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負の連鎖.6


 これは後になって振り返ってみた話だ。その時にどうだったか、俺がどんな風に過去の発端をゴミの山から掴んだかというだけの話。
 ストレスやトラウマとは関係がないと思う。
 だってそれはもう消えているから。
 余談。
 そんなこんな、あの頃はどうだったかという話のいわばオチでしかない。
 俺の記憶を遡る旅はもうページを閉じている。
 と、信じたい。


 ・・・
 ノルマのため、俺は机に向かいながら、友だちたちにすまない気持ちでいっぱいだった。
 俺の名前を繰り返し呼んでくれ、俺に呼びかける友達たち。まだかー、まだかー、まだ出てこれないのかと時々思い出したように呼んでくれる陽気なその友だちたちの声にはすまないと思っていた。
 その記憶はあるんだが、しかし今はその感情がよくわからない。
 その、人に悪びれるような感情は実感としてあまりよくわからないもののひとつだ。
 恩義に感じたとかありがたいと思ったとか、どこがどうだったのかがボヤけてしまっている。だから急いだことしか記憶にない。

 友だちたちのために急いてはいた。急いで済ませようとしていた。
 すまない。すまない。ごめんよ。今すぐに片付けてそっちにいくよ。待っててね。
 か?
 しかし俺は今では他人にほとんど懐疑の目しか向けない。無能な人間を許せないし、能率の悪さを許せない。他人に期待することはしなくなっている。そんな人間になった。それがあの時は何かすまないと思う気分でいっぱいだった。俺はそれで急いでいた。急いで問題集のノルマを済ませようとしていたのだった。
 だから、なぜそれがすまないという感情になったのか、いったいどんな脈絡で思っていたのかがよく説明ができない。上手く説明ができない。
 例のストレスの源泉にはなっていないから俺はどうでもいいと思っているが、俺という自己を形成したもののひとつではあるのだろう。


 とにかく、俺は集中しようとした。早くそこへ行ってみんなと遊びたかった。出て行きたかった。空気を吸い、走り回り、ドロだらけになりたかった。渇望があった。
 こうしていつの間にか始まった毎週末の監禁は、きっとひどく俺の感情なんかを痛めつけたのだろうが、結局、今の俺にはどうでもいいことだ。その自分を否定するつもりはない。
 要はストレスの発端、異常な衝動や感覚が消えればよかった。
 その発端が思い出されればあとはどうでもよかったのだった。
 もう消えてしまったのだから。


 そう、だからこれは余談もいいところだ。
 
 ならばもうひとつついでに(笑)。
 他人にはきっとわかってもらえないとは思うが、この頃に、俺は腹の当たりがキュウと絞られるおかしな感覚を身につけている。胸焼けみたいな、丹田が焼けるような、切ないような感覚。
 それは今でも我とともにある感覚のひとつ。
 そう。文字通り、それは「身につけた」のだった。「切なさ」というか、置いてきぼりになった感覚というか、みじめさというか、とにかくどうにもならないという感情の肉体感覚だ。俺はその頃、それを掴んで自分のものにし、いつでも使うことができるようになった。
 それをコントロールしてわざわざやっていたことも記憶にある。
 何か自分が泣かねばならないような気分になると、自分が惨めになるようわざわざその肉体感覚を繰り返したりしていた。
 麻薬のようにそれは俺を楽しませた。まさに麻薬だったと言っていい。
 それは感情が肉体に与える感覚を逆に使える感じだ。悲しいと涙が出る。それなら涙を流せば悲しくなる。そんな感じ。(笑)

 するとどんな場所でもどんな愉快な状況の最中でさえ、俺はその感覚を突然に作り出し、自由に自分の気分を変えることができるのだった。笑いを突然やめることもできたし、落ち着くこともできた。自分の感情の波を作って一日を楽しんだりした。
 そんな風に、この肉体感覚を使えるようになって、それから俺はこの感覚とよく親しむようになった。そして愛した。いや、その愛という言葉の意味がわかっているかはほとほと自信はないが、とにかく、今でもその感覚は俺とともにあって俺を支えてくれているもののひとつだ。

 軟禁や虐待も悪いことばかりではないじゃないか。(笑)



 その友だちたちと俺の関係だが、それもどんな感情に基づくものだったかももはや分からない。
 天気が悪い日なんかでも、そういう時はその近所の子供たちはたいてい誰かの家に集まっていて、時々その家から俺の家に誰かが様子を見にやってくるのだった。そして、彼らは俺はまだ出れないのか、まだ出てこれないかどうかと様子を親に聞きにきて帰るのだった。
 俺はその話し声をうっすらと覚えている。そして追い返されてゆくのも覚えている。
 その時は、なぜか急がせられるストレスを感じることはなかったと記憶している。

