消えた名子役、伊藤洋一、テレビドラマ「浮浪雲」
(マクラ、前置き話は 「続きを読む」に移動しました。)
さて、本日は古いテレビドラマの振り返りのこと。
本ブログではテレビドラマをいくつか取り上げています。
今回は「浮浪雲」というテレビドラマのこと。
視聴率はよくなかったそうですから、あまりご存知の人はいないかも知れませんw。
あの石原裕次郎の石原プロモーションが総力を挙げて取り組んだ時代劇コメディだったのですが、見事に外してしまった。
これは「浮浪雲(はぐれぐも)」という、同名のコミックマンガの実写化でした。
原作の実写化、マンガがテレビ・ドラマ化されたものでした。
ごく最近、その作者は亡くなった。ジョージ秋山という、ザイニチの方ですw。
原作のマンガというのは、なんだか叙情的というか散文的というか、それでいてシュールというのでもない、全く訳が分からないシロモノでしたwww。
申し訳ないけど、正直、まるで雰囲気だけ。ハッタリだけwww。
目立った物語もなく、悟っちゃったようなフリだけ。
その悟りの中味も空虚なものだった。
ただなーんとなく雰囲気が毎回のごとく描かれている。
それがずっと連載されていた。気がついたらえらい長寿連載になっていましたw。
いつ見てもまるで盛り上がりもないしドラマがない。
ただ登場人物が動かないまま川辺でノンビリとしてる。
煙管を吸っている。そんなマンガです。
正直、雰囲気だけの意味不明の男性誌のマンガなのでした(笑)。
もしこの「浮浪雲」という作品に価値を見出せるって主張があったら、アタシには無理やりとしか思えない。「継続することにチカラあり」なーんて?(笑)。
あの雰囲気に「文学的なものを感じた」って言うなら疑問です。少し詩集なり俳句なりでも読んで、文学的感性を肥やしたほうがいいのではないかww。
あれを単行本で取り寄せて読み続けるなんて、「経を読む」ような修行に等しいはずです。
ともかく、それでも「浮浪雲」は、長々と連載が続いたのでした。
そのうち、呆れるほど長く続いたもんだから、晩年は「いい作品」という評価になっていたようです。
こういうのは近年の風潮なのか、自作自演というか押し付け「ムリクリ」というやつが通るそんな風にも思えた。
しかし、呆れるほど長く続いているその連載自体、存在に何か特別付録のような、意味がありそうなものを感じてしまうというのは「心理」でしょう。
「ああそんなマンガがあったナ」なんて、記憶に残るのですから、成功したと言えるかもしれません。
そんな作品の実写化というのですから、今だったら驚きますが、ドラマ化された当時はマンガはまだそれほど長く連載を続けていたわけではありませんでした。
まだ一種の「デガダン」、「シュール」な作品という感じで受け止められていたはずです。
何かの「雰囲気」というだけなのは変わらなかったけどw、まだ「飽きる」というほどじゃなかったのです。
もっとも、初期の頃には作者には別の意欲があったかも知れませんでした。
主人公の浮浪氏は長い仕込み(刀)を背中にしょって悠々と街を闊歩する遊び人です。
油断もスキもある放蕩者ですがひとたび事件に巻き込まれると軽やかに悪党を退治してしまう。
そうして何事もなかったかのように飄々としている。
そんな展開。
・・・その初期の頃のマンガには謎めいたもの、少しは期待させるところがあった。
しかし、人々にタイトルが覚えられた頃から原作から物語性は姿を消してしまいます。
誰得ってやつ。
正直に言っちゃえば、正体不明、意味不明のマンガになってゆきましたwww。
悪いけどw。
そうして連載が積み重なり、よくもまあこんなのが長々と続いてるもんだ、なーんて思いつつ、未だに続いているのをハタで眺めてたものです。
だいたい「マンガで悟りに癒されたい」なんて、そんな需要なんてあるのかw。
風が吹いて草が揺れて、それで「ああいい風だなあ」って、それ、マンガである必要があるのかw。
なーんてところが突っ込みどころwww。
それが実写でドラマ化されたということで、興味があった。
どんな風に原作を実写にできるのか、興味が湧いた。
そして主役の二人、桃井かおりと渡哲也。
その昔、見逃した時からアタシはすごく見たいと思い続けてきたのでした。
ドラマは「浮浪雲」というマンガの原作をモチーフにはしています。
しかし、起承転結のほとんどなくなってしまった原作をそのままひっぱってきたのではありませんでした。
「時代劇コメディ」の仕立てになっていて、そこにはちゃんとストーリーがあります。
展開があります。
アタシはこれをずっと見たかったものです。
オンエアから数十年、やっと見れたというわけです。
これが面白いのなんのwww(笑)!!
