももぎ取り、そして引退の宣言をまさに優勝インタビューの場で言ってのけるのではないか、と。
正直、勝昭の推察には震えがきそうになりました。
私は白鵬の優勝インタビューを食い入るように見てしまった。
これは思いもよらない推察でした。
「これぞ美学だ」と私は思った。
確かにそれが白鵬には最もいい引き際であって、そして逆に照ノ富士には残酷な仕打ちになったことでしょう。
照ノ富士にはもう追うものがいなくなるという残酷さ。
よく「運命」というのにはそんなところがあります。
こちらも勝昭の想定につい引き込まれた。
そして私は固唾を飲んで優勝インタビューを見てしまったのでした(笑)。
しかし結果は、何もありませんでしたwww(笑)。
何も起きなかった(笑)。
家内は、「それは希望的観測ですから♪ ないない。」
なーんて涼しい顔をして私を嗤ったもの。
白鵬は嫁さんと家族まで動員してきたが、同情や共感のウェーブは起きなかった。
もちろんあの取り組み内容では起きようもありません。
引退宣言もなかった。
結局、このまま彼の勘違い「独り相撲」は続いてゆくことになります。
北の富士勝昭という男。 只者ではない。
ネタ的に馬鹿になんかもしているが、確かに偉大な横綱だったのです。
彼には美学がある。理想がある。だから「曲げた」ww。
今回も見事に曲げたのでした。
白鵬には美学がない。白鵬にはそういうことは分からないのでしょう。前日のあの立ち合いもなぜ非難されるかはきっと分かってないに違いありません。
そして、また来場所から、いつが白鵬の引け際かと、また彼を生温かく笑いながら笑顔で見続ける相撲ファンがいるというわけでしょうか。
残酷な、とても非情なものがそこにはあると思う。
それは一人の人間としては耐えられない恥辱に思えてしまいますが、意味が分からない人もいるものです。
まるで麻薬中毒患者さながらに勝敗と数字にこだわり、いつまでも分からない人。
大相撲という世界はそういう人も受け止めてきたということ。
お疲れ様でございました。
今場所もなかなか楽しかった。
とりとめがなくなってしまった。
おそまつ