 いったい、そちらの家で集まって、彼らはどんな風に俺の状態を想像していたことだろう。囚われのセムシ男がどうなっているかツマミにしていたのだろうか。いや、ガキだから酒はなかった。
 それともなにかおかしな境遇の奴に興味津々だったのだろうか。不思議なものだ。
 今では人のつながりなどたいていは信用のおけないものだと俺は思う。盗聴されているようなLINEで適当なやりとりに安堵し、インスタでお互いに探りを入れる、そんな儀式には魂がないと俺は思う。

 他に想像力も鍛えられた。この時、色んなことが育まれたと思う。
 


 そうして、最後に、とうとう作業を終える。なんとかやっとノルマを終えると、最後に練習問題の答え合わせをさせられた。
 俺は毎度毎度、これに耐えた。
 ヒステリーなんか起こさずによく付き合ったものだと思う。しかしそんなことをおくびに出せばまたどんな無理難題が振って沸くかわかったものではない。そんな警戒があったこともよく思い出せる。家には思い通りにこちらを動かそうとする圧力がある。辛抱してチャンスを待つべきだ。俺はそう考えていた。だから俺はじっと待ったのだった。
 ずいぶんと長い軟禁が続いたものだ。

 とにかく、子供の俺は急いで外へ飛び出したかった。早く、はやく。はやく。と。


 そうして、とうとう俺は外へ出る。

 やっと脱出したのだ。ノルマを終え、なんとか出られたのだ。さあ遊ぼう。弾けるように走り回ろう。笑おう。面白いことをしよう。
 俺は喜びとともに外へ出た。
 やっと自由だ。
 やっと、これから遊ぼうと、一日の長い子供の頃の時間の感覚でいた俺は、少し目をつぶって深呼吸をしてからあたりを見渡した。みんながいたはずだ。
 すると、いつの間にか声は消え、人影はなく、あたりはしんと静まり返っていた。
 もううっすらと夕暮れの時間になっていた。夕餉の支度の気配があちこちの家の台所の窓に伺えた。どんどん日が暮れていく時間だった。
 みんな夕飯時のテレビでも見にそれぞれの家に帰ったのだった。

 だいたいが、そうだった。いつもそんな結末で終わっていたことを思い出す。


 あの夕暮れの黄色とオレンジの混じった景色は手に取れるようにわかる。
 道や路地には誰もいなくなっていた。
 それこそ誰もいない。
 俺はやっとのことで解放されたのだったが、這い出したとき、そこにいたのは俺一人だった。
 「間に合わなかった。」
 ただ俺はそのことを感じただけだった。手遅れだったことを思い知らされただけだった。
 そしてこれがまた次の週に繰り返されることになることも。

 その時。俺は別に悲しくはならなかった。
 そんなものだと思った。そしてその静寂を味わうのに、少しの時間そのまま夕暮れの街に立っていたぐらいだ。えらく静かだなと思った記憶がある。
 「間に合わなければそれまで。そういうことなのだろうな」と思ったことを思い出す。
 俺はそこで何かを学び、ひとつの冷酷さも身につけたのだったろうか。

・・・

 あの当時のことは、俺にとってどうしようもない悪夢というものではなかった。
 ただの終わった過去でしかない。
 俺はよくそのことを自分に言い聞かせることもない。
 遡ってどこにキッカケがあるかスイッチを探した。見つけたとたん、それが終わったどころか、今では色々と俺の一部になっていて、姿を見た途端にすっかり消えたのだから。俺と言うものを作ったものでもあった。


 それ以来、子供の嬌声や笑い声はどうでもよくなった。
 あの強烈な感情のこみあがりは、早くはやくと急いでいたアレだったのかと、俺はその正体を見た。急ぐような感覚はその後の人生でずっと俺を動かしている。
 急かされる感覚がトラウマとなったのだろう。その後の俺と色んなことが合致している。急かされることや時間、急がせられる予定は今も苦手でいる。それにしては試験なるものは嫌だったことがなかった。締め切りも嫌ではない。
 要するに意味のなさなんだろう。
 結果や中身に責任を持たず、くだらない親が勝手に意味もなく命じてきたノルマがあった。練習問題の中身すら考えず、思いつきで人には命じただけの奴だ。そのノルマはくだらない意味のない、石積み以下の作業でしかなかった。
 そういう劣等なもの、無能な連中に由来するこちらの都合、ただ時間だけを急がせられる意味のない急かしが嫌だということなのだろう。確かに今の俺からすれば待っていただけの子供は劣っていたように思える。