主人公の渡哲也が妙に上手でハマっていました。マンガの主人公に驚くほど雰囲気が似ていました。
ピタリとハマっている感じがして、つくづく感心したものです。
アタシの家内すらそんな感想を持ったものです。
家内は渡哲也の「西部警察」とか、そんなのは見なかった子。
実はアタシもよく知らないw。
でもこの「浮浪雲」というドラマを見せたら家内もさすがに感心したもの。
「うわぁ、なんかマンガのイメージにそっくりじゃんw!」
だいたいこのマンガ、電車の網棚から雑誌を拾ってきたのに連載されてたのが最初の出逢いでした。
それこそ「拾い読み」w。
家内もついでにと、パラパラ見てたぐらいのものです。
二人とも愛読していたわけではありません。
それがせいぜい家内と「浮浪雲」の接点でしたが、しかし印象はあったらしい。
なんだか意味不明の、雰囲気だけのマンガというのが妙に印象になってたようです。
「なにこれ?www」
なーんてよく言ったものです。
その程度の認識しかない家内に「マンガのイメージそっくり!」なんて言わしめたこのドラマ。
それだけで評価されるべきものと言えるかも知れません(笑)。
毎回の豪華ゲスト陣という印象の楽しいドラマでした。
石原プロが頼んだのか山崎務やハナ肇、味のある役者が毎回出演した。今更ながらですがアタシはワクワククしました。
最終回には石原裕次郎が出ています。
アタシは「ゲオ」で探して見つけた。まとめて借りました。
旧作が50円なんてキャンペーンがありましたから、その時に宅配で全編を借りたのでした。
こういうところは時々そういう割引キャンペーンをやりますので、その時は狙い目です。
ネットで全ての手続きができ、郵送してくれる。返却はポストへ、簡単。

このドラマを見せた時、家内は言ったものです。
渡哲也はまるであのマンガそっくりで、演技が上手なんだと改めて関心したって(笑)。
水を得た魚のようで一番の演技ではないのか、と。
桃井かおりと渡哲也で夫婦役です。ピッタリハマってて面白い。
二人してなんだかいい加減な時代設定、時代劇のコメディを大真面目にやっているのです。
「神がかっている」というぐらいに面白い。
そこにはヤクザ映画で名を馳せた渡哲也の面影はまるでありません。
西部警察のあの演技じゃない。
当時「美女」ということがやたらと喧伝されていた桃井にしてもそうです。
アンニュイな桃井の演技もありません。
そういう「これまでの二人のイメージと違っていること」がとても面白い。
この点ではまさにこのドラマは「時代劇」だったと言えましょうwww(笑)。
時代考証は照れ隠しでちょっとメチャクチャなんだけど。
この頃、桃井は「恋多き女」と呼ばれていましたから、こんな面白いドラマをやって息が合って、きっと渡にも手を出してたかもしれませんwww、それはちょっと思ったwww。
いや、知らんけど・・・(笑)。
そして、ここでひとつ特筆すべきことがあります。それが子役。
このドラマですごく目立つ子供、実に上手に演じている子役がいるのです。
渡哲也と桃井の、新之助という息子をやった。
ほとんど主役級の役回りです。この人には驚きます。
例えば、渡哲也の父親から怒鳴られる迫力あるシーンは圧巻です。
ビリビリと、フスマから天井までが震えて揺れるような怒り。演技でもあれをやられたら誰だってビビってしまうw。
それが、若い年齢でありながら臆するところがまるでない。
ちなみに、以前、番組の企画で、渡が「ドッキリ」で怒鳴りつけた演技をしてみたら、お笑いタレントがすくみあがって失禁するほど怖がったという話は有名です。
チャラいお笑いタレントの腰が抜けてしまうほどだったw。
渡哲也はそういう「色をなす」という演技は得意中の得意です。
しかしこの子役はまるでそれに引け目を感じている様子もなく見事に堂々たる演技をしているのです。
エンドロールの芸名では「伊藤洋一」というヒトです。
