舌鼓とは・・・
「舌鼓を打つ」という。
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それ、できる?実際に打てる?
どうなんだろう。できない人もいるそうだ。
口笛だってた吹けない人がいるという。
指笛となると俺もできない。
今の世の中、細かな実態というものが分からん(笑)。
実は落語家はよくこの「舌鼓を打つ」というのを演じている。
「タンっ」とか、「タッ」とか、そういう音を出して演じている。
口の中の上あごに舌を吸い付かせて鳴らす感じだ。
実際に自然になる時もあんな感じの音がする。
「喉を鳴らす」という類義語もあるが、あれも同じことだ。
舌でちゃんと音を出すことが出来る。出している。
やってみると確かにツヅミ、手持ちタイコの音に似ている。
逆に「舌打ちする」というのがあるが、アレは舌は使わない。
正確には歯で音を出す。
しかし言葉で書こうとするとへんてこになる。
できないという人に、これをその人に言葉で説明するのは難しいなこりゃ。(笑)
あれ、実際に何か美味しいものを食って、自然に舌鼓を打った覚えがあるだろうか。
考えてみると俺はある。よかったとちょっと安心する。
しかしそれは酢の物では一度もなかった。
甘いものではあった。ウマーーーという感じで自然になった。
塩辛いものではなかった。
たいていはコクのあるものだった。
だから濃いビーフシチューなんかができてしまって、薄めるのもしたくなくて、これを食べてみたら、これはすごいという味になったことがあった。濃厚で味わいが深く、いつまでも口に残るような味に仕上がったとき。確かに舌鼓を打った。
カニを食ったりしてその出汁を取って濃厚な味噌汁ができた時も音が鳴った。
喉にねばりつくような、おいしさがしつこく訴えてくるような、後に残るような感じ、クセになる美味しさ、そんなものであった記憶がある振り返り。
落語では蕎麦を食うのとキセルを吸うこと、それからこの舌鼓が芸としては一番大事な基本のことになってるんだろう。
舌鼓は落語の場合だと酒でもやる。
落語だからだいたいは日本酒だ。
しかし、実際に日本酒でやったと言う記憶はないんだなこれが。
越の寒梅。ありゃあ最初に呑んだときにはそりゃあ美味かった。
新潟に行った時のことで、これは美味いと現地の人に勧められた。
なかなか手に入らないものが入ったと言われ、幸運であるかのように言われたもんだから呑んでみた。越の寒梅にはニセモノとホンモノがあるのだという。
呑んでみると、まるで清涼な岩清水のような喉越し、それでいてちゃんと日本酒本来の味がする。
正直、越を抜かすほど驚いた。
いや、腰だな。スマンww。
あれでちょっと暫く日本酒はハマった。暫く色んな銘柄を呑んでいた。まあ、半可通だから、そこはお察しいただきたい。
久保田とか八開山とか、そんな有名どころを漁った程度のこと。
その時、いったいどのくらい舌鼓を打っただろうか。
思い出してもほとんどないんだ。
結論を出せば「美味い日本酒はしつこくない。」ということに尽きるのか。
ただ、日本酒というものはアル中には向かない酒だと俺には思う。
呑み続けているとどうしたって量がかさみ、翌日に残ってしまう。
アタマがガンガンすることになる。
日本酒というのは、むしろ酒が苦手な人、あまり呑みつけない人こそ日本酒の楽しさを味わえると今は思う。
だって料理に使うぐらいなんだから。
焼酎も甲類、乙類というのがあって、不純物がないのが乙類だ。
芋焼酎とか気の効いた酒は甲類で、やはり美味くて味わいがあっても、翌日に残る。
結局、ワインや日本酒は同じで、飲み過ぎれば翌日に残ってしまう。
なかなか醒めないということだ。
そこは加減が難しいところだ。
残るからほどほどの量にするというのであればワインや日本酒、焼酎甲類がいい。
どうせ酔わない、だからつい量を呑んでしまうのだからと乙類、ウォッカのチューハイなんかにすれば翌日には残らないが体への負担はあるだろうか。
肝臓、腎臓、そりゃあ酒には毒の一面もある。
しかしね、これを止めたら生きてる甲斐がないというもの。
下半身が立たなくなっても酒は呑めるんだからww。
俺の考えとしては自覚症状から結論を出したい。
翌日に残らないのであれば体には負担はないということだと判断している。
体がそういうサインを出していないことになる。
だからまだチューハイだと負担は軽いと思うんだ。
気持ちよく酔いたいだけなんだから。
いや、それが適量、ほんのちょっとということで済むんであれば、焼酎甲類やワイン、日本酒がよっぽど楽しめるとは思う。賛成はする。
それはわかる。
そうもいかないのが呑んベイの困ったところだ。
お悩みだ。
まったくだ