 とにかく、以来、発作というか激しい衝動は感じないようになった。
 むしろ、自分の危ない部分にも満足している。
 必要なら成すべきことをする。自分で考えてだ。
 そんな、自分に自爆テロの可能性があることは逆に勇気づけられる。世の不正義や不実、嘘、侵略に日本人として、サムライとしていつでも戦えるということだから。
 よくその意味を考えオノレのやることに責任を持つ。覚悟と理屈と論理、正当性。そして常識も。
 軽々しく衝動に従わず、これまで抑えてこれたことにも満足している。それは自分が常識の下にあり、法治国家の下に生きる正しい日本人として普通にコントロールできていたということでもあるから。
 
 それに枝野や小西のような小物詐欺師ども、ザイ ニチどもなんぞを狙うなどピエロもいいところではないか。
 俺はそんなに安くない。

 せっかくの連休だ。もうこの話はよしておこう。



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負の連鎖.5

・・・
 軟禁のような状態は朝から始まった。
 ピーチクとスズメの声で目が覚める。すぐに朝飯を食って休日練習問題集のノルマが始まるのだった。
 昼になれば昼飯を食ってまた取り掛かる。また何もないその部屋に戻るのだった。
 妙に薄暗い部屋だった。
 窓を開ければ外が見えたのだったがほとんど開けることはしなかった。
 その窓から外を見れば外が感じられる。外にいられる人、歩く人が羨ましいと感じてしまうので、俺は外を見ないようにした。歩いている人など見たくはなかった。
 ともかく、ノルマが終われば外へ出られるのだった。
 外に午前中から友だちが集まることもあって、彼らは午前中から俺が出てくるのを待っていたこともあった。
 俺はせいた。
 急いで問題をこなしていった。早く、はやく、はやく、はやく。

 あの問題集の中身は一種の流れ作業的なものでしかなかった。
 知能も思考能力も育てず、ただ意味のない、考えることなどない公式の集まっただけのパズルでしかなかった。
 機械のように考えもしないでこなすこと、それをひとつひとつの問題をこなしてゆくのを心から馬鹿らしいと感じた。その馬鹿らしさはノルマを課そうと突然に思いつき、こっちのことも考えずに押し付けてきた親には通じないものだった。
 そういう意味がないことをさせられていると突然気付くようにハッとさせられる。強烈に理不尽さが天井が降りてくるように感じられて、発作のように飛び上がった。
 突然に恐ろしく徒労を押し付けられたことを実感してしまい、その度に俺は、その部屋で歯を食いしばってどこにも聞こえないようにしておいてからそっと叫んだ。歯茎から血が出た。リンゴをかじったわけでもないのに(笑)。

 その部屋は妙に清潔な感じの和室で、静かな部屋だった。
 そんな時、イライラはつのりいっこうに集中できないようになってしまう。手につかなくなる。そんな波がしょっちゅうぶり返すのだった。

 その時のイライラの感覚、そのストレスがそれだった。歳をとって外の子供の歓声を聞いた時に起きる体調の変化、ストレスと全く同じだったことに気付く。手に取るようにそのこみあげるものは再現することができた。

 外で待っている連中がいる。だから早く済ませよう。早く、はやく、はやく。
 そんな焦りとストレスで、よく途中で吐いたりもした。こみあげるものが自然に出た。
 俺はその部屋で一人でノルマをやらされていた。吐いたものはそのままにせず、押し入れの来客用布団で拭いて隠した。だが、それが後で問い詰められたという記憶はない。

 たいていは遅くとも昼を過ぎると、休日だからと家の外に友だちが遊ぼうと集まってくるのだった。
 外でみんなが俺を俺の家を取り囲むように待っていた。
 俺の家を囲むようにして待っていてくれた友だちたちは、家の外から「遊ぼうよ」と声をかけてくる。はーい待っててね。親が代わりに答えた。
 そのうち返事がないと、まだか、まだかとさえ声をかけてくれたりしてくれた。
 外で俺の名前を呼ぶ声が何度もした。俺が家のどのあたりの部屋にいるかはわからなかったのだろう。声は違う向きを向いていた。
 それが取り残された感覚を増幅させた。それは孤独感というようなものではなかったけれども。あまりいい気持ちではない。だがどちらかというと、急いで焦っているストレスが厳しく俺を苛んだ。