熱演、その芝居っぷりはつくづく感心するものがあります。
大人顔負けの演技力、渡や桃井にまるで負けていない。
それこそ、まるでマンガのキャラクターが動くような演技をするのです。
天才か!www
ところが、この子はその後すっぱりと芸能界から消えてしまいます。
詳細の消息が全く知られていません。wikiにも情報がない。
「天城越え」には出ているようです。
その後に何をしたか、どうなったか、誰も分かりません。
本当に忽然とテレビから消えてしまったのでした。
この子がもし役者を続けていたとしたら相当なものだったはずです。
彼にはそんな才能のきらめきがあり、輝くようなところがありました。
ところが、どこにも彼の情報はありません。
惜しい逸材ではあったんだけどすっかり消えてしまった。
その理由は不明。
このことは結構みんな関心があるようで、ネットでは未だに一部の人が彼の消息を知りたがっているようです。
ググルとそんな書き込みやブログを見かけます。
しかしこれ、家内によれば、それは芸能界特有のことなんだとか。
アタシと家内には知り合いに宝塚出身の人が何人かいて、アタシも芝居小屋に所属してたことがありますが深い裏事情があるようです。
時々、「神隠し」に遭ったように消える子役がいます。いや、なにも誘拐されたり犯罪絡みって意味ではありません(笑)。
それはお育ちの事情なのです。
いいところのお子様、良家の子息というのはなにしろ豊かで自由闊達です。
そうして帝王学を学んでいる。
だから、「芝居に興味があるなら少しだけやってみろ」なんてことがよくある。
お受験なんて楽勝でパスして付属校、進学はエスカレーター式でトントン拍子。子供特有の苦労はほとんどありません。
そうして、ヒマ潰しとは言いませんが親御さんが芝居をやらせてみたりする。
あるいは宝塚を受験させてもらったりするわけです。
「将来のいい経験になるように」とか、そんな親のちょっとした思いつきです。
しかし、いくら役者の才能があったとしても、いい加減に役者業に熱中してしまっても困ります。
いずれは家業というものを継いでくれないといけません。
女の子なら家同士の約束でお嫁に行くというケースもあります。
そうして彼らは「家庭の事情」でスクリーンからふっつりと消えてゆくのです。
お遊びはおしまい、って感じで。
岩崎宏美という歌手はいい家柄の家にお嫁に行きました。
そこで子供も授かった。
しかし嫁ぎ先の家からは芸能活動は禁じられました。
「彼女は歌を奪われてしまった」、なんて報道がされたものです。
岩崎は離婚して今はご自分の生活を取り戻しています。芸能活動も再開しています。
そんな、やむにやまれない「お家の事情」というのはあるものなのです。
考えてみれば昭和を代表する俳優なんて、たいていはいいところの子息、子女でした。
もしくは俳優というのは何かの縁があったりスカウトされたような特別な人たちです。
ちなみにテレビ俳優と映画俳優は分けられていました。
映画はテレビに対して特別です。
このドラマのプロデューサーである石原裕次郎も、かつては兄である原作者が推薦したからスクリーンデビューができた。
「太陽の季節」。
兄は2022年1月に亡くなった石原慎太郎です。
よく言われる「宝塚歌劇団が朝鮮系に占拠された」なんて話がありますが、それはずっと後になってのことです。
彼らは「資格」というのに飛びつく傾向がある連中ですから、中味よりもまずは合格することが目的化してしまう。
そのうちその中味さえ関係がなくなってゆく。そしてダメにしてしまいます。
今時分は宝塚はあっち系ばかりと言う話ですが、もちろん昔は違いました。
良家の親は花嫁修業の一環として宝塚に通わせたのです。
作法も言葉使いも、バレエも、お花、茶道、各種の心得も教えてもらえます。
花嫁修業にはうってつけです。
そう言えばあの八千草薫も宝塚出身でしたww。