 そういう友だちたちの声が止む。親によって止めるよう注意されてやむのだった。
 俺は向こうでどんなやりとりがあるかがわかった。そのことを感じると、恥ずかしさに顔が真っ赤になっていた。俺は顔を赤くしていた。たった一人でいるその部屋で。
 自分不在のまま、俺の知らない預かり知らぬところで俺の状況が人に説明されている。
 俺には見えないところで俺が丸裸にされ、俺自身の声ではなく、俺以外の人間によって勝手に代わりに誰かに何かを説明し、代弁し、喋っているのだった。それが親であろうと、それは許されざることだったと感じたものだ。激しい憤怒を感じたものだ。
 その時の俺にはその理不尽さがこたえた。人の代わりに人のフリをして喋る者を俺は今でも許せない。だから共産党や枝野のような詐欺師政治家どもが、弱者に擦り寄るようなフリをして食いものにしているのが許せない。弱い者を代弁しようとするあの三文芝居が許せない。どんな言い訳をしようが、それが政治だと言おうが、許されざる傲慢だと俺には思える。その弱者とやらにも自ら発言する権利があり、義務だってあるのだと俺は思う。
 もしあの時、あの小さな子供が親を殺せていたとしたら、それだけがきっと理由になったことだろう。


 その問題集はたくさんのページがあって、俺はそれを解くのにひどく億劫した。問題はパズルのようなものだし引っ掛け問題もあったから、同じパターンではなかった。注意力も必要だった。
 いちいち読むものだからそれが馬鹿馬鹿しく、引っ掛けの意図がわかるとズル賢い者を背後に見た気がした。すぐにうんざりさせられるのだった。
 だいたいが算数だった。
 そんなことだから、およそ注意力などというものは育たなかったろう。俺と言う人間は分裂気味で、情動的な面もある。今でも説明書やら契約書やら読むのは億劫している。


 そうこうしていても時間はどんどん過ぎていった。
 外でトグロを巻いて友人たちはそれでも待ってくれていた。なにやらヒマを潰しているのか、互いに話し笑い合って、楽しそうだった。その場所で俺を待ちながら追いかけっこなんかをしたり遊んでいた。ハシャいでいる笑い声が聞こえていた。
 俺はどんな風に待っていてくれるのか見ないようにしていたが、想像はどうしてもできてしまった。
 そんな想像すら頭から追い払う作業すら、急ぐ俺にはイライラの原因になった。

 それにしても、いったいなんであの時、あの連中は俺を放っておかず待ってくれたのだろうと思う。それはどうしてもわからない。俺はそんなに人気者だったのだろうか。引っ越してきてから一緒に遊ぶことはほとんどできずじまいで縁の薄い存在だったと思うからそれはない。それに意味もなく突然にイジめて泣かした奴の記憶もあるから、よくキレるような嫌な奴でもあったはずだ。
 外で俺が家にいるのを知っていてひたすら出てくるのを待っていたあの友だちたちの気持ちは今もって分からないままだ。


 今の俺の他人に対する警戒心を考えれば、合点がゆかないぐらいあの時の友人たちは俺を待ってくれていたように思う。
 ただ、それをよく噛みしめても慨嘆も何も出ない。感謝の感情も懐かしさも何も湧かない。
 その理由がよくわからないから。
 今は人との思い出を大事にしたり、他人に心を開くような人間ではないから。
 きっと歪んでしまったものは戻らないということなのだろう。


 ともかく、彼らは出てこない俺をそのまま置いてきぼりにして、どこかへ消えてしまうということはあまりなかったと記憶している。

 外で聞こえる歓声や嬌声、それに対して、俺がどれだけせっぱつまった急いた気分であったか、その時の俺のどこからか降りてきた屈辱感もひっくるめて、俺が早く外へ出たいという気持ちのすべてが、後年になってガキの笑い声を聞くと呼び起こされるトラウマの正体なのだった。
 
 早く、はやく、はやく、自由へ、外へ、そとへ。

 俺は急げとだけ思っていた。


 しかし過去はとうに昔のことだ。終わったことだ。その親も死んだ。
 その上、俺はその時期が悪夢だったとは思わないし、否定することもできないと思っている。そのおかげで今の自分がある。
 俺はそれをもとにできていることは否定できない。