八千草の撮影現場での高慢さに頭にきていた大原麗子が、パーティで突然に彼女に頭から水をかけたとかw。とんだ裏話ですw。
ともかく、そうして役者をやらせてもらって、キリのいいところで「もういいだろう、いい加減に家業を継げ」なんて言われて消えてゆく人たちがいます。
彼らは人生のほんの手慰みに役者をやって去ってゆく。
そんな子役が昔は意外とたくさんいたのだとか。
伊藤君もそういう子だったのかな、なんて、アタシはそんな風に思います。
彼が「良家の子息」だったというのは、これはまず間違いないでしょう。
何しろ「伊藤洋一」なんて、箸にも棒にもかからないような芸名です。
「山田太郎」みたいなものです。ゴマンと同じ名前はいます。
少なくとも、とても役者として今後もやっていこうとするような人の名前ではない。
みんな芸名ぐらいはちゃんと考えるものです。
そんな工夫がないのです。
良家の子息に生まれたことはある意味では不自由なことでしょう。
しかし彼らは自分に課せられた使命に従った。
「それまでの余興」とばかりに役者をやったということです。
人は生まれついての使命や従うべき運命というものがあります。
むしろ、これは秋篠宮の娘たちに聞かせたい言葉ではありますw。自由だの個人だのを不用意に持ち込んで、彼らは天皇家の格式を穢しているのですから。
結局、彼らにとって役者はナイン・ライブスのひとつに過ぎません。
猫は「九回の命を生きる」なんて言うものです。「九尾の化け猫」って意味じゃないw。
まるで猫が生まれ変わるように色んな人生を送れるのだから、彼らには面白い人生かも知れません。
最近、石原慎太郎も生まれ変われることを密かに願って亡くなりました。
我々、テレビの視聴者というのは、そうやって取り残されてゆきます。
ドラマやスクリーンを通じて寄り添っていたと思ったのに、気が付いたら彼らの現実からは取り残されていたことに気付く。
「銀幕」というのはそんなものですwww。
「昔のドラマを見る」というのはその意味ではお勧めです。
こうして「その後の消息」というのが楽しめるから。
その消息が知れないとしてもw。「消息が知れない」というその「消息」が興味深い。
でも、今やっている真っ最中のドラマなんて、「その後の消息」になるのはずっと先のことです。
そういう消息というのは後になってやってくるんですから。
そんなの待ってられない(笑)。
考えてみれば他人の人生なんてどうでもいいことでもありますwww(笑)。
だからこそ、昔のドラマやテレビというのはお勧めです。
「ドラマのその後」という、後になってのシナリオが見れる。
もちろんその「シナリオ」と言ってもそれは彼らの現実なのですがw。
かの有名な「子連れ狼」というテレビドラマで、「大五郎」をやった子役がいました。
あの子役も名演技だと言われたものです。
しかしどんな風に育ちを間違ったのか、大人になった彼は殺人を犯してしまい服役します。
確かに人生には色んなドラマがあります。
こんな発見はテレビをリアルタイムに観ていた人にはきっと何でもないかも知れません。
アタシは子供の頃はテレビと縁が薄かった。
ほとんど座敷牢状態で、テレビなんて見せてもらえなくてテレビと縁が薄かったということもあります。
だから今、アタシはこうして古いテレビドラマをDVDレンタルしたりして新鮮に楽しむことが出来ている。
毒親には感謝しかありませんw。
早いうちに連中がくたばってくれたというのもありがたいことでしたww(笑)。
そうして、アタシは何時くたばろうかな、と考えるw。
アタシの方は余裕で考えていられるというわけです。
それこそ忽然と消えるのですw(笑)。
ガキっぽいところがある人間だから、アタシも「子役」には違いない。
おそまつ
・・・まあ、結局はこの「浮浪雲」ってマンガのことは「雰囲気がある」とはアタシは認めています。
それなりの存在意義があったのだと思います。