 あの時もし、おいしくなく、少しの工夫も、人への気持ちもない家の食事とかでなかったらどうだったろう。
 人に対する心遣いの一切も感じられないくだらない家のメシをもし俺が食わされたりしていなければ、きっと給食がまずいと不平を言うような、他力本願さが備わったのだろうか。平凡なものに極上の喜びを味わえないつまらない人間になったのだろうかる
 汁と漬物で一汁一菜でメシを食ってさえ心から美味しいと思える、そんな気持ちになれたかどうか。大事な人に美味しいものを食べてもらう喜びを理解できたかどうか。人の喜ぶ笑顔を嬉しいと思えたかどうか。


 過去は終わったことだが、過去を否定することはできない。

 俺は済んだことを思い出しただけだ。
 それでストレスが呼び起こされることは消えた。トラウマはなくなった。


・・・

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負の連鎖.4

 ・・・
 小さなガキの頃のこと、遠い記憶にそれはあった。
 俺はストレス衝動の起きる最初の発端をやっとそうやって手に取った。
 すると、そこにたどり着いた途端にそれは消えた。それからは二度と同じストレス、子供の声を聞くと湧き上がるというタイミングのストレスを感じることがなくなった。
 それこそ、「消えた」のだった。


・・・
 その頃。 俺は休日になると家に閉じ込められるようになっていた。
 休みの日はいつもそういうことになった。
 練習問題集、それを解いて済ませてから出かけるように言い渡されるようになった。
 それがさも「休日の褒美」だといわんばかりに傲慢な腐臭を放ちながら親から言い渡され、俺はそれをひとつこなしてから出かけることが義務付けられるようになった。
 外へ出るためにはその問題集を解かなくてはならない。
 俺は遊びにでかけることを許されなかった。いわゆる当時の、「お受験」の話だ。
 その地区に引っ越してきた少し経った頃だったと思う。
 隣近所にはもう友だちができていた。

 俺はその義務を押し付けに感じていたし、ひどく理不尽で、苦しく圧迫されたものに感じたものだった。
 まだ6つか8つ、そんな頃だ。
 強制や誘導というものがじわじわと皮膚の下に入り込むように押し寄せてきていた。自分の意志でものごとが決められないものがあるということに気付き、その理不尽さの訳や根拠さえ分からず、ひどく傷となったかも知れない。そんな時期だった。そして、それはオノレが成長する糧にもなった。

 その頃、それこそその親の思いつきの真っ最中にあってから、俺は何度も死のうとしていた。
 ちょっと親にタバコの遣いにやられればこれ幸いとばかりに密かに寄り道をし、知らないマンションの屋上に入り込んだ。それからまた上の給水塔によじ登って、そしてはるか下を眺めて見た。
 あの時の、そこから飛び降りてみれば一瞬で羽ばたける、自由になれるという現実感はとても素晴らしかった。
 だが結局、すんでのところで止めてしまう。落下した自分を人に見られたくないと思ったからのような気がする。何か社会的なものによって俺はできなかった。
 だからそれは自由ということの意味を考え始めた時期でもあった。死さえも、俺に自由を与えてくれるということが分かっていた。この頃に学んだことは多い。

 休みの日は、わざわざ自分の部屋ではなく、自分の勉強机とされている場所ですらなく、俺は荷物の何もない別室に移動させられ、客のように座らされる。そしてそこで、一人で、その日のノルマをこなしてから遊びに出かけるよう言い渡された。まるで理不尽だがまるで道理があるかのように言い渡された。
 それはいつも、休日の朝、学校のない朝に起きた時から始まるのだった。

 我慢ならないことに飛び出して逃げたこともあった。すると親が追いかけてきて大騒ぎをした。だから恥ずかしくて脱走などできないということがわかった。もうそんな羞恥心があったのかと思う。

 あるいは別な時には激しく抵抗し、親をねじふせてやろうとした。歯向かい、もうよせと向かった。そして外へ自由に遊びに出て行くのを認めさせようとしたことがあった。
 が、チカラでは従うしかなかった。ベルトや竹刀、棒、おろしがね、灰皿。言うことを聞かせられるための材料はどこにでもあったというだけの記憶しかない。
 そしてまた飢えや渇き、眠らせてもらえないという手もあった。
 そういう様々な圧力の前に結局は屈した。

 悔しくはなかった。なぜか泣きもしなかった。
 そんな痛みや苦痛など子供には実はどうとでもなった。傷や痛みなどすぐ治った。だから恐怖心などは全くないのだった。
 しかし、この従わせられるという屈辱感が俺を従わせたのだということだけは俺はよく覚えている。
 俺はそういう分別をその時に身につけたのかもしれない。
 その事実がまた屈辱となった。俺はその時は、この屈辱の気持ちを覚えておこうと思った。

 やがて不服従と軽蔑を完全に隠し、とにかくその場を切り抜けることにした。逆らわないことを学んだ。狂ったような連中に合わせるようにして、自分は様子を見てスキを伺えばいい、スキがあれば逃げればいいだけの話だ。そんな心持ちだった。
 それは楽しい発案に感じた。
 自分でそんな作戦を立てたことが嬉しく、うきうきと自分を喜ばせた。
 

 その頃、どういう抵抗だったのか、俺はよく寝小便をした。
 あれはひどいものだった。それこそ毎日のようにしたと思う。
 その動機やきっかけはよく覚えていない。不潔さが何かの防御になると考えたかもしれない。
 子供が汚れやすいものだとしても、それほどのクソまみれ、小便まみれというのは今でも考えられないが、軟禁との関係を考えれば道理は立つ。
 尻の穴に指を入れてパンツにこすりつけ、何ごともない顔をして指先からクソの臭いをさせたりして平然としていた。取り替えるパンツはいつもクソがこびりついていた。今の潔癖気味の自分からすればあり得ないことだ。(笑)
 あれは洗濯をする親への嫌がらせがあったのだと思う。

・・・


 うん。その意味ではうまくやっていたと思う。(笑)

 人間としてどっか痛んだものがあったのかも知れないが、俺はうまくやった。やれたのだ。



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負の連鎖.3

うまくいった話。


 具体的な話。だけど人にはそう聞こえるんだろうか。わからない。

 俺はこれまで、ガキの笑い声が苦手だった。
 公園で、運動場で、道端で、子供が笑ったりハシャイでいる声を聞くとどうにもならないストレスを感じた。走り回ったりボール遊びをしていたり、その声を聞くと、怒りのようなもどかしさというか、何かのイライラがこみ上げてきて、いてもたってもいられなくなったものだ。
 それがその声を聞くと常にだった。
 正直、ナイフでも持ち出してそいつらを片っ端から切りつけるような衝動があった。そんなことは数えればキリがなかった。
 もちろんそうならないようすぐにその場を移動したり、耳に入らないよう紛らわせたりしていた。
 しかしそういう我慢は長年に及び、もう限界に近かった。
 しかも建物の向こうとか、こっちが逃げられない場所でガキが騒いで笑ったりしていたりするともうどうしようもない。自分で気付かぬうちに涙が出そうになったりして、それでまたすぐにニヤニヤと笑えてきたりした。
 これは異常だ。自分でもヤバいのがわかった。
 つまり俺はピーク時、ガキの大量殺人犯の一歩手前にあったと自分では思っている。よくあの衝動を抑えられたものだと思う。
 そんなわけの分からない引き起こされるストレスが、俺のずっと抱えてきた悩みだった。

 子供が嫌いなのか? それで衝動に駆られるのか? ムカツくから攻撃したくなるのか。
 そーいや子供の運動場が五月蝿いとかクレームがつくという、俺はこれと同じなのか。それにしては激し過ぎる感覚だ。
 いや、このままではまったく洒落にならない。


 退行催眠。これはこれを追い出すことにした。
 誤魔化すのではなく対処することにした。
 俺はこのストレスをゆっくりとよく考え、思い出し、そして嫌だと思ったこと、イラつくその笑い声さえ思い出してみることにし、小汚いガキどもの笑い顔さえ思い出した。
 するとそれは別に悪魔の顔などはしてはいなかった。
 ひとつひとつ、それは何か、何なのか。いつ起きたのか。どんな声だったのか。俺は何度も繰り返されてきたストレスを遡っていった。
 そうやって理由を探した。

 トラウマ、記憶、経験、刷り込まれたこと、本、思い出、喪失感、劣等感、記憶のどこかにある何度も俺は関係しそうなその憎憎しい過去を掘り起こし、ゴミの山から何かを探そうとするような気持ちでひとつひとつ取り上げていった。
 確かに忘れたはずのストレスを思い出すのは辛い。

 だが、それはゴミの山にあって思うことと同じだ。
 これは終わったことだらけだ。ゴミの山でしかない記憶だ。その事実が俺を勇気付けた。

 そしてその前、その前の前と、ストレスの根源、上流へと進んでいった。

 
 そしてストレスの源流との出会い。解消する。
 それができたんだ。

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