そういう「愛」は大事www。
そんな目線で見ないとやってられない。
それこそ、読んでる人は毎度毎度、何度もその「雰囲気がある」ってのを見させられることになるのです。
毎度毎度、なんだか雰囲気の違うマンガが連載されている。
そしたら、そのうち「雰囲気しかねえじゃん」ってなるwww。
そこには矛盾があります。
「浮浪雲」連載の意味ないじゃない?ww、って思わせるところ(笑)。そこが面白いのかも知れません。
結局、目新しさと継続性、その兼ね合いということかも知れません。
さて、ちょっと新しく情報を見つけましたのでここに加筆しようと思います。
(2022年6月10日。)
伊藤洋一君は「国鉄」のコマーシャルに出ていたのです。
まだJRに民営化される前のことです。
ご覧になると分かりますが、やはり「浮浪雲」での新之助の格好で出演しています。
可愛らしいあの新之助君が、けなげにも見聞を広めに一人旅に出かける、そんな設定のコマーシャルとなっています。
すなわち、やはりアタシの推論は裏付けられるのではないか。
そういう「いい経験になるかも知れないから役者をちょっとやってみたらいい」そんなお家事情が窺えるような設定そのものではないでしょうか。
しかも、国鉄のコマーシャルに出るというのはやはり相当なものだと言えるでしょう。
不安定な出自や家柄では決してお声はかからなかったはずです。
ましてや子役なんて思春期になり難しくなる年頃です。不祥事や問題行動があれば起用した側も損失を被ります。それはリスクです。
それが問題なく起用されていたということは、やはり彼の育ちのよさを窺わせるものがあるのではないか。
もちろん、ネットで見つからないだけでアタシの妄想や憶測に過ぎない可能性もありますが。
ともかく驚きでした。
あくまでアタシなりの発見でしかありませんが、ここに追記してお知らせしておこうと思います。
なお、動画は国鉄からJRへのコマーシャルをコレクションしたもので、一時間以上と長いです。
楽しめますけどw。
その伊藤洋一君の場所から頭出し再生できるようにしていますが、どうか。
該当箇所は4分40秒のあたりです。
お楽しみいただけるとさいわいです。
ごのしくたらんください
※ 見に来てくれた方がいたようで、大幅に加筆。(2022年2月7日)
たまたまアタシなりに新情報を見つけたので修正しました。(2022年6月10日)
(マクラ、前置き話)
まずは先日の話、この間の東京オリンピックの話です。
まだ「テレビ」っちゅうのはこんな馬鹿なことをやってると愕然とした。
電波入札制をしないといけません。新しいノーマルな世界が来ることを待っています。
アタシが「ラテ・カセ」をこっそり手にいれてまでテレビを見ようとしてた時代は何だったのか。
必殺シリーズの乳房とか、エロシーン、そんなのしかアタシは見なかったけどww、昔のテレビはそりゃあ面白かった。時代劇には非日常でありながら日本の歴史という裏づけがあります。現代に続く過去の日常がある。
今のテレビ放送が「インフラ」って、未だにされてますが、そんな資格はあるのかwww。
スプリングス・スティーンの娘がメダル取った、
なのに、その馬術競技を放送しなかったって!?
・・・もう放送すべきものすら分からないのでしょうか。
だいたいこの手のレガシーなメディアの傲慢さったらない。
ネット接続やケータイが消費税減免されなくて、なんで新聞なんかを特別減税するのか!
意味ない!
新聞メディアなんてオワコンで捏造ばかり、もう誰も新聞なんて信じない。
それに新聞専売所なんて、ずうっと犯罪者予備軍の巣窟のイメージしかない・・・。
事件ばかり起こして、何度起きても新聞屋の本社が謝罪したことは一度もない。
「君ンとこはあさし新聞かwww!。
知らんだろうけどな、それは捏造だww」
麻生はそういう突っ込みをよくしています。
まあ今更のことなんですが・・・